十二話 素振りレベリング
俺はログアウトして寝る準備を整えると、日本式の風呂に入った。
日本式の風呂は使い方を覚えるのに苦労したが、湯船にゆっくり浸かるというのはいい習慣だと思う。
魔法で体の汚れは落とせるが、この気持ちよさは味わえない。
日本で時子に九時過ぎに寝るのは小さい子供くらいらしいが、夜の見張りでもないのに灯りを付けて長々と夜を過ごす習慣はないので、風呂に入った後はさっさと寝た。
次の日、元の世界にいた頃と同じ四時半に起きた俺は、外向きの服に着替えると家を出て神社の清掃を始めた。
そして、とんでもない物を見つけてしまった。境内の掃除をしていたら、物陰に明らかにいかがわしい行為の後始末をしたと思われるゴミを見つけたのだ。
触るのも嫌なのでその場で即座に魔法で焼却処分したが…
いやはや、不信心にも程がある。犯人は神罰など恐れていないに違いない。
「神の存在しない世界、か」
さっそくその一端を早速見せつけられた訳だ。
この世界では「神」「神霊」「神の使い」「祖霊」「魂」、そういった物は実在しないという考えが主流だ。
俺は死に瀕する敬虔な聖者の魂が、彼の信ずる神がいる星へ召されて行くのを見た事もあるし、高位階の聖職者たちが数週間に及ぶ儀式を経て、神の化身を降臨させた場に居合わせた事もある。
そういう身としては、時子から教えられた内容は中々に衝撃を受ける事だった。
元いた世界では「どの神を信じているか」という問いはあっても、「神の存在を信じるか」という問いは存在してすらいなかった。
別に狂信者でも敬虔な信者でもないが、「神がいない」という発想は俺にもなかった。
この世界は俺のいた世界よりも神々と人の関係が物理的にも、精神的にも遥かに遠い。
ちなみに、俺のいた世界はこの世界における地球が宇宙の中心に存在し、その周辺を神々が住まう天体が回っている。この世界との違いは、月の数が違うどころの話ではなかった。
閑話休題。その手の行為を推奨する神が祀られている訳でもない神殿で、粗相を致すやつなど官憲に突き出すのが当然だと思うが、一応、日本の法ではこの手の不埒者をどう処分するのか時子に聞いてみよう。
掃除を終えた後は朝食の時間まで剣の鍛錬をした。
※
「どこに行っていたの?」
「早朝のうちに神社の清掃と剣の鍛錬を済ませてきた」
家に帰ると一階の広間で時子が朝食を用意してくれていた。
テーブルで俺の朝食が用意されている位置、時子の体面の椅子に座る。
「神社は毎日掃除しなくてもいいのに。三日に一度くらいでいいよ」
「いや、癖みたいなもんだから気にしないでくれ」
「癖?」
「俺の来歴はきちんと話したっけか?」
「孤児院から教会に引き取られて、聖騎士団の下でずっと修行して、途中から仲間と一緒に修行の旅に出て、最後は魔王軍との戦争に参加して、その最後にここへ飛ばされたんでしょ」
「そんな感じだ。聖騎士団で下積み修行してた頃はな、毎朝早朝に神殿の掃除とお祈り、早朝訓練を済ましてから朝食だったんだ」
「今でもその習慣が抜けてないって事?」
「物心つきたての頃からの六年だからな。それに、悪い習慣でもないだろ」
「『早起きは三文の徳』ね」
「それも昔の格言か」
「早起きは健康にも良いし、その分仕事や勉強がはかどるから得をするって意味よ」
「そういう格言が残っているのに、今の日本人は寝るのが遅いんだな」
「これは灯りが油を使ってて高価な時代だったころの言葉だから。無駄に油使わずに寝ろって意味もあったのよ」
今日の朝食は米、干した魚を焼いたもの、野菜の漬物、海藻と四角く切られた白い何かが入った茶色いスープだ。元いた世界の言葉で祈りを済ませてから食べ始める。
「いただきます。時子、これは何だ?」
俺は茶色いスープを指さす。
「それは味噌汁。大豆や米、麦を塩と麹を混ぜ合わせて発酵させた味噌って調味料を、煮干しから取った出汁で溶いたスープよ」
味噌は穀物で作った醤って事でいいんだろうか?
一口すすってみる。・・・うまい。
「美味しいでしょ?」
「ああ。美味しいな」
「これが我が家の味よ。味噌汁は家によって味が違うんだけど、我が家ではカタクチイワシの煮干しで出汁を取ってるのが特徴ね」
焼き魚から時子のやり方を真似て身を外し食べる。絶妙に塩気が効いていてこれも上手い。
野菜の漬物も酢漬けとは違いあっさりとしていていい。米に合う。
運動による空腹のおかげもあって、あっという間に食べ終えた。
食事も終わったし、神社で見つけた例の物についてどうするか聞いておこう。
「時子、今日神社でだな、その…」
「神社がどうしたの?」
「物陰に…の跡とそのゴミを見つけたんだが」
「何の跡?」
「男と女が逢引してヤる事をやった跡を見つけた」
「…」
時子の顔が赤い。恥ずかしさ八割怒り二割くらいだろうか。
「この辺りは街から近い割に風景と自然がいいから結構人が来たりするの。それでたまにね、街の方から来た人がうちの敷地でそういう事やっちゃうのよね」
「掃除とか鍛錬中にそういう連中に出食わしたらどうすればいい?」
「カイルが出ると色々こじれそうだから私に教えて。駐在さん呼ぶから」
「わかった。皆との合流はこっちの時間で七夜の時だから、それまでは自由でいいよな」
朝から昼までやれば仮想世界で丸一日程度は時間が取れるはずだ。
その時間で皆とのレベル差を埋めておきたい。
「私は勉強あるからパスで。SMOで何やるの?」
「素振りだ」
※
俺はロント郊外の森の中でひたすら素振りを続けていた。
寄ってくるモンスターは片っ端から斬って解体しインベントリに突っ込む。
周囲にモンスターがいなくなれば場所を替えて同じ事をする。
インベントリが満杯になればロントに走って帰り、それを冒険者ギルドで売り払いと再び森まで走って素振りだ。
間に疲労回復目的でゲーム内の宿に止まり六時間の睡眠を挟みつつ、それを繰り返した。
途中モンスターが居なくなると思っていたが、そんな事も無くモンスターは湧き続けた。
このモンスターたちはどこから湧いているのだろう?
森とロントの往復四回目が終わった所でステータスを確認するとレベルが3上がっていた。
素振りの途中でフッと力が湧いた時があったから予想通りレベル上げに成功していたようだ。
3ポイントをどのスキルに振り分けようとすると、アーツやモーション補正スキル以外に幾つか新しいスキルが現れていた。
剣の修練
盾の修練
おそらく、鎧の修練と同じタイプのスキルだろう。
この二つとステータス強化のスキルを取得する事にした。
レベル ファイターLV10
称号 格上殺し
冒険者ランク スチール
取得済みスキル
STR上昇Ⅲ AGI上昇Ⅱ
VIT上昇Ⅱ 剣の修練Ⅰ
盾の修練Ⅰ 鎧の修練Ⅰ
最初は戸惑ったが、このレベルやスキルによって力が定義されているというのは分かりやすいな。
もう現実では昼だろう。ログアウトしようとステータスカードを操作しようとしたら、気になる一文があった。
『クラス ファイターがレベル10に到達しました。取得条件を満たしている新規クラス取得が可能です。
以下から次に取得するクラスを選んでください』
その文字をタッチすると以下のクラスが表示された。
上級騎士 守護戦士
傭兵 決闘士
狂戦士 重戦士
弓兵 軽戦士
両手剣士 二刀剣士
どれを選ぶべきか。タッチする事で表示されるクラスの説明を読んでいく。
ひとまず特定の条件やステータスに特化したクラスは除外する。
そして自分の戦闘スタイルに合っていると思われるクラスを選んだ。
『エリートナイト 武器の扱いに慣れた熟練の戦士。様々な武器を使いこなす技量と中装備及び重装備を扱うだけの体力と筋力を兼ね備えている』
『クラス エリートナイトを取得しますか はい/いいえ』
ステータスカードに表示されているはいの部分をタッチする。
するとレベルの欄に新たなクラスが表示された。
レベル ファイターLV10 エリートナイトLV0
称号 格上殺し
冒険者ランク スチール
クラスを決定し終えた俺は昼飯を食べる為にログアウトした。
※
今日の昼食も昨日の晩飯と同じく素麺だ。
季節の食べ物だから夏の終わりまでに食いきってしまいたいらしい。
昼食を食べ終わると時子がレベル上げについて聞いて来た。
「レベルどれくらい上がったの」
「三つ上がった。それと、新しいクラスを取れると表示されたからエリートナイトを取った」
「三つも上がったって、一体どんな無茶したのよ。それにエリートナイト取れたの?」
「ああ。何かおかしいのか」
時子は頭を捻っている。
「エリートナイトって普通はナイトが次に取るクラスなの。SMOの新規クラスの解放条件は…」
①前提となっているクラスのレベル10キャップ到達
②冒険者ギルドや各勢力にいるトレーナーNPCの訓練クエストの達成
③プレイ中に特定条件を達成する
「の三つよ。前提クラスと訓練クエストの線はないから、特定条件の達成なんだろうけど心当たりある?」
今までのSMO内での行動を思い返す。
「その特定の行動に当たりそうなのは、冒険者ギルドでの決闘、狼の群れの撃退、ゴブリンの巣の掃討、今日の森でやった素振りだな」
「森で素振り?」
SMO内で二十時間過ごした間にやった事を伝える。
「何で素振りと狩りを同時に…」
「効率がいいと思ったからだ」
「ええ…うん、カイルの存在自体トンデモだから細かい事気にしたら駄目ね」
「しかし、条件がどうのこうのってそんなに気にする事か?」
「ゲームやってるなら気になるわよ」
「そういうものなのか」
「そういうものなのよ」
そういうものらしい。
「昼からはどうするの?」
「この周辺の地理調査と、念の為俺が転移して来た場所を調べてに行こうかと思っている」
「私は街に買い出しに行くからはい、これ」
時子から薄い板状の物を渡された。
「これは?」
「うちの鍵。私が帰ってなくても、それを持ってたら勝手にドアのカギが開くわ」
「分かった。それじゃあ行ってくる」
そう言い時子と別れた俺は家を出て野外調査に向かった。
野外調査は結果から言うと何の成果も得られなかった。
俺が転移して来た地点の雑木林には多少掘り返しても何の痕跡も無く、周辺を歩き回ってもここがのどかな場所だと分かったくらいだった。
分かっていた事だったが、こちらから元いた世界に帰るのはほぼ不可能に近いという事を改めて認識した。
アレナが良く喋っていたの魔法工学のうんちく、もう少し真面目に聞いておくべきだったな。
夕方、家に帰ると香ばしい匂いが俺を出迎えた。
「おかえり。今日は夏野菜のカレーよ。それで、何か得る物はあったの?」
「いや、分かったのはここがいい場所だという事だけだ」
「ここがいい場所ってのは、得る物じゃないの?」
「そうか…そうだな。得る物はあったな」
夕食は季節の野菜と豚肉が入ったカレーライスという、スパイスが効いたとろみのある汁を米にかけて食べる料理だった。様々な国を回って料理については、それなりに色々知っていると思っていたが、これは今までに類似する物を食べた事のない、未知の味だった。そうとしか表現できない。
時子の洗い物を手伝い、終わればすぐに寝られるように今日はSMOを開始する前に風呂に入っておく。
そして俺は七時になったのを確認してから再びログインした。