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3 妖精の水





「ばぁさん、ちょっと人あげるぜ」

「はいよ」



 ここは何処かの家の一室。

 抵抗を止め、ズキズキと疼き始めた脚の痛みに耐えているうちにたどり着いたらしい。

 意外にも優しくベッドに座らせてくれた男は荷物を下ろすと、待ってろと声をかけて部屋から出て行った。



 ろうそくの明かりだけの薄暗い室内。

 全体的に質素すぎて寂しい。

 小窓が一つと、一人用の机と椅子、ベッドしかない。ベッドの中身はバネではなく藁のような乾いた草。使い古され黄ばんだシーツは少し擦り切れているけどまぁ綺麗だ。


 小窓から外を覗くと街の家々には灯りが灯っていた。きっと家族で夜ご飯の時間なんだろう。

 あのフードの男はここに住んでいるのだろうか。



「いたたたた……」

「見せてみろ」

「ん……どうなってる?」

「……、よく泣かなかったな」

「ウソそんなに?」



 ジクジク痛む左の太腿を見ると大胆にぱっくり切れたズボンが血で赤く染まっていた。

 意を決してそっと布の切れ目を開いてみると、太腿はふくらはぎの辺りまで血でベタベタ。


 幸運なことに出血は止まっていた。

 切れている範囲は広くても傷は浅かったようだ。

 傷口もぴったり閉じているので清潔にしておけば大丈夫、なはず。痛いけど。



「ユカリ、あれを使え」

「……もったいないよ」

「いいから早くしろ!」

「へい」

「まったく」



 トラジロウが鞄を漁って中からある物、私の世界の水筒を持ってきてくれた。

 爽やかなライムグリーン色のそれを受け取り、キュッキュッと回して開け、蓋に中身をちょろりと注ぐ。

 注がれた液体は薄暗い部屋の中でも微かにきらきらと輝いている。


 一滴も無駄にしないように、零さないように。

 スパッと切れた傷口へ。

 星の欠片が溶けているかのように輝く液体を一雫ずつ垂らした。



「どうだ?」

「ん、きた」



 傷口にムズムズするような感覚がやってきた。

 触れるか触れないかぐらいの強さで、ふわふわした羽根が肌を動いているような気がする。

 くすぐったい!


 むず痒さに耐えていると、また新たな感覚がやってきた。

 傷口が徐々に塞がっていく感覚だ。

 スパッと切れた肉が深いところから、ゆっくりとくっついていく。

 皮膚の大きな裂け目が閉じ、だんだんと薄くなって、ついには元通りにくっ付いた。

 傷跡はまったく残っていない。

 ジクジクズキズキする痛みも綺麗さっぱり消え去った。



「ほ……」

「痛みは?」

「ないよ、全く。完治です!」

「よかった。ほら早く血を拭け」

「や、先にこれ片付けちゃうね」



 コップに入った輝く水を慎重に水筒に戻して、きつくきつく蓋を閉めた。



 この水筒の中身は、妖精たちの泉の水。

 これには信じられないような凄い力──怪我を治す力があるのだ。


 切り傷擦り傷は今の通り。

 打ち身も捻挫も、たとえ骨がぽっきり折れたとしても、しばらく浸しておけばその日中に完治。

 とんでもないシロモノだ。

 効果は自分の身体で体験済みなので100%保証できる。



 この水には本当にお世話になった。

 私たちの異世界弾丸トラベル計画(修行20日+旅30日=余命50日)にはなくてはならないものだった。




 私がリヴェル様に余命宣告を受けたのはおよそ20日前。

 そして四大大精霊に魔力回路を治療してもらうという解決策も。


 ちなみに四大大精霊とは、四大元素《火・風・水・土》を司る精霊達のトップと言われている存在だ。

 四人の四大精霊は四つの大陸に分かれている。

 【風の峡谷(ヴェントーレ)】 シルヴェスティ

 【豊穣の森(レイフォルスト)】 グノーモス

 【光彩の海(クリシィール)】 ウィンディーネ

 【紅焔の山(グルドボルカルノ)】 フェルドレーベ


 魔力回路の治療は難しく、大精霊とはいえ一人だけの力では無理があるらしい。

 だから全員の元へ行く必要があるのだけども。



 そこで立てた計画、異世界弾丸トラベル計画には多くの人が協力してくれた。


 中でもクマ師匠は「約20日間の猛烈特別訓練」、略して猛特訓をしてくれた。

 貧弱な私が生きて帰ってこれるように、とのご厚意による訓練だ。

 おかげで数少ない自衛手段である魔法も習得できた。


 しかし特訓の内容は地獄の鬼も泣いて逃げ出すレベル。

 森の中を走り回り、山のように大きい師匠クマと全力の鬼ごっこ(逃げる方)をして、捕まって投げ飛ばされ、凶悪な肉食のウサギの群れに追いかけられ、投げられる岩を全力で避け、などなど。

 「こんなん入門レベルだ!」って師匠は言ってたけれど、私にしてみれば"レベル1の手持ちでチャンピオンリーグの門を通る"方の入門だった。


 私はつい昨日まで、木に叩きつけられて骨が折れることもなければ、巨大なムカデから涙と鼻水垂らしながら必死で逃げることもなかった、ただの女子高生。

 特性が頑丈でも持ち物が襷でもないし、即瀕死状態に。

 元気の欠片の代わりとなる回復アイテムが、その妖精の水だった。


 毎日毎日、過去5年分を引いてもお釣りが貰えちゃうくらいの怪我をしたって、これを使えば速攻完治!

 毎晩妖精たちに泉へ突き落とされて頭まで浸かり、完璧なコンディションで寝ることができたのだ!



 そしてなんと、妖精の水は美容効果付き!

 この世界に来てから毎日浸かっていたおかげで全身キメの細かいつやつやお肌に!

 修行の為にバッサリと切った髪は、どんなトリートメントを使った時よりツヤツヤでサラサラ!

 スルッとした指通りに感動!

 驚きの美容効果です!



「ほら、はやくしろ」

「はーい」



 そんな大切な水が入った水筒を鞄の一番奥にしまうと、トラジロウからハンカチを渡された。

 むくむくと膨らんだ欲望のままにふわふわ青毛を腕の中に閉じ込めると、トラジロウも肩に頭を乗せて抱きついてきた。

 すぅーっと鼻から息を吸い込むと幼い頃から馴れ親しんだ香りが鼻腔を通り抜ける。

 すっごく落ち着く。


 アロマセラピーならぬトラジロウセラピー。

 これぞ我が癒し…………はぁぁ。



「……どうしよう」

「取られたなら、取り返すしかないだろう」

「うん……」

「今日はもう遅い。アイツらを捜すのは明日だ」

「トラジロちゃん……」

「大切な物なんだろ」

「ありがとう!」

「あぁ。おい、くすぐったいって」

「トラジロウ、ほんとありがとう!」

「わ、わかったからやめ! も、くははっ」

「うぇっへっへっへ」

「あはっ、あははは! ユカ、……ふっ、しつこい!」

「いてて」

「早く拭け!」




******




 血の汚れは粗方綺麗になった。

 しかし乾いたハンカチでは完璧に拭き取ることはできなかった。

 困ったわね。


 ズボンを履き替えたいんだけどそれは脚を綺麗にしてからだ。

 というか布についた血って石鹸なしで落ちるかな。

 記念すべき一日目に切り裂かれるわ汚すわ、最悪だ。


 それよりも。



「い、いい加減にして!」

「何故だ、おれに任せろ」

「いッ、痛い、刺さってる、刺さってるからっ」

「ならその手を退かせ」

「イヤだ!」



 なかなか落ちない血と格闘している私を見兼ねたらしいトラジロウが、舐めると言い出したのだ。

 そんなもの舐めればすぐに取れる、おれに任せろ、と積極的に迫ってくる姿は可愛いんだけど。

 んべっとザリザリした小さな舌を見せる姿はキュンとくるけど。

 血を舐めさせるのは絶対、無理。無理無理無理。

 傷は舐めるものじゃなくて、消毒して絆創膏を貼るものだ!

 それに傷じゃなくて血だから!


 迫るトラちゃんを必死に押し退けていると彼は突然静かになった。



〈戻ってくる〉

「ん……」



 思わず目を閉じ息を止め、耳を澄ませた。

 階段を昇って木が軋む音、低く響く革靴の音がリズムよく聞こえてくる。

 急いで身なりを整えて、トラジロウには膝の上でスタンバイしてもらった。

 ふわふわ青毛を触って心の準備。



 扉が開いて大男が部屋に入ってきた。

 屋内だというのにまだフードを被っている男は、後手に扉を閉めると長い脚で私達の座るベッドまでゆっくりと歩み寄ってきた。

 身長も高くて身体も横にも大きいし、フードで顔が見えないから超怖い。


 びくりと身体を縮こめて、


 目の前までやってくると、男は片膝を着き、床にトレーをそっと置いた。


 その手には風呂桶のような物が乗ったお盆を持っていた。

 男は目の前で片膝を着き、床にトレーをゆっくり置いた。

 水の入った桶と清潔な感じの布、コップと皿が載っている。


 もしかして、これって。


 どう反応しようか迷っていると私の左太腿に大きな手が置かれた。

 反射的に両手でガッと押さえる。

 え、なに、急に何なの。



「見せてみろ」

「えっ、もう大丈……」

「早く」

「ちょっ、あっ」



 左手一本で簡単に両手首を絡め取られてしまったのだ。

 私よりふた回りも太い腕にグッと力が込められ、すぐ抵抗をやめた。

 手首、折られそう。



「ハ?」

「…………」



 男の動きがピタリと止まった。


 赤黒く汚れたズボンの穴から肌を、傷跡が綺麗さっぱり消え去った肌を、見られてしまったのだ。


 まぁ、そうなりますよね。だから離してください。

 するとズボンの穴に添えられた男の手に力が入り……、ハ!?

 ズボンの穴を裂いて広げられたのだ!



「ねぇちょっと何してんの!?」

「トラァァア!」



 私に代わってトラジロウが男の手に飛びかかってくれた。


 フードの中で光る緑色と目が合った。

 その視線には困惑の色が含まれている。

 いい加減離してください。

 そう言えば男はハッとしてすぐに両手を離してくれた。


 手首を捻って動作確認、特に問題なし。



「悪かった」

「…………いえ」

「ま、ヘーキそうでよかった。それ使って血ィ拭いとけ。その汚れた奴でいいから」

「あっはい。わかりました」

「あとそれ、お前とネコの分な」

「ありがとうございます」



 男はトレー上の桶とカップを指さすとベッドから離れてイスに座った。

 こちらに背を向けて机の上に荷物を取り出し何やら作業し始めた。



「あ、あの! 助けてくれて、ありがとうございました!」



 男はこちらに背を向けたまま片手を上げて、ヒラヒラと振ると、また作業に戻ってしまった。



「……はい、トラジロウ」

〈ありがとう〉



 ベッドから降りて床に座り、トラジロウにミルクの入った皿を渡した。

 すんすん匂いを嗅いで、器用に舌ですくって飲み始めた。可愛い。

 スマホがないから非常用の心のアルバムに保存。



「…………」



 血で汚れたハンカチを桶の中に思い切って突っ込むと綺麗な水がどんどん赤く染まっていく。

 濡れハンカチを装備すると、しつこい血汚れとの第二ラウンドのゴングが鳴った。






「ほっ……」



 ひと段落ついたのでベッドに座ってカップを手に取った。


 口元を覆うマフラーをおろし、中身の茶色の液体の匂いを嗅ぐ。

 独特な香りだ。

 たぶん何かのハーブティーとかだろう。

 不思議と気分が落ち着いて自然と肩の力が抜けた。



 綺麗になったズボンとハンカチは許可をもらってこの部屋にロープを張って干させてもらった。

 あぁぁしかしあのズボン。

 チャイナドレス並みに大胆な切り込みが入ってしまった。

 通気性が物凄く向上したけど、セクシーすぎてコレを着る勇気はない。

 それにしても直すの大変……。



 カップを傾けるとお茶が流れ込んできた。口の中に広がる味と香りは、やっぱり今まで飲んだ事がないものだった。

 不思議な味だけど、まぁ飲めなくはない。



〈それ、何だ?〉

「お茶だと思う。種類は分かんないや」

〈ふーん〉

「不思議な味するけど、飲んでみる?」

〈いらない〉

「そっか」

「アァ? なんか言った?」

「なんでもないです」



 フードを被ったままの大男がゆっくりと振り返った。

 小声で会話をしていたら男に聞こえてしまったようだ。

 危ない危ない。


 それと、青トラちゃんに「ヒゲにミルク付いてるよ」って言ってあげたほうが良いのかな。

 まだ飲んでるし、後ででいっか。



 カップを両手で持ちながら身体をめいいっぱい伸ばして後ろから男の様子を伺う。

 どうやら荷物の整理をしているようで、ガチャガチャと音が聞こえてくる。ちらりと見えた荷物には、なにかの毛皮や牙、そしてそんなの何に使うんだと疑うような物、気になる物がいくつもあった。



 それにしても、あの筋肉質な身体。

 私を担ぐのに三秒もかからないのも納得できるムキムキ加減だ。どこもかしこも私よりふた回り以上太い。

 リンゴジュースくださいって頼んだら生のリンゴを素手でクシャッと潰して口に突っ込まれそう。

 そして何と言っても椅子に立て掛けてある二本の剣。滑り止めのため柄に巻き付けられた布は、使い込まれて所々擦り切れているしかなり黒ずんでいる。



 トラジロウを狙われて追いかけられたり、ナイフを投げられたり。

 この世界は物騒だし、何が起こるか分からない。

 彼の機嫌を損ねないように気をつけないと。

 そんな状況にならない事を願う。

 そうなったら今度こそ全力で逃げるしかない。



「……はぁ。美味しい」



 独特な風味がだんだんと癖になってきた。

 ハーブティーって意外と美味しいんだね。

 そういえばお茶を飲んだのも、温かい飲み物を飲んだのも久し振りだ。



「……」



 というかあの男、まだフードを被っている。

 どうして脱がないんだろう。

 そのフードの下にはとんでもないものが隠れているとか?

 ……気になる。



 例えばネコ耳。

 リヴェル様によれば、この世界には獣人というケモミミ種族がいるらしい。

 筋肉ムキムキマッチョメンの彼にネコ耳はかなり……ミスマッチにおもえるけど。



 ん、んん?

 お気に入り(仮)のフードに血が付いてる……?

 まさか、というか絶対あれ私のじゃん。

 どうしよう、お気に入りなのに……。



「あのすいません。よかったらそのフード、いや、コート洗いますけど」

「ハァ?」

「そこ私の血が、付いているので」

「…………」



 男はちらりとこちらを振り返った。

 すると予想通り作業を中断して私たちの前まで椅子を引っ張ってきた。その上にドカリと腰を掛けると椅子がミシッて悲鳴をあげる。……大丈夫かな。



 そしてついに、男がフードにゆっくりと手をかけた。


 ふへへへ、フードの中身はなんだろな!

 ネコ耳、イヌ耳、ウサ耳、キツネ耳。

 異世界への期待は急上昇!


 少し身を乗り出せば、隣から呆れの視線がグサグサ突き刺さる。

 可愛らしいトラ耳をお持ちのふわふわ青毛の幼獣からだ。しかしこの子も興味津々らしく、黄金の瞳をカッと開いて男を凝視している。


 ワタクシは何も気にしていませんのよ〜という風に、カップに唇をつけお茶をゆっくりと口に含んだ。



 そして、ついに、ゆっくりと、可愛らしいお耳が──



「んぐ! ゲッホ、ゴホッ!」

〈ユカリ、しっかりしろ!〉

「オイオイ、大丈夫かよ」

「だい、だいじょ、げほっ!」



 ネコ耳じゃない。


 イケメンや。






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