22 鼻水大事件
「……ふぁ〜……んん」
ここどこだ。
木で組まれてる革の、テント。
そうだテントだ、風の民のテントだ。
あー……寒い。
なんか怠いんだけど、起きなきゃ……。
もう一度目を閉じて、ぐぐっと伸びをして、ふわふわのあの子に、あれ。
え、トラジロウいない。
目を開けて布団めくって自分の格好を見て声に出さずに驚いた。
何故下着。
取り敢えず布団を、毛皮を身体に巻こう。
え、なんでトラジロウいない。
というか私ぼっち。縁ちゃん寂しい。
荷物の上に畳んであった服を座りながら着て、ノートを取り出して23マス目にバツを付ける。
今日で4日目か。そうか。
もう4日目……、いや、まだ4日目だ。
トラジロウとお揃いの黄金色に輝く虹彩……ふ、美しい……。
鏡に映る自分に見惚れるナルシストの真似をするも、反応してくれる子がいないから虚しいだけだ。
淡々と鏡で寝癖とかを確認して身なりを整えた。
立つのがダルいから四つん這いになりながらテントから出た。
眩しい朝の日差しは手で敬礼してブロック。
チュンチュンと可愛いスズメの鳴き声ではなく、キュイキュイと強そうなワシ達の声が聞こえた。
「…………」
ここ、里のどこらへんなんだろう。
目印である大きなテントか篝火を探していると小さな広場の向こうを子供達の団体が通った。
集団登校みたいに中学生くらいの女の子の後ろに、小さい子がぞろぞろ続いて歩いている。なごむね。
すると別の方向、もう一つの広場の方からまた別の集団がやってきた。
「進め、レオンドノ!」
「そこ乗られると歩き辛いんですケド」
「すすめ! すすめ!」
「おいネコ! いい加減なんか言えって!」
「……レオン殿はもっと乗っても平気だと言っている!」
「ぐっ、こんのクソネコ! 覚えとけよ! あっ、痛ってェ! おい叩くな!」
「あはははは!」
赤いたてがみの馬の頭上に青いトラが乗った一団だ。
たくさんの小さい子とチビワシたちを侍らせて、随分と楽しそうである。
賑やかな馬組に、集団登校組の子たちはすぐ気付いたようだ。
待ちなさいという中学生ちゃんの声を聞かず、チビっ子達はレオン馬に突撃していった。
既にチビっ子を至る所に乗せている大きな馬は、「ゲッ」っと頬を引きつらせた。
でもすぐに「よっしゃこい!」と気を持ち直して身構える。
「レオンドノー!」
「きゃー!」
新たに5人ほど乗せた後もプルプルと震えながら頑張ってたんだけど。
あっ。あーあ、ついにレオン馬肘ついちゃった。
でも完全に潰れないように踏ん張ってるのが超偉いと思います。
だからお腹の下にいる君、楽しそうにしてないで早くそこから出てあげて!
「あ! キリヤドノだ!」
視線に気が付いたのか、一人の女の子が私を指差した。
片手を上げてその子に笑顔で手を振る。
私の名前を覚えてくれてたなんて超嬉しい。
申し訳ないけど流石に全員の名前は覚えられてない。
ふと、レオン馬と目が合った。
エメラルド色がギラリと光る。
ぷるぷると震える腕で私を指差した。
二ヒヒと笑うその顔に、イヤな予感しかしない。
「チビども! あそこにもう一匹馬がいるぜ!」
「よし、今度はキリヤドノだ!」
「あっお前たち待て!」
「えっ、ちょ! わ、速……っ!」
酒がなくとも言葉は通じたらしい。
トラジロウの制止も聞かず、ちびっ子とちびワシが突撃してきた。
そう、私は四つん這いでテントから出てきた状態のままだったのだ。
風の民の子の脚は思っていた以上にずっと速かった。
というか君たち今飛ばなかった!?
ま、待って、重い、重いって。
キリヤ馬の上限は一人だってば三人はムり、くっ!
「すすめ、キリヤドノ!」
「ごめんキリヤ殿進めな……くは、ない! ……か、も! くっ、それっ!」
「がんばれキリヤドノ!」
「くっ、どうっ、……だ! これがキリヤ殿の本気……ひゃんっ、ちょっと脇腹触らないでおバカ! あ、やめ、あふっ、あっあぁー!」
「キリヤドノ、もっと本気だせよー!」
「やめ、ちょ、あっふぅあ、ヤメェぁぁあ!」
「だっはっはっは! ひーひー! やべー!」
「お前たち! 危ないからやめろ!」
「あはっ、もっ、やばっ、むりトラジロお腹の下は!?」
「大丈夫だ!」
「ん、あっあぁー! ……あ、ぁぁ」
助かった……。
「おい! なにヘタってるんだ!」
「こいつ、ダメな馬だぞ!」
「……すんません……はやく降りて……」
「よーし、おしおきだ!」
「えっ、あははは、ちょ、んー、んぁっああ、あっは、……ふっ、……くぅ、ぅあっ、あっひゃ、あひっ、やー! やっ、ごめんなさ、ゆるひぁあー! むりむりむりやめあぁぁあ! あはははふぅぅう! やっ、もうやめ、げっほ、げほ、死ぬ、しぬー! あっ、ト、トっ、トラぁぁぁあ」
「よし、これくらいでカンベンしてやる!」
「キリヤドノ小さいし、つまんねー!」
「やっぱレオンドノだな! 行こうぜ」
「はー、はー、おぼえてろ……いつか泣かす……」
嵐は過ぎ去った。
私の元に駆けつけてくれたトラジロウと中学生ちゃんが謝りながら背中を撫でてくれた。
大丈夫だよありがとうね。
でもごめん今は触られただけでビクビク反応しちゃうからやめてほしいな。
ったく、くすぐり地獄とか、朝から一体何なの……。
彼女はレオンに群がるちびっ子達に喝を入れて全員をまとめ上げ、また子どもを連れて戻っていった。
「キリヤ殿、おそよーございます」
「……おはようございます」
地面にうつ伏せになったまま、諸悪の根源を睨みつけた。
笑かされてるときこの男の大爆笑が聞こえてきたんだ。
私は怒り大爆発どころか怒る気力すら残ってない。
腹立つ顔しやがってコイツ。
「ほら」
「………………ふん」
ニヤニヤ笑いながら手を差し出してきた。
遠慮なく掴んでわざと体重をかけて立ち上がる。
なのにフラつく事なく簡単に引っ張られ、ささやかな反抗はことごとく空回りで終わった。
それ以上笑うんじゃない。腹立つなコイツ。
ここでお腹の虫が、もう耐えられないとグルルと鳴いた。
「…………」
トラジロウの可愛らしい耳が鋭く反応してピコピコ動く。
私の肩にするする登り、口にパンが押し込まれた。
トラジロウ法が発令して強制的にテントに戻り食事することになった。
******
里中央の大テントの中に入るとカレタカさん、メルロさんを中心に里の年配の男達が十人程座っていた。
昨日と同じ様に三人並んで座る。
「待たせてしまってすみません」
「気にするな。後片付けを手伝ってくれてありがとう」
「いえいえ、私も里のみんなと話せて楽しかったです」
あの後は昨日の祭りの片付けを飛び入り参加で手伝った。
手伝わないなんて選択肢、あるはずないしね。
文化祭の片付けみたいで楽しかった。
水浴びもしてスッキリできたし。
「あの……、メルちゃんはまだ寝ているのでしょうか?」
今朝からメルちゃんのあの元気な姿を見ていないのだ。
里に着いたときも、お祭りのときも、おねぇちゃーん! とたくさん突撃してくれたのに。
こうも静かだと心配になってしまう。
「……メルルは妻と一緒にいる」
「お母様と……そうですか」
「ああ……。すまないがそっとしてやってくれ」
「…………」
そういえば、メルちゃんがお母様は病気だと言っていた。
ボードロ盗賊団に捕まったのは薬を探しに里の外に出たからだ。
部屋の向こうからゲホゲホと咳き込む声が聞こえた。
きっとお母様だろう。
長く咳が続いて本当に辛そうだ。
なにか、何かできないだろうか。
市販の頭痛薬なら持ってるんだけど……良く効きそうな咳止めはさすがに……。
……あ。あぁあ!!!
「それで、本題なのだが──」
「ちょっとすみません失礼します!!!」
「おいユカリ!」
「トラジロウは待ってて!」
「なっ」
「好きにさせてやれよ」
集会場から飛び出し、全力で走りだした。
朝起きたテントに戻って鞄ごと掴んでまたダッシュ。
「すっ、すみません! これは……どうでしょう、か!」
息も絶え絶え、集会場に飛び込んだ。
「あれお願い……」
「そうか! よし分かった!」
頼れる青トラ様が私の意図を理解して持ってきた荷物を漁る間、前屈みで座りぜーぜー呼吸を整える。
優しく背中を撫でてくれるこの大きな手は多分レオンのだ。ありがとう。
「大丈夫か?」
「ん、ありがと」
「……それは?」
私の持ってきた、おそらく初めて見るであろう水筒。
ライムグリーンの魔法瓶。
風の民の屈強な男達の言葉を、カレタカさんが代弁した。
そして長の前から、突然居なくなるという無礼を働いた私に非難の視線が何本か突き刺さる。
「これは、水筒です。中に、えっと……よ、妖精の水が入っています」
「妖精の水……?」
「えっと、その」
「おれの父の島にある、妖精たちが住む泉の水です」
「なんと……!」
正式名称がわからなくて困っているとトラジロウが助けてくれた。
カレタカさんは目を見開いて驚いたあと、何故かすぐ納得するかのように頷いた。
「これならお母様の病気も治るかもしれないと思って……」
「なるほど……、では」
「お待ちください!」
男衆からのストップだ。
カレタカさんより少し年上のその人は、立ち上がって私を指差した。
さっきから一番私に厳しい視線を向けてきた人だ。
「いくらメルル様の恩人といえど、里外の者からの物を、奥様に、大巫女エハウィ様の口に入れるなど!」
「落ち着け、ヌータウ」
「しかしメルロ様! おい、小娘!」
例に漏れず立派な体格の男、風の民の戦士だ。
炎のように燃え上がる鋭い目で捉えられ、思わずビクッと肩がはねてしまった。
殴られたら終わり、殴られたら終わりだ。
「それは本物か!? エハウィ様は必ず治るのか!?」
「ほ、本物です! ですが、病気を治すことができるかは、まだ……」
「やはり怪しいではないか!」
「ひっ…………、む」
いやでもさ、私は悪くない!
なんでそんなに睨まれなきゃならんのだ!
「でも、でも本物です!」
「ならそれをこの場で示してみせよ!」
心を強く持てユカリ! 心を燃やすのだ!
「いいですよわかりましたもちろんです!」
「キリヤ殿!」
「ユカリやめろ!」
「トラジロウは黙ってて!」
いいさ、やってやる!
そんなに疑うなら、どんな傷でもさっと治るのを、お前の目の前で見せてやる!
その目でよく見てろ!
ガッと腕を肩まで捲り、水筒とナイフを両手で持ち、広場の中央にどんと座る。
ほんの少しの輝く水を蓋に注ぎ、琥珀色の刃をギラリと見せつけるように左腕を高く上げる。
「いきますよく見てろ!」
そして、右腕めがけて勢いよく、勢いよく……。
「……、ちょっと待って……」
「ほら、出来ない! 偽物ではないか!」
「できる!」
ダメだ、自分でやるのは怖すぎる。
どうしても、最後の決心が。
大丈夫、一瞬スパッとするだけですよ。
優しい看護師さんを思い浮かべる。
すぐ治る、大丈夫。
大丈夫!
「いきます! っ、……、ちょっと!」
振り上げたナイフを奪われた。
「ほら、この後は。どうすんだ」
すぐ隣には腕から大量に血を流したレオンが。
「ねぇ何してんの!? バカなの!?」
「この後は?」
「あっ、あっ、ごめん!」
水筒を掴んで腕の傷にぶっかける。
鞄からハンカチを取り出して血と輝く液体を拭く。
ハンカチが真っ赤、彼の服もびしょびしょだ。
「おっ、おお? スッゲー、ほらよく見ろよ! うはくすぐってェ!」
「す、すごい」
「あの深さの傷が……消えた?」
「ヌータウ!」
「……す、すみません、でした」
「キリヤ! お前な、女の子が傷を……って、お、おい、なに泣いてんだよ!」
「ご、ごめん、レオンごめ、うぇ、ごめん、ごべんって、いたいの、ごめんね」
「あー、なぁ、泣くなって! あれくらいほっといても平気だから。もう痛みもねーし大丈夫だから!」
「ふっ、ん、むりだぁ……ぐすっ……わっ」
「ほーら、よしよし、大丈夫、大丈夫だぜ」
「ふぅ、ん、ぐすっ……ズズっズズズっ」
「うわ汚ェ! 鼻かめよ! あーもー!」
「レオン、これで頼む」
「ネコさんきゅ。ほら、キリヤ、ほら」
「んん、……ちーん!」
「ちょ自分で持てよ! ……はぁ」
「ごっ、めん、ねっ、……止まんない、よぉ……ぐす。トラジロぉ〜、トラジロぉ〜、うぇ」
「ユカリ! おまえ絶対吐くなよ!」
******
「取り乱してしまい、誠に、申し訳ございませんでした」
手をついて頭を下げた。
ジャパニーズ・ドケザ。
「おねぇちゃん、お目目まっかだよ」
「メルちゃんと同じだね」
「えへへ」
騒ぎを聞きつけてやってきたメルちゃんは、大泣きする私を見て何故か泣き出してしまったのだ。
今は二人して目を真っ赤に腫らしている。
鏡で見たら私ブッサイクなんだろうな。
絶対見たくない。
メルちゃんとトラジロウ以外私を見るんじゃない。
「…………」
「…………」
特に隣の男を見たくない。
私の涙と鼻水で汚してしまった男なんて見たくない。
気まず過ぎるんだよ……!
ちなみに涙鼻水まみれの服は里の人に洗ってもらったらしい。
今は風の民の服を着せられている。
私が縋り付いたせいで、お腹のあたりにべったりと血と涙と……鼻水を付けたレオン。
気にするなって言われたけどさ、気にしちゃうよね。
全力の土下座をして全力で謝ると「そんじゃあ貸し一つな」と言ってくれた。
レオンには一つどころか、パッと思いつくだけでもう三個ぐらいあるんだけど。
申し訳なさすぎて【風の峡谷】の深い谷底に紐なしバンジー案が浮かんでは消えてを繰り返している。
「本当に、本当に、すまなかった」
「すみませんでした……」
「私はいいです、レオンに言ってください」
「俺は大丈夫だ」
トラジロウはさっきから青毛を尖らせてヌータウとかいうおじさんを睨んでいるし、なんかもう大変だ。
カレタカさんが頭を下げたまま再び喋り出した。
「こんな無礼なことをしておいて、本当に失礼なのだが……、その水を少しでいいから、分けて貰えないだろうか。例え、見込みがないとしても、力を尽くしたいんだ……」
「あの、あの、頭を上げてください」
「頼む!」
「もちろんですよ! そのために持ってきたんですから」
「ありがとう……!」
「わっ」
めっちゃ強く抱きしめられた。
私も腕を回し、ぽんぽんと叩くと離してくれた。
苦しすぎる、内臓飛び出るかと思った。
「これなぁに?」
「お母様のお薬だよ。効くかは分からないけど、試して欲しいの」
「あ、ありがと、ありがとおねぇちゃん!」
身体がびっくりすると困るので薄めて何度も飲むようにと言ってから、コップに水を注いだ。
早速薄めたそれをメルちゃんがお母様のところに持っていった。
効くといいけど……。
「か、かあさまぁあ!」
「っ!?」
メルちゃんの声にカレタカさん、お兄さん、ヌータウさんと同時に立ち上がる。
どうしたんだ、まさか……!
親子のいる暖簾へと駆けつけた。
「エハウィ!」
そこにはなんと、メルちゃんを抱っこしながら立ち上がっているエハウィさんが。
「だ、大丈夫なのか、その薬は効いたのか!?」
「ええ。とっても楽になりました」
「エ、エハウィ様、顔色が随分良く……!」
「キリヤ殿ッ! 本当にありがとう!」
「うわ、メルロさんヌータウさん、その、苦しい」
「す、すみません」
「キリヤさん、ありがとうございます」
「はい! 効いて良かったです!」
私たちの様子を見て、中にいる全員が文字通り飛び跳ねて喜んだ。
その勢いのまま私はテントの外に運び出され、中央の広場で人生初の胴上げをされた。
おじさん達、めっちゃ怖かった。
滞空時間が三秒くらいだったんだけどヤバくね。
事情を聞き、エハウィさんの姿を見た里の人も飛び跳ねて喜びのステップを踏む。
いろんな人が嬉し涙を浮かべながら抱きついてきて、そのまま踊りに三人とも強制参加。
炎も踊り子もご飯もないけど、昨日の祭りとまんま同じだった。
しばらくすると族長と大巫女様が、休憩のための飲み物を飲んでいる私たち三人の元にやってきた。
「これが本題なのだが」
「キリヤさん、トラジロウさん、そしてレオンさん。シルヴェスティ様が貴方達に会いたいと仰っています」




