2 リンゴタルト
更新遅くなってしまってすみません!
2ヶ月って、あっという間ですね……
「いやもう、ヒドイんですよ。聞いてくださいお兄さん、お兄さん聞いてます?」
「あぁ、もちろんさ。なんとも酷い話だ……。男と勘違いされるなんて」
「そうそう、そうなんです!」
丸テーブルを挟んだ目の前のイスにゆったり座っている王子様は、うんうんと相槌を打ってとても親身に私の話を聞いてくれる。
「綺麗な目をこう、カッと見開いて、ドン引かれたんです。男っぽく振舞った覚えは全く、これっっっっっぽっちもないんですけど」
〈お前、そんなに根に持ってるのか? いい加減しつこい〉
「う……」
親指と人差し指の隙間を限りなく0に近づけていると、隣の椅子にちょこんと座るトラジロウから呆れた視線を向けられた。
彼から顔ごと目を逸らせば悲しいことに、ふぅ、と溜息をつかれる。
まだ根に持ってるのかって?
当たり前だ。
昔からご近所さんには可愛いで通ってる縁ちゃんだぞ。
今でもたまに近所のおじいちゃんおばあちゃんは飴玉とかお煎餅をくれるんだぞ。まぁ、自分の孫と重ねてるっていうのがその理由の9割を占めてそうだけども。
「と、とにかく! 男と間違われたり、からかわれたりして気分が良いなんて、私は思いません!」
Cの形の手をやめて、テーブルに両肘をつく。
その上に顎を乗せて私も、ふぅとガス抜きするように息を吐き出して目を閉じた。
あ〜……、お日様の光が気持ち良い……。
「……の野郎……」
「え? あ、う」
王子様の言葉が聞き取れなかったから聞き返そうと目を開けてびっくり。
なんとさっきよりも顔の距離が近くなっていたのだ。目の前で私と同じように机に両肘をついている。
ヤバイってコレヤバイって。
「ん? どうかしたかい、子ウサギちゃん」
「なん、でもないです、あはは……」
若々しい新緑の色をした目に見つめられると何も聞けなくなってしまう。
それに、にっこり笑って首を傾けてる王子様を見てると何故か聞いちゃいけないような気がしてくるんだ。
愛想笑いで誤魔化してキラキラオーラを放つイケメンからそっと目を外した。そして不自然にならないよう意識しながら姿勢をただす。
子ウサギちゃん呼びには慣れてきたけど、真正面から目を合わせ続けるのは、無理。
すると王子様は私の愛想笑いが儚く見えたのか何なのか、その美しいご尊顔に悲しみの表情を浮かべて薄い唇を動かした。
「あぁ! こんなに可愛らしい子ウサギちゃんを男と間違えるだなんて! 節穴の目をしっかり開いて君を見るまで、そのマヌケ君は寝ぼけていたんじゃないか?」
「あははは。でもそれはちょっと大袈裟ですよ、お兄さん」
「そうかい?」
手の動きまで付けて、まるで舞台役者さんのようにオーバーだった。
それでほんのすこしズレてしまった黒い中折れ帽子を、王子様はサッと直す。
〈たしかに、アイツの目は節穴だ。おれもネコと勘違いされたからな〉
「……トラちゃんも、人のこと言えないんじゃ──」
「お待たせ致しました」
「はっ、えっ」
いきなり声がきこえて、反射的に口が閉じ、伸ばしていた背筋は更にピンと伸びた。
ふんわりとした優しい声の主は、綺麗なお姉さんだ。緩やかにウェーブした髪を一つにまとめ、ベージュの腰巻エプロンをつけている。
あれ?
ここって、お店なの……?
というか、私いつの間に席についたの?
ここは美しい海が見えるテラス席だ。
赤いチェックのクロスが敷かれた小さな丸テーブルに、小さな白いイス。
人が行き交う賑やかな表通りではなく、静かな路地の中にあるお店らしい。耳をすませば小鳥たちの声も聞こえてきて、時間がのんびりと流れている気がする。
というかいつの間に、お店に入ったんだろう。
まぁ、いっか。
ウェイトレスのお姉さんは目を細めてくすりと私に微笑むと、軽やかな手つきでテーブルの上に何かを……、ケーキを並べ始めたのだ!!!
珍しく爛々と目を輝かせるトラジロウと一緒に、一人一人の分を順番にケーキセットを並べていく様子を見守る。
お兄さんはプレーンのシフォンケーキ、トラジロウには……白い、メレンゲが乗ったタルトケーキ。ほんのりレモンの香りがする。
そして私はリンゴのタルト!
おお……!
一糸乱れぬ見事な隊列を組み、タルトのステージに堂々と立つリンゴ界のアイドルたち。その一人一人が黄金の輝きを放ちながら「私を食べて!」と訴えかけてくる。
あれ?
私いつリンゴのタルトを頼んだんだっけ?
まぁ、いっか。
すぅーっと鼻からゆっくりと息を吸い込んで、胸を膨らませる。お行儀悪いけど、この胸の高鳴りの前にはそんなもの無いも同然。
はぁぁ、久しぶりのお紅茶……なんて素晴らしい香りなの!
「この紅茶、君が淹れてくれたのかな?」
「そ、そうです」
「とてもイイ香りだ」
私とは違い上品に香りを楽しんでいた王子様は、カップを形の良い鼻から遠ざけるとお姉さんに若葉色の美しい目を向け、ふっと微笑んだ。
「はぅっ!」
〈おい、どうした〉
「何でもないの」
その顔を見て、胸がキュンと疼く。
向けらたのはお姉さんなのに、なんで私まで赤くなるんだ。
もぞもぞと体を動かして、ムズムズとしたあの感覚をやり過ごした。トラジロちゃん変な目で見ないで。
「ご、ごゆっくり召し上がってください!」
「あぁ、いただくよ。ありがとう」
ここでとどめの一撃とばかりに、王子様が真っ赤なお姉さんにパチンとウインク。
効果はバツグンだ!
お姉さんは何とか言葉を口に出すと、トレーを両手でぎゅっと抱きしめて、店内に駆け込んでいった。
バキューン!と胸を撃ち抜かれた音が聞こえたのは気のせいではないはず。あんなに綺麗な、誰もが可愛いというであろうお姉さんのハートをも撃ち抜くとは……。
恐るべし! この色男!
「さ、二人とも。彼女が淹れてくれた紅茶が冷めないうちにね」
「は、はい! いただきます!」
〈いただきます!〉
アップルタルトをフォークで、慎重かつ丁寧に、ブスリと突き刺す。
そしてさっくりと一口分切り離す。
お、おお、おおお……、輝いている!
パクリと一口。
「……!」
ふぉぉお!
口に入れた瞬間シナモンの香りが!
ふわりと口から鼻に通り抜けた。甘くてしゃきしゃきしたリンゴを舌の上でころころ転がし、ゆっくり奥歯で噛み締める。ガツンとくるような馴染みある甘さではなくて、控えめで優しい自然の甘みだ。
あんまし甘くないとも言えるけど、今の私にとっては最高の甘みだ。
もう一口!
〈ユカリ!〉
「あっ、ごめんね」
レモンの爽やかな香りがするメレンゲタルトを一口分フォークに刺して、大きく口を開けたトラジロウにあーん。
パクリと勢いよく噛み付いた。
〈……!〉
しばらく固まっていたのでその間に私もトラちゃんのを一口パクリ。
おお、メレンゲが口の中でふわぁ〜、ふしゃ〜っと溶けていく……! うまい、そして爽やかな甘さ。ネコ科なのに柑橘系の食べ物が好きなトラジロウにピッタリだね。
ついでに私のリンゴタルトもあーんしてあげると、こちらもまた目を輝かせて咀嚼していた。かわいい。
ちらりとシフォンケーキを伺うと。
「〜〜〜〜っ」
ふわふわそうなそれを口に運ぶ黒い帽子の王子様は、白く滑らかな頬を薔薇色に染めて超幸せそうないい笑顔。
周りにはお花がふわふわ〜と飛んでいる。もちろん幻覚なんだけど。王子様レベルの美男子になるとお花やキラキラを飛ばすのは簡単なのかもしれない。
リンゴタルトうま……。
それにしても可愛いケーキ屋さんだ。
テラス席から見えた店内は南フランスのような、素朴で温かみのある可愛いインテリアで若い女の子やカップルでいっぱいだ。
中には毛並みが金色のおサルさんを連れている人や、可愛い小鳥を肩に乗せている人がいる。街でもよく小鳥やトカゲを乗せてる人を見かけるんだけどね。
「実は……」
店内を覗く私を見て、王子様が喋り始めた。
ほんのり恥ずかしそうにはにかむその表情にもキュン。
リンゴタルトうま……。
「実はここ、昨日も来たんだ」
「え、そうなんですか?」
「あぁ。だけど、店に入るのを断念してしまってね」
「確かに……男一人はキツそうですね」
「だろ? 君達がオーケーしてくれて良かったよ」
「私達も、お兄さんに誘ってもらえてよかったです。ね」
〈本当にありがとう!〉
というか王子様なら絶対、私じゃなくてもっと綺麗な人と来れたでしょ。
道行く人から超見られてますよ。
隣にいるこのちんちくりんの私にも視線のレーザービームが突き刺ささってます。
しかし我慢だ、これはケーキのための我慢。
リンゴタルトうま……。
そう、甘い物だって、我慢するからこそより美味しく、より特別な存在とな──
──……ゾクリ
「ヒッ……!」
突然、身体中を走り抜けたのは、言葉では表現できないほどの寒気。
心臓を掴まれたかのような感覚に、全身の肌が粟立った。
咄嗟に立ち上がって杖を構える。
しかし、そんな事をしたのは私だけだった。
トラジロウも、王子様も全く動いていない。
青トラちゃんなんかは急に立ち上がった私を咎めるように〈座れ〉と一言。
とりあえず席に座ってトラジロウのふわふわとした手触りのいい背中を撫でる。
肩に王子様の腕がそっと回され、色男さんの香水の香りに包まれる。
「子ウサギちゃん、どうかしたかい?」
「……なんでもないです」
どうやらこの寒気がしたのは私だけらしい。
これはあれだ。
トラジロウのお父様であるリヴェル様に初めて会って、その場で殺されそうになったときのあの感覚に似ている。
これは……殺気だ。
杖先が向いていた方向、路地の二つ先の曲がり角を見つめながら飲んだ紅茶の味は、分からなかった。
金髪の美男子が面白そうに私の事を見ていたことも、分からなかった。
リンゴタルトうま……。