1 ケーキと王子様
〈ユカリ。好き勝手するのもいい加減にしろ〉
「……ごめんなさい」
〈考えて動けといつも言っているだろう〉
「……ごめんなさい」
ただいま、絶賛トラジロウのお説教中です。
港街キールポートに無事たどり着いたのは丁度昼時だった。
いい匂いの料理屋さんにふらりと誘われてヤケ食い。
お腹の虫には満足してもらったけど、何食べたのかは覚えてない。
今は街の小さな公園のベンチに座っている。
鳥たちが楽しくお喋りする、明るくて綺麗な公園だ。
そしてお昼時だからか人が少ないため、お話しするにはピッタリ。
お日様の光が当たってすっきりぽかぽか暖かいのに、私の心はずーんと暗く湿っている。
今ならキノコ栽培できそう。
はぁ……椎茸のお吸い物食べたい。
何であんな事言っちゃったんだろう。
「……レオン、絶対怒ってるよね……」
〈どうだろうな。おれもすぐにお前を追ってしまったから〉
私、契約破棄だって言ったんだよ。
カッとなった私が悪いよね。
昨日の鼻水事件だってカッとなった結果だ。
あのときもレオンに怪我させちゃったし。
はぁ……。
今までカッとなるなんてこと、滅多になかったんだけどな。
私の沸点は意外と低いのか、思っている以上に余命のストレスを感じているのか、カルシウム足りてないとか。
そういえば最近、乳製品取ってないかも。
乳製品……チーズ……。
チーズなら、ガーリックが効いたほくほくのジャガイモとカリカリベーコンに、とろとろにとけたラクレットチーズをたっぷりかけたやつ食べたい。
あぁ、このままチーズのように溶けてしまいたい。
〈ユカリ。アイツは事情を知らないんだ。お前が怒るのも分かるが、アイツのことも考えてやれ〉
「うん……」
膝の上に乗ってきた小さな癒しの精霊とハグをする。
ぽんぽんと元気付けるように肉球で肩を叩いてくれた。
首筋に顔を埋めてスーハーすると、癒しフレグランスが鼻腔を通り抜ける。
〈切り替えろ。探して謝るしかないだろ〉
「……、そう、だよね!」
いつまでもウジウジしてはダメだ。
よし! 気合だ! ゴーゴーレッツゴー!
「レオン、許してくれるかな!」
〈さあな〉
「…………」
「すみません、お嬢さん」
清潔感のある心地よい香りに誘われてふと顔をあげれば。
「ほんの少しで良いから、君の時間を僕にくれないか?」
「……っ!」
お、王子様だ。
オシャレな黒い帽子をかぶった王子様だ。
太陽の光を受けてキラキラと輝く少し短めの金髪は丁寧にセットされている。
そして生命力溢れる若葉のような新緑の瞳。
高くてツンとした鼻筋に、桃色の薄く瑞々しい唇と薄く色付いた頬は、真っ白なシミひとつない肌にとても美しく映えている。
だ、誰か白馬を用意して差し上げて!
「えっ、あ、えっ」
〈誰だ、お前……ぅ!〉
「すまない。驚かせてしまったかな?」
「い、いえ全然問題ないですハイ。どうしたんですか王子様?」
「ありがとう」
若草色の瞳を美しく細めて、王子様はにっこりと微笑んだ。
なんかもう百点満点だ。
いやもうそれどころじゃなく、ぶっちぎってる。
なんて眩しいキラキラオーラ!
落ち着け、縁、こんな時こそ落ち着くのだ。
縁ちゃん、あなたは今をときめく女子高生よ。
イケメンごときに尻込みしてはいけないの!
そして切り替えるチャンスよ!
両手で頬をバチンと叩く。
よっしゃ来い、バッチコーイ!
「この街に最近新しいお店が開いたんだけど、僕一人だけじゃ入りづらくてね。隣に可愛い女の子がいればと思って」
「かわっ!? ……アっ、えっと、どんなお店なんですか?」
「大陸から来たケーキという甘いお菓──」
「食べたい!」
「それは良かった! ふふ、僕も早く食べたいよ」
「ケーキ」「甘い」「お菓子」
この三単語に釣られて勢いよく立ち上がってしまった。
それも返事が「食べたい」。
なんでこんな場面で理性よりも本能が先に。
しかも王子様は私をからかったりせず、ものすごく上品に微笑んでいる。
なのに恥ずかしいのはなぜだ!
というか待てよ。
これって、もしかして、ナンパってやつ!?
うぉぉぁぁぁあ!!!
「それじゃあ行こうか。言いたいところなんだけど……、その子は大丈夫かい?」
「え? あ、ごめん! ……大丈夫?」
〈ふぅ……、潰されるかと〉
「ごめん」
苦笑いの王子様の目線の先にはトラジロウ。
無意識のうちに彼の首をきつく絞めてしまっていたのだ。ほんとごめん。
私をキッと睨んだトラジロウは「にゃうにゃう」としゃべり始めた。
〈おい待て。また勝手な行動をするんじゃ〉
「ケーキをちょっと食べるだけだよ。この人も良い人そうだし」
〈確かにこの男から敵意は感じられないが……〉
「ね、お願い。トラジロウも食べたいでしょ?
甘くて、美味し〜い、ケーキ……はぁん」
〈ぐっ……!〉
王子様に聞かれないよう気を付けつつ、ふわふわの耳に口を寄せると、精霊は渋々頷いてくれた。
よっしゃケーキ!
甘いお菓子! 砂糖! ケーキ!
さて何を食べようか。
久しぶりの一発目はやっぱり、ショートケーキだ!
上品な甘さの生クリームは穢れなき純白のドレス!
しっとりふわふわのスポンジにその美しいドレスを纏った、真っ赤なティアラのお姫様。
甘酸っぱい純情イチゴちゃんは最初に食べるか、それとも最後まで残しておくか。
うあー!!! 迷うー!!!
トラジロウが肩に乗ると、王子様が白い手を私に差し出してきた。
お。ゴツゴツしていて意外と男らしい。
まじまじとその手を見つめていると、王子様はくすりと笑う。
「お手をどうぞ、お姫様?」
「おひ……!?」
〈この男に王子様と言っただろう〉
「ウソ!? あっ、いや、なんでもないんですあはは……お姫様はやめてください」
「くくく、あははっ」
声に出して笑うその姿もすごく上品でした。
笑われても嫌な気しないし、むしろその笑顔をもっと見たい。
「さぁ、おいで」
「ハ、ハイ」
差し出された手に自分の手を乗せると、王子様に何の違和感もなくそっと背中に腕を回される。
そしてふわりと心地いい香り。
ひぇー、イケメーン!
そして彼に促されるままケーキ屋さんに向かって歩き出した。
「この街は隣の大陸との貿易で栄えているんだ。
新しい物がどんどん入ってくるから何度来ても飽きないよ」
王子様と一緒に賑やかな道を歩く。
あの街も元気な街だったけど、この港街は更に活気で満ち溢れている。
様々な肌の色や、色とりどりな髪の色。
家の窓や玄関、店先には様々な色の花が飾られていてとても華やかだ。
ほんの少しデコボコした石畳の道を、大きな箱みたいな形をした馬車がカッポカッポと歩いていた。
時間があったらあれにも乗ってみたい。
そんなことよりも、王子様がスゴイ。
腕は相変わらず私の背中に回っているし、彼が歩くのは馬車が走る側。
段差があったりすると教えてくれる。
こういうのはよくある感じなんだけどもさ。
いや、こんなことされるのも初めてなんだけど!
なによりその、言い方に問題がある。
耳元にそっと口を寄せて、めっちゃいい声で「そこ、気を付けて」なんて言ってくるのだ。
腰にくる。ゾクゾクゾクっと腰にくる。
ビックリして顔を向けるとさ、綺麗なお顔がめっちゃ近くにあるしさ。
もう絶対、顔真っ赤だべ。超暑いもん。
彼氏なしの悲しき女子高生にはいきなりのハードルが高すぎだ!
そして王子様慣れてますね!
あ、ごめんトラジロウ。きつく締めすぎた。
落ち着こう。ふぅーっとひとまず深呼吸だ。
……ふへへ。
「そんなに見つめられては……」
「アッ、スミマセン」
「蜂蜜のような君の瞳に溶かされてしまいそうだよ。さっきから胸がドキドキしてるんだ」
「エッ、え!?」
「この甘い痛みを癒してくれないか?」
「そ、それは、はやく病院へ行くべきデスよ! 笹、違う、ケーキ食べてる場合じゃないです!」
「いや、そういう意味じゃ」
〈…………〉
そう一人ハッスルしているうちに感覚が麻痺していったのか慣れたのか。
オーバーヒートしかけていた私の思考回路は段々と冷静になることができた。
「へぇ、子ウサギちゃんとネコ君は、その年で旅をしているのか」
子ウサギちゃん。
ゾワゾワもぞもぞと全身を毛虫が這っている感覚に襲われる。
ヤバいぞ癖になりそう。
私は変態か。刺激が強すぎる。
〈トラだ!〉
「おっと」
「こ、この子はネコじゃなくてトラです」
「そうか、すまないね」
「お兄さんも旅人なんですか?」
「まぁ、そんなところかな」
トラジロウ懐かしの台詞を王子様に伝えてから、苦し紛れにコレナニアレナニ攻撃を仕掛けた。
あれは乗合馬車で一定額運賃を払えば誰でも乗れるんだとか、ここの魚料理はとても美味しかっただとか、あそこの時計台広場から見る夕焼けは最高なんだとか。
なんとこの世界にも時計はあったのだ。
文字盤には長針と短針の二本と、12個のアラビア数字。
まさかと思って試しに王子様に尋ねてみたところ現在時刻は12時。
なんと元の世界と読み方も同じだった。
そして王子様は、こんな子供みたいな低レベルの質問にも嫌な顔一つしない。
むしろキラリな王子様スマイルで教えてくれるのだ。素敵すぎる。
手足が長くスラリした体格のせいで細く見える王子様。
しかし全く弱々しい雰囲気はない。
それどころか背中に回る腕は太くて固く、しっかりと筋肉が付いている。
胸板だって分厚いし、そんじょそこらの男達よりも筋肉量は多そうだ。
それをこの100%キラキラ爽やか王子様オーラが覆い隠しているのだ!
そして何と言っても、この清潔感あふれるこの香り。
柑橘類のような、ハーブのような訳わからないけど爽やかでめっちゃいい匂いだ。
同じ筋肉系男子でも、ほんのり汗の匂いがする男臭いレオンとは……。
……レオン……。
「……よかったら。君にそんな悲しそうな顔をさせる、間抜けな男のことを教えてくれないか?」
「えっ、なんで……」
「君の力になりたいんだ」
そういって優しく手を握ってきた王子様。
若草色の瞳で見つめられ、目が離せなくなる。
心地いい匂いがふわりと香る。
一瞬湧き上がった不信感も消え去り、私はこの後悔を語るべく口を開いたのだった。




