幕間 魔王城にて
勇者カイルが元いた世界、魔族の大半が住む魔大陸。その中心にある魔王城の玉座の間にて、一人の魔女がメモの束を片手にブツブツと一人言を呟きながら歩き回っていた。
彼女の髪は手入れされていないのかボサボサで、彼女の目の下には隈が出来ている。
「ここの構文は地下を表わしているわね…ここは遠隔起動の…」
彼女は勇者カイルの仲間の一人、破壊魔法の達人にして魔術師ギルド筆頭魔法工学士であるアレナだ。新たな魔王となった魔族の王子オキアスが停戦協定を纏めるないなや、彼女は魔王城にとんぼ返りして、カイルを転移させた魔法陣の研究に取り組んでいた。
玉座の間の扉が開かれ、二人の男女が入って来る。一人はオリハルコンで作られた鈍い金色の鎧を身にまとった聖騎士。もう一人はミスリルの金属糸で編まれたローブを身にまとった聖女。
カイルの仲間である「神々の教会」の聖騎士ファブリスと「神々の教会」の聖女マリエルだ。
「聞いてはいたが、あれからずっとここに籠りきりだそうじゃないか」
「カイルを心配する気持ちは分かりますが、無理は駄目ですよアレナ」
「余計なお世話よ。それで、頼んでいた物は聖都から持ってきてくれた?」
「ああ。飛竜を乗りついで全速力で戻り、聖騎士団から司祭連中まで使って丸一日で書きとらせた」
ファブリスは脇に抱えていた分厚い植物紙の束を、玉座の間の隅に置かれていた机にドサリと置いた。
「お望み通り、教会図書館を禁書の棚から古代の石板までひっくり返して、伝承の転移門について少しでも書かれた部分は全て書き写して来た」
「ありがとう」
「どういたしまして。ギドール翁とエレナは停戦会議から離れられないそうだ」
「そう…」
アレナはファブリスに短く感謝を言い、彼が持ち込んだ文書を黙々と読み始めた。
「あの、本当に魔王城の何処かにあの神代の時代に造られたという転移門が存在すると思っているのですか?」
マリエルが玉座の間全体に偽装されながら掘られた魔法陣と刻印を見回しながらファブリスに尋ねた。
玉座の間に巧妙に隠されていた魔法陣や刻印も、今はアレナによって印が付けられ一目でわかる物になっている。
「魔王が転移なんて大それた事が出来る魔法、もしくは魔道具を完成させているのなら、真っ先に我々との戦争に投入していただろうからな。古代の遺物をどうにか利用していたと考える方が合理的だ」
マリエルの問いに、アレナに替わってファブリスが答えた。
「ですが、転移門は太古に全て破壊されたとされる遺物ですよ?」
転移門。
神々が空に浮かぶ星々から天啓と祝福を与え儀式に応じて僕を使わせる存在ではなく、大地を人々と共に歩いていた神代の時代。
そんな時代に存在していたとされる神々の遺物。魔法神と時の賢者たちが作りあげた世界と世界を繋ぐ門。
それは大いなる恵みと富をこの世界にもたらした。
大量の貴金属と宝石、新たな魔法と錬金術の知識、誰も飢える事のないだけの食物、諸国の問題を解決できる程の肥沃な大地。
だが、転移門は同時に大いなる災いをももたらした。
生物を石に変える視線を持つ空飛ぶ瞳、蛸に似た頭を持つ異世界の邪悪な神官、殺戮の意志しか持たぬ機械の獣たち、狂気を振りまく異次元の邪神とその落とし子。
転移門を通って現れたそれらは、勇敢な人々と神々によって犠牲を出しつつも全てが打ち倒されるか追い払われた。だが災いは大きな傷跡を世界に遺した。
災厄を追い払った神々と賢者たちは、転移門を通して得られる富と災いを秤にかけ長い間話し合った。そして典範が災いに傾くと判断した彼らは、人々を異世界から引き上げさせるとすぐさま転移門を一つ残らず破壊した。
世界の各地に残る古文書や石板にはそう書かれている。
「そう、全て破壊されていたと思われていた。この城の地下にある一つを除いて」
魔族の男が玉座の間に入りながらがらそう言った。青い肌を豪奢なローブに包み、手には魔族の王位を表わす杖を持っている。
彼が新魔王のオキアスだ。
「ちょうど今我の魔王継承の儀を済ませた所だ。これでアレナ嬢のお望み通り、地下にある例の扉を開く事が出来るだろう」
「早速行きましょう!」
オキアスの言葉を聞いたアレナが机から飛び上がり、足早に玉座の間の出入り口へと向かい始めた。
「おいおいそんなに急がなくても」
その後ろをファブリスがそう言いながら追う。マリエルとオキアスもそれに続いた。
「アレナ嬢があれほど急ぐのか、扉に向かうまでに我から説明してしんぜよう」
アレナの後を追いながら、オキアスは二人に何故アレナが急ぐのか説明を始めた。
※
魔王城地下、アレナ、ファブリス、マリエル、オキアスの四人はそこに設けられた螺旋階段を、魔法の光で照らしながら降りていた。
「…という事で、諸君が聖都に帰っている間にアレナ嬢は、玉座の間の魔法陣がこの地下にある何かを遠隔起動するものだという結論を出したのだよ」
「その何かが転移門だとどうして分かったのですか?」
オキアスの説明にマリエルが質問を返す。
「半分はアレナ嬢の勘と知識から。もう半分は我ら魔族に古くより伝わる言い伝えからの推測だよマリエル嬢」
「言い伝え?」
「この魔王城は初代魔王が神代の時代の遺跡を隠すために築いたという言い伝えが残っているのだ。これは魔族の王族と上級貴族の間だけで代々口伝されていた物で、人やエルフが知らないし文献に無いのは当然である」
「その遺跡については何か言い残されていないのか?」
「『正統な魔族の長のみが遺跡への扉を開く事ができ、遺跡は賢明な者が慎重に使えば富をもたらす』と言い伝えられている」
「富をもたらす、それで転移門か」
「そういう事だファブリス殿」
それからしばらく螺旋階段を下りた後に、四人は大きく開けた場所に出た。
そこは一つの巨大な岩塊を掘り抜いて作られた銀一色の大広間で、壁も床も完璧な平面を保ちつつ磨きあげられている。広間には何も無く、奥に広間と同様の材質で作られた何の意匠もない巨大な扉があるだけだった。
「この石…まさか、ミスリルの原石だと!」
岩塊の材質に気付いたオキアスが驚きの声を上げる。
「我らの祖先は遺跡を巨大なミスリルの原石の中に移築し隠したのだ」
「うんちくはどうでもいいから早くここを開けてオキアス」
ここに来るまで無言だったアレナがオキアスを急かす。
「うむ。『魔族の正統なる長が命ずる、扉よ開け!』」
オキアスが杖を扉へかざしながら魔族の言葉でそう言うと、巨大な扉が音もなく開き始めた。アレナは扉が開き切る前にその中へと進んでいく。
扉の先には門前の広場と同じ程度の広さの部屋があり、その中心にアダマンタイトで作られた巨大な門があった。
地面には門を中心に巨大な魔法陣が描かれており、門にもびっしりと刻印が刻まれている。それらが明滅して空間を明るく照らしていた。
「これが伝承に言い伝えられていた転移門…!石板に記されていた絵とそっくりです」
アレナに続いて入ってきたマリエルがそれらを見て驚嘆の声を上げる。
「これで決まりだな。父はこの真上にある玉座の間から転移門を起動し、異世界へとカイル殿を放逐したのだ」
「アレナ、何か分かるか?」
ファブリスが転移門を調べ始めたアレナに問いかける。アレナは首を横に振った。
「今の所は全く分からないわ。これがどういう原理で動いているのかも、どうして今も起動中なのかもね」
「解読できるか?」
「天下のアレナ様を舐めないで頂戴!誰か玉座の間にある資料を全部手前の広間に持ってきて。今日からこれの解読と操作方法について調べるわよ」
「どれくらいかかる?」
「今は分からないわね。でも一年、一年以内にカイルをこの世界に呼び戻して見せるわ」
アレナの言葉はそれを聞いた三人がその言葉通り、転移門が一年以内に使えるだろうと信じれる程確とした自信に満ちた物だった。
「手前の広間へ生活道具と食事を我の信頼出来る部下に運ばせよう。アレナ嬢は研究に励んでくれ」
「ありがとうオキアス」
「頑張ってくださいアレナ。カイルさんを呼び戻せるよう神々に毎日祈っています」
「うん、頑張るわマリエル」
「アレナを煩わせないように、そしてカイルが居ない間平和を保つのが俺たちの仕事だな」
「頼んだわよ聖騎士団長さん」
「さて、我らは上に戻るとしよう。ファブリス殿とは停戦と今後の善後策を話し合わなければならんのだ。詳しくは上でな」
オキアスはファブリスとマリエルを連れて螺旋階段を上がって行く。
転移門の部屋に一人残ったアレナは両手で頬を叩いて気合を入れる。
(待っててねカイル。迎えに行くから…!)
そしてアレナは一人転移門に描かれた膨大な量の魔法陣と魔法刻印の解読を始めた。




