7 怪しい男、再び
空から差し込む柔らかな朝の光に優しく包み込まれた。
朝がきたよと生き物たちに伝えるように小鳥がぴよぴよ鳴いている。
ふわりと小さな森の妖精たちが、起きてよ朝ご飯食べようよと私の髪を揺らした。
あぁ、なんて気持ち良い朝なの。
腕の中で寝ているトラジロウにおはようと言おうと、目を開けて気がついた。
「………………んん」
そうだ、こいつは、ただの枕だ。
「ぎゃぁぁぁあああ!」
「何で、何でお前が!」
「痛ってぇな! ネコテメェざっけんなよ!」
「ユ、ユカリーッ! お前かァーッ!」
部屋の壁は薄いらしい。
隣のやりとりが大音量で聞こえてきた。
こんなに大声なら壁がないのと一緒かもね。
とにかく朝からうるさいよ。
どたどたと騒ぎ始めた物音を聞きながら、くぁあと大きなあくびを一つ。
ベッドの上で広々と大の字に伸びた。
「…………おはよう、縁ちゃん」
異世界トラベル二日目の朝がやってまいりました。
******
一触即発な雰囲気に包まれながらもなんとか朝食を食べ終えた。
昨夜の「イヤよ、この人と離れるなんて絶対イヤなの!」とは大違い。
大切な朝ごはんを食いっぱぐれることがないよう、爆発物処理隊員のごとく慎重に、でもなかったけど、二人の間を懸命に取りもった。
そのおかげでマスターとおばちゃんにお礼を言って無事にホテルを後にすることができた。
朝から重要任務をやりきった達成感で一杯だ。
レオンの赤い髪が静電気で爆発してたのは手遅れだったけど。
それを見て噴き出した私の頭には小さなたんこぶができている。バイオレンス。
「おいネコテメェ、そんなちっせェ〜身体で歩いてると踏まれちゃうんじゃない?」
〈うるさい。お前こそ馬鹿でかい図体して、人の邪魔だ〉
「ハッ。にゃーにゃー言ってるだけじゃ、何つってんのかわっかんねェーな!」
〈バカにするなよ!〉
「あ〜あ〜、今朝はあんな風に甘えてきたってのになァー。
ほーらぁ、こっち来たっていいんだぜ?」
〈お前、本当にムカつく!〉
あの二人はこの通りだ。
風が少々強いのに朝から活気ある道のど真ん中でバトルを繰り広げている。
機嫌が悪く静電気を抑えられないせいでふわふわの青毛がチクチクしているトラジロウと、頬に引っ掻き傷四本と眉間にシワを深く刻み込んで物凄い形相をしているであろうレオン。
少し離れた後ろにいるのに聞こえてくるのは、イライラの込もったよく通る大声と副声ニャーニャー音。
道行く人は二人の雰囲気に押されて道を開けているみたいだ。うへー。
「昨日はあんなだったのに。……お酒って」
お酒で態度が豹変したのは主にトラジロウだけど。
起きた時に抱きついた人が私じゃないことにビックリして、思わず無防備な筋肉男に電撃を浴びせたのはトラジロウだけど。
私の知る限りでは雷の精霊はまだ被害者に謝罪してない。
早く謝ろうぜ。
「トラちゃーん! あんま先に行かないでよー!」
前方のトラとライオンは張り合っているのかお互い負けじと早足で歩いている。
そんな二人を後ろから眺めつつ声を掛けたのだけど、特に反応が返ってこない。
やっぱり聞こえてないらしい。
まぁ、トラジロウには周りよりも頭一つ分高い赤髪の大男が付いている。
何より分かりやすい目印になるから焦る必要はないよね。
「ふぅ……」
それぞれ理由は違えどボードロ盗賊団を捕まえるという同じ目的があるのに。
あんなんで大丈夫なのだろうか。
うーん、うーん……。
とは思うものの、私は私でまだまだ見慣れない西部劇みたいな街並みを楽しんでいる。
気分は海外旅行だ。異世界だけど。
この大通りでは朝市が開かれているのだ。
いい匂いがぷんぷん漂う昼とは違って、果物や豆や芋、肉などを売る屋台がずらりと道沿いに並んでいる。
へいらっしゃい! 安いよ安いよ!
道行く人を呼ぶ元気のいい声が溢れていて歩くだけで楽しい。
リンゴを二つも買ってしまった。
砂の混じった風のなか声を張り上げて頑張る屋台のおじさんに負けた。
その賑やかな雰囲気に混じってみたかったっていうのもある。
すごく楽しかった。
服の袖でリンゴを軽く拭いて一口噛り付いた。
「んっ、酸っぱ!」
リンゴイコール甘いという私の中の方程式がまた一つぶち壊された。
海外のリンゴも酸っぱいらしいけど、やっぱり自分で体験しないとわからないよね。
楽しー!
一口目を胃に収納して、前を行く二人を追いかけながらまた噛り付こうとしたときだった。
「うわっ……!」
口を開けた時に正面から突風が吹いた。
リンゴを食べるためにマフラーを下ろしていたため、砂煙をダイレクトで顔面に受けてしまった。
咄嗟に閉じたので口の中がじゃりじゃりすることはなかったけど、まつ毛に付着した砂粒が運悪く目の中に入ってしまったのだ。
「いっ……、あー、いてて」
異物を排出しようと涙がぽろぽろと溢れ出した。
大通りの端に寄って指で目を擦る。
やっちゃいけないと分かっているけど、これが一番痛みの親玉を取り出すには手っ取り早い。
痛いのは大嫌いだ。
一人で悪戦苦闘していると声を掛けられた。
涙で滲む視界に見えたのは、私のお母さんと同じ年くらいのおばさんだった。
おばさんの綺麗な布を使わせてもらい、目を傷付ける事なく無事砂粒を取り出せた。
お礼を言うと頭を撫でられた。
その優しい手つきがどこか懐かしかった。
濡れそうになった目を手の甲で擦ってごまかすと、まだ痛いのかと心配するおばさん。
失礼だとは思うけど綺麗なリンゴを押し付けて、逃げるように走って別れた。
ごめんなさい。
「てー……、危なかった……はっ!」
少しぼやける視界のなか、前を行く二人を急いで探す。
二人の声も聞こえないし、背伸びをしてもあの目立つ赤髪は見つからない。
とはいえ前方にいるのは絶対に……。
いや多分、きっと間違い無いので早歩きで二人を追うことにした。
したんだけど。
「二人はどっちに行ったんだ……」
そのまま真っ直ぐ進むと噴水広場にたどり着いた。
こんな乾燥した場所にどうして噴水があるのか。不思議だ。
川から引っ張ってきているのかな。
というか、電気もないのにどうして噴水って水が吹き出すんだろう。不思議だ。
いや、そんなことは今どうでもいい。
とりあえず噴水の縁に腰掛けることにした。
そしてリンゴをかじる。
酸っぱさを味わい咀嚼しながら周りをぐるぐる見渡した。
噴水を中心にして十字の道が伸びているのでどこもみんな同じ道に見えてしまう。
さすがに自分が来た道はわかるけどね。
「冒険者ギルドはいずこに……」
レオンは冒険者ギルドとやらに用事があるらしい。
なんでも魔物の素材を売りに行くんだとか。
宿の一室でちらっと見えた動物の爪や牙らしき怪しい物がそれだ。
色々と興味があるのでレオンに付いて行くことにしたのだ。
冒険者と賞金稼ぎ、何が違うのか尋ねるとレオンは「そんなことも知らねェのか!」と大袈裟に肩をすくめた後、得意気に説明してくれた。
ほぼ一緒という認識でいいらしい。
詳しいことはちょっと……。
見たことない動物の素材をトラジロウと一緒にいじってたから、詳しい説明は耳の中をさーっと通り抜けていったんだ。
適度に相槌はしてたんだけどさ。
私から聞いておいてごめんね。
「ここどこ……」
そして冒険者ギルドは何処だ。
便利な現在地看板とかはないのかね。
当てずっぽうで正しい道を選べる確率は三分の一だ。
しかし正解の道を選んだとしても、入れ違いになったら困る。
それならここで忠犬ハチ公のように待っていた方がいいかもしれない。
冷静になったトラジロウが気付いて戻ってきてくれるかもしれないし。
気付いてくれるよね、ね。
あぁ、そろそろリンゴがなくなる。
まだお昼時じゃないから屋台も出てない。
これはもしかして、待っている間暇すぎて死んでしまうかも。
あぁー、最後の一口が今、口の中にー、入ったー。すっぱー。
というかこの芯どうしよう。
ゴミ箱は……ないか。
それにしても、今日は本当に風が強い。
マフラーが飛ばされないよう結び直した。
……ゴミ箱。
「おや、貴方は昨日の」
「えっ、あっ、どうも」
聞き覚えのある声に驚いて振り向くと、そこには昨日の男の人がいた。
大量の金貨を拾うのを手伝ってくれて、ノートの内容を勝手に見たあの人だ。
昨日と同じ触り心地の良さそうな黒いローブを着た彼は、にっこり笑って挨拶をするとこちらへ近づいてきた。
失礼だけどこの人にはちょっと苦手意識がある。
凄く怪しかったし、雰囲気もどこかねっちょりしていた。
「何かお困りで?」
「うーん、えっとですね。ゴミ箱を。
いや、人と逸れちゃったっというか、道に迷ったっていうか」
「昨日のネコと逸れたのですか?」
「……ええ。あともう一人いるんですけど」
「そうですか。何処へ行こうと?」
「冒険者ギルドです」
「ほう、それは丁度良いですね。そこなら私も今から行くところなんですよ。
よろしければ案内しましょうか?」」
「えっ、ありがとうございます!」
「此方です」
思ってもいなかったありがたい言葉が聞こえたのですぐ反応してしまった。
彼はにっこり笑うとくるりと背を向けて歩き出した。
教えてくれるなら付いて行ってみようと立ち上がって隣に並んだ。
すると男は私が持っている果物の残骸に目を留めたみたいだ。
「あの〜、ゴミ箱ってここら辺にあります?」
「それは?」
「リンゴの芯です」
「見ればわかるのですが」
「それでゴミ箱は」
「そんなもの必要ないですよ。貸しなさい」
「えっ、どうぞ」
ゴミ箱が必要ないってどういうこと。
手を差し出されたので男にリンゴの芯を一つ、枝と繋がっている部分を摘めるようにして渡した。
こんな残り物どうするんだ。
男は芯を摘んだまま手をひっくり返した。
リンゴのお尻を空に向けると、自由な方の手で指ぱっちんをした。
「おおお!!」
すると突然リンゴの芯からぼっと火が上がり、芯を包み込むようにして燃えてしまったのだ。
リンゴの芯はあっという間に黒い炭素の塊となる。
ぽろぽろと崩れ今日の強い風に乗って大空へ旅立っていった。
すっごーい! やっぱり魔法って便利だ!
「指ぱっちんだけで魔法が使えるなんて、お兄さんすごいですね!」
「まぁ、いまのは簡単なものですからね。これくらいなら」
尊敬の念を込めて男を見上げると男はちょっと胸を張った。
魔力媒体がないと魔法が使えないという人もいる中、この男はパッとリンゴの芯を燃やしてしまった。
意外と凄い人なのかもしれない。
うっすら呼吸が小刻みになっているのは見ないふりだ。
杖のような魔法媒体は魔力の伝導を良くしてくれるとかなんとか、そういう効果があるらしく、それによって威力や効果に差が出るらしい。
媒体は杖が一般的らしいが魔法書だったり魔法陣を使う人もいるそうだ。
私のは短いタイプの杖なんだけど、それが一番初心者には扱い易いと師匠が言っていた。
魔力回路に欠陥があるなら魔法を使うのは危ないんじゃ、と質問したところ、この特別な杖を使うなら問題はないと回答をいただいた。むしろ回路を詰まらせないためにも使った方がいいそうだ。
「さて、行きましょうか」
「はい!」
さっき来た道から見て左に曲がって道なりに真っ直ぐ歩いていく。
大通りから脇道に逸れて右に左に曲がると次第に人影が少なくなってきた。
この辺りは店がある通りではなく居住地区のようだ。
迷路のように複雑に入り組んでいるにも関わらず、隣を歩く男の人は一歩も立ち止まらずに進んでいく。
その間、気まずくならない程度に世間話をした。
この辺りに詳しいんですねとか、この街は荒野のど真ん中にあるのに人が多いのはどうしてですか、とか。
なんでもこの街はなんたら王国に向かう大きな道の途中にある街なのだそうだ。
もともとは宿場町だったとか。だから人が多いのか。
「冒険者ギルドってこんな入り組んだ所にあるんですか?」
「近道をしているんですよ。人混みの中で貴方と逸れてしまうと困りますからね」
「ありがとうございます……」
そう言うと隣を歩く男はにっこりと笑いかけてきた。
なんだ、この人いい人じゃん。
昨日のトラジロウやノートのことはただの好奇心で聞いてきたのかもしれない。
勝手に決め付けて申し訳ない。こっちです、と彼がまた道を示すのを見ながらそんなことを考えた。
「あの〜、今度こそお礼をさせて……、ん? 行き止まり……」
「そうですねぇ。なら、私と一緒に来てください」
「……?」
「捕らえろ」
「ッ、トラ、……ぐぁ!」
突然視界に白い光が飛ぶ。
後頭部を強く強く打つ衝撃を受けた。
バランスが取れなくて地面に倒れそうになったところをあの男に抱きとめられる。
自分の意思で身体が動かせない。
頭痛いしなんかもうよくわからない。
パニック状態になっていると視界が真っ暗になった。
私の意識はそこで途切れたのだった。