2 風魔法とゴロツキ
壁に背中を付け凭れかかる。
ゆっくりと自分を落ち着かせるように肺に空気を取り入れ吐き出す。
大丈夫かと腕の中に移動してきたトラジロウをきゅっと抱き締めれば、頬っぺたをペロリと舐めてくれた。
「なんなのあの人。心臓バックバクなんだけど」
「ノートを人前で開くのはやめるべきだな。
それよりユカリ! 歩きながら別の事をするんじゃない!」
「……。ごめんごめん」
「その言いかた、反省していないだろう!」
「テレパシー忘れてるよトラジロウちゃん」
〈全くお前はいつもいつも──〉
お兄ちゃんのお説教は聞き流させていただく。
砂が付着したスマホを鞄から取り出した。
細かい砂を息で吹き飛ばしハンカチで丁寧に拭く。
少し表面に傷が付いてしまっているけど、動作には何も問題ない。
すでに充電は60%を切っている。
電池消費は限りなく少なくしてあるのだけど。
残念ながら携帯用充電器は空っぽだ。
お気に入りのロック画面をしばらく眺めてから電源を落とした。
鞄にしまって鞄の口を閉めようとした時。
「オイお前! その鞄の中身とネコを渡しな!」
「アニキ、あのいけ好かねぇ男は鞄ごとって言ってましたぜ!」
「おお、そうだった。ガキ、鞄ごと渡しな!」
ちょっと汚い感じの男達に前を塞がれていた。
前に三人、後ろに二人の全部で五人だ。
囲まれている。
ニャゴニャゴと夢中で説教していたお兄ちゃんも気付かなかったらしい。
ここは狭い路地だからゴロツキの横を抜けるのはほぼ不可能だ。
開きっぱなしの鞄の口を閉めようとすると、オイ! と男が声を張り上げた。
「何も命を獲ろうって言っている訳じゃねぇんだぜ? 鞄とネコを素直に渡してくれたら、お前の命だけは助けてやるよ、ギャハハハ」
「…………っ!」
全員が手にナイフを持っている。
鈍い光を放つそれを見せつけてきた。
さっきの男が言っていた「奴ら」なのかわからないけど、ナイフを見せてくる時点でヤバい奴ら確定だ。怖すぎる。だんまりで何も言わない私を見て五人全員でギャハハとうるさく笑った。
〈深呼吸だ、ユカリ〉
「うん……」
背後を警戒するトラジロウの言葉に従い、深くゆっくり呼吸をして身体の強張りをほぐした。
〈どうする?〉
トラジロウのふわふわの毛がチクチクと逆立ち始めている。
電気を溜め始めたようだ。
「トラは、何もしないで。風で、吹き飛ばして、逃げる」
〈了解〉
口元を隠したマフラーの中で、ぽつりぽつりと小さく口を動かした。
彼は耳が良いのでこれ位なら聞き取れる。
バレないように慎重に深く息を吸って、ゆっくりと鞄に手をのばす。
……ように見せかけて、懐の魔法の杖を掴んだ。
指揮棒のような魔法の杖を握り締め、人間や物を吹き飛ばす風をイメージ。
よし!
「吹き飛べ!」
大声で叫ぶとともに懐に入れていた腕を振り抜いた。
ついでに地面を蹴り上げれば、砂混じりの風が男達に襲いかかる。
「ぐ、おおお!」
「ちきしょうッ、目に砂がッ!」
「アニキ! クソッ、あのガキ魔法使いか!」
目の前にいる三人のゴロツキに突風が吹き付け、彼らは風圧に耐え切れずに吹っ飛んだ。
〈いまだ!〉
トラジロウの声とともに走り出す。
吹き飛んだ男たちは道端の木箱に盛大に叩きつけられた。
壊れた木箱は幸いにも空だった。
私のせいでダメになる中身はない。
痛みに呻く男の横を走り抜ける。
私達の後ろにいた二人の男は十分にビビっていた。
けど、すぐに倒れている三人の男を起こすと全員で追い掛けてきた。
残念ながらゴロツキたちは気を失っていなかったようだ。
映画のように道端の木箱や荷物を道に倒した。
通りにくくしながら路地を走り抜ける。
ここ住んでいる人には申し訳ないけど、今は緊急事態なので仕方ない。
「くっ! えい!」
「お前ら! 向こうからだ!」
私の自己防衛方法は、おもに魔法だ。
といっても、相手を一撃で倒せるような威力を持つ魔法は雷魔法だけ。
しかも手加減ができない。
風魔法も使えるけど、スパッといっちゃうので生き物相手にはあまり使いたくない。
アイツらの狙いはトラジロウと鞄だ。
トラジロウなら手加減出来る。
だけど魔法を使えるのを知られたせいで、もっと狙われるようになるのはごめんだ。
相手の足元に雷を放ち、牽制しながら走る。
それにしてもあの男達、しつこい。
どんなに逃げても私たちを執念深く追い掛けてくる気配を感じるのだ。
私がいう気配とは、動物が動く時に発生する電気だ。
生物は筋肉を動かしたりする際、微弱な電気を発生させる。
この世界に来て、神経伝導時に流れる微弱な電気を微かに感じ取れるようになった。
初日に凶悪な肉食ウサギに追いかけ回されたのだけど、上手く逃げ続けられたのも無意識のうちにそれを感じ取っていたお陰らしい。
心臓がバクバクしている今。
感覚が研ぎ澄まされているらしい。
意識しなくてもそれが手に取るようによくわかる、のだけど。
「なっ、行き止まり!?」
気配から逃げて曲がった道の先は、行き止まりだった。
気配を読めるからすぐに撒ける、なんて考えは甘かったらしい。
相手の気配だけを読んで考えなしに逃げるのが間違いだったのだ。
追っ手にとって此処はホームグラウンド。
相手に逃げ道を誘導されていたのか。
逃げているうちに自分が何処にいるか分からなくなってしまっていたし。
これは完全に私のミスだ。
「どうしよう……!」
〈おれがやるか?〉
「それはダメ!」
男達の声はすぐそこまで来ている。
鞄を渡すか、魔法を使うか……。
行き止まりの壁に背を向けた。
左手で強く杖を握りしめ、体勢を低く構える。
さぁこい! やってやる!
「オイ、こっちだ!」
「えっ!」
突然、後ろから男の声が聞こえた。
振り返れば行き止まりの石壁の上に声の主らしき人がいた。
フードを深く被って顔が隠れている。
声と体格からして男だ。
その人は私の身長の倍ある高い壁の上から、積み上げられた木箱を指差している。
これを使って登れということらしい。
「急げ!」
「わかった!」
すぐに木箱の上に乗れば、トラジロウが先に私の頭の上から飛んで石壁の上に着地する。
私もトラジロウを追って風魔法で押し上げジャンプしようとした瞬間。
目の前の壁にナイフが突き刺さった!
「ひっ! あ、危な!」
振り返れば、すでに男達に追い付かれていた。
残りの男たちも鋭い凶器を投げようと腕を振りかぶる。
〈止まるな!〉
杖を振り、思いっきりジャンプした。
風で体を押し上げるから超高く飛べるのだ。
男たちの手から飛び出したナイフの向かう先は私がさっきまで立っていた場所。
よかった、間に合った。
と、思ったのに。
「い、痛ぁぁ!」
左の太腿を何がが掠めた。
その直後焼けるような痛みが走る。
なんと投げられた三本のナイフ同士でぶつかって、たまたま弾き飛ばされたナイフが、たまたま私の太腿を掠めたらしい。
このヘタクソ! ちゃんと壁を狙え!
「やっ、うわぁ!」
〈ユカリっ!〉
空中でガクンと体が傾いた。
痛みと怒りでうっかりバランスを崩してしまったのだ。
この風魔法ジャンプはバランスが一番重要な要素なのに!
このままでは確実に距離が足りず、地面に落ちてしまう。
届くはずないけど、縋り付くように石壁に手を伸ばした。
「あっぶねェー!」
「あ、あ、う」
「テメェもしっかり掴め!」
「は、はい!」
伸ばした腕をフードを深く被った男が身を乗り出して掴んでくれたのだ。
慌てて彼の手首を両手で掴む。
ぐぐっと大きな手で力強く壁まで引き寄せられた。
ありがとうございます!!!
「クソっ、テメェら何やってんだ!」
声の方を振り返るとゴロツキのリーダー格が、大きく振りかぶったところだった。
手から飛び出したナイフが鈍い光を放つ。
その軌道は確実に私へと向かっている。
これは、ヤバい。
直後、ビリリと空気に電撃が走る。
キィンという音とともにナイフが地面に撃ち落とされた。
〈すまないユカリ! 使ってしまった!〉
「あ、りがと」
トラジロウ、助かったよ……。
でも結局魔法使わせてしまった。
腕を掴むフードの男が壁の上に引き揚げようと引っ張ってくれた。
私も脚で壁を蹴って登ろうと、身体を丸めた時。
閉じていなかった鞄から、なんと、なんと!
スマホがするりと落ちてしまったのだ!
しかしフードの男は気にせず私を引っ張り上げようとする。
あ、あ、あ! 待ってダメダメダメ!
片手を離してスマホを掴もうとするも、あと数センチ届かない。
「あっ、やだ、だめ、待って!」
よりにもよってスマホが!
2メートル上から地面に衝突した!
「ちょ、スマホ! 待ってだめだって!」
「いいから登れ!」
せめて、無事かどうかだけでも確かめさせて!
しかし強い力でぐいぐい引っ張られて壁の上に引き上げられてしまった。
すぐに下を覗けば、すでに男達の手の中に。あぁ、大変だ。
掴まれたままの腕を強く引かれて壁から離される。
「ちょっと!」
「行くぞ!」
スマホを置いてはいけない。
あの中には、私の世界の思い出が!
それに、幼獣トラジロウちゃんアルバムが入っているんだ!
すやすや可愛らしい寝顔
舌を出したまま寝るあどけない姿
一生懸命高い位置で爪を研ぐ姿
妖精たちと遊んでいる様子
蝶々の陰を全力で追いかけている所
その後ふと我に返って恥ずかしがっている姿
などなどなど。
私が撮影した数々の素晴らしい写真及び動画が保存されているのだ。
このスマホをあいつに取られたままにする訳にはいかない。
いかないんだ!
「さっさとズラかるぜ。アイツらに追い付かれるぞ」
「でも!」
「だぁあもう、いいから来い! オラ、そこのネコもだ」
「うわぶっ!」
再び腕を強く引かれ、勢いそのまま私の顔が男の胸に直撃。
距離を取ろうと突き飛ばすように伸ばした両手を、男は素早く屈んで躱し、なんとそのまま男の肩が私のお腹に添えられた。
嫌な予感がビンビンだけど、逃すまいと腰を太い腕で押さえつけられて動けない。
「ちょ、ま、ま、ヒィィ!」
「うるせェ暴れんな落とすぞ!」
そこから先は予想通り。
アホみたいに両手を突き出したままの私は、抵抗する暇もなく立ち上がられてしまったのだ。
いわゆる俵担ぎをされて、視界が反転する。
なんと、ここまで三秒も掛かってない。
そして男は走り出す。
「この、離して! お尻を、触るなこの変態!」
「イッテ、……おいテメェこのガキ。それ以上抵抗してみろ! こっから投げ落とすぞ」
「すみません」
なんとここ、壁を登ったその上は、この街の建物の屋根の上。
迷路のように連なる家々の屋根の上だったのだ。
すぐさま抵抗をやめて脱力した。
フードの中から聞こえてきたのは、地を這うような低い声。
脅してきた男の声は、本気だった。
落とされたくない。
しかも投げ落とすってお前……。
「ネコ! テメェこっから落ちんじゃねぇぞ、助けてやれねーからな」
〈なっ、人間ごときがおれをバカにするなよ!〉
意外にも私が担がれるのを見ていただけだったトラジロウが、私のすぐ後ろを付いてくる。
そうして完全に陽が落ちた夜の街を、屋根づたいに駆けて行ったのだった。