19 お願いします!!
女の人の声にピシャリと水を打ったようにその場が静まりかえる。
そして目を喜びで輝かせたメルちゃんが叫んだ。
「かあさま!」
「エハウィ! 起き上がって平気なのか?」
「ええ。それよりあなた、客人を前にその態度は如何なものかと」
テント奥の暖簾から出てきたのは、薄桃色の髪の美しい女性だった。
背筋をすっと伸ばし、凛とした姿で立つその姿は。
あぁ、救世主! 女神様だ!
同じように女神の雰囲気を感じ取ったトラジロウがすぐさま正気に戻る。
隣にきちんと座ったその様子にほっと胸を撫で下ろし、反対側でうずくまる男に目を向けた。
ブツブツと何かを呟き続ける生ける屍、リビングデッドと化したマッチョに強めの電気を流して蘇生させる。
かなり痛かったらしく即座に胸ぐら掴まれたけど、目が合うと彼はパッと慌ててその手を離した。
真っ赤な顔でチラチラと私を見ながら、ゆっくりと片手を結んで開いてにぎにぎ、もごもごと何かを口ごもる。
「…………った」
「え?」
「……悪かったって、言ってんだよ……」
「う、うむ……うむ……」
「その、だな……お前の、お、おっ……」
「……うむ、──む?」
──ま、まさか、コイツ……!
もしかして、照れてたのか!? 私に!?
いやいやいやいや、ないないないない。
それはただの自意識過剰というか、いやでもこのユカリちゃんの可愛さを持ってすれば導き出されるこの答えは当然の結果というか。いやいや胸に手を当ててよく考えろユカリちゃん。可愛さがどうたらこうたら言っているが、お前には彼氏がいたことな──
「ユカリ! いい加減! 周りを見ろ!」
「あう! あう! あう! ……はっ」
「お前もだこのヘンタイが!」
「イッテ!! イッてーなこの……はっ!」
怒涛の三連肉球ビンタ、そして脳天尻尾落としを食らって正気に戻った私達。
この状況にようやく気付いた彼もすぐさま姿勢を正した。
「……あの、騒いですみません」
「いいんですよ」
メルちゃんのお母様はピシッと座り直す私達三人に柔らかい空色の目を向けた。
「カレタカの妻、エハウィです。メルルを救っていただいたこと、心の底より感謝しております」
「こちらこそ、メルちゃんを助けられて良かったです。
えっと、私は──」
「キリヤ・ユカリさん、トラジロウさん、レオンさんですよね。ふふ、すみません。聞こえてしまったもので」
口に手を当ててクスクスと笑うその表情はどこかメルちゃんと似ているように感じる。
「かあさまー!」
「こらメルル、母さんに強く抱きつくな」
「あなた、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」
お母様はメルちゃんの近くに座ると家族でそっと抱きしめあった。
みんなが柔らかい笑顔で本当に仲が良い家族だとわかる。
そしてあることを思い出した。
これこそが私たちの旅の目的だ。
団欒の時間を邪魔するのは申し訳ないけど、これだけは譲れない。
トラジロウと目で合図を交わし、注目してもらうためにお腹に力を込めて声を発した。
「あの、すみません!」
「キリヤ殿、どうした?」
「どうか、私達を風の大精霊、シルヴェスティ様に会わせていただけないでしょうか!」
ぴくり、と空気が変わった。
風の大精霊を守護する一族の長、カレタカさんが真剣な表情で私の目を見る。
ついでに隣の筋肉男からも視線が突き刺さっているけど、こっちは無視、気付かないふりだ。ごめん。
「……我らが主に?」
「はい」
「いくら恩人と言えど、そう軽々しくお会いできるような方ではな──」
「ほんの少しだけでもいいので、どうか、お願いします!」
「頭を上げてくれ。理由を聞いても?」
「……魔力回路を、治療してもらいたいんです」
そう言うと、メルちゃんのお母様、エハウィさんにジッと胸を、心臓のあたりを見つめられた。
彼女の瞳に魔力が集中しているのがわかる。
もしかして魔力回路を視ているのだろうか。
だんだんと表情が険しくなっていく。
「あなた」
「……エハウィ」
「確かにキリヤさんと、トラジロウさんの魔力回路に異常があるわ。キリヤさんのは特に酷い。放置しておくと……、死んでしまいます」
「なんと……!」
「おねぇちゃん死んじゃうの!? やだやだ、メルやだよ!」
「……承知した。掛け合ってみよう」
「メルも!」
「あ、ありがとうございます……!」
トラジロウと一緒に三つ指と額をついて感謝した。
すると大きな手に肩を掴まれた。
ゆっくり顔を上げれば、目の前にいたのは渋い顔をしたカレタカさんだ。
「待ってくれ、まだ決まったわけではない。全ては風次第だ。
そして、私には主を守る義務がある。すぐに了承できなくて、すまなかった」
「ええ、それはわかっています」
滲み出る嬉し涙をトラジロウがぺろぺろ舐めてくれた。
私もふわふわな毛に頬を擦り付ける。
本当に良かった!
説明を求むというようなレオンの視線がさっきから私達にグサグサ突き刺さっている。
でも、これは言っても良いのだろうか。
きっと彼の想像よりずっと深刻だと思うし出会ってまだ三日だし。
言われても反応に困るだろうからやめよう。
「メルル。皆さんを連れて行って差し上げあげなさい」
「はーい」
視線に気付かない振りをしながら、メルちゃんに手を引かれてテントの外に出た。
それと同時に大きな手に手首を掴まれる。
レオンの手だ。
「おい」
「あ、ほら見て人が集まってるよ!」
外は騒がしく、何やら人集りができていた。広場のキャンプファイアーを取り囲んでいるようだ。
恐らく私に声を掛けようしたレオンも、その人集りが気になって一旦中止するらしい。
まだ掴まれたままだけど。
「おめでとうメルロ!」
「良かったわね、フィーナ!」
中の様子を気になってぴょんぴょん飛び跳ねたメルちゃんをお父様がひょいっと肩車してあげていた。
「すまない、通してくれ」
風の里の長であるカレタカさんがそう言うと人混みがさっと開けた。
隣に並んだ奥さんをエスコートしながらゆっくりとその道を進んでいく。
「ほら、前に行きなさいな」と知らない女性に背中を押され、二人の後をレオンに引っ張られてついていった。
「ンなっ!」
背が高くて先に様子を見たレオンが上擦った声を上げた。
何があるのかと楽しみにしながらトラジロウと広場を覗いた。
「うひゃー!」
広場の中央、赤く燃え上がる篝火の前で!
一組のカップルが抱き合っていたのだ!
メルロさんと、もう一人は知らない女の子だ。
女の子はおそらく私と同い年くらいで、鮮やかで美しい衣装を纏い、手首や足首など至る所に綺麗なアクセサリーをつけている。
炎の光を反射していて煌めくその様子は、すごくロマンティック!
彼女はメルロさんの肩に顔を埋めて抱きしめ合っているので顔は見えないけど、綺麗で素敵な子だと簡単に想像できる。
なにより纏うオーラが、神聖で美しい。
見つめ合い、どちらともなく身体を離した二人。
後ろで情熱的に燃え上がる炎に照らされ、美しい男女のシルエットが浮かび上がる。
二人は微笑みあい、見つめ合い……。
ゆっくり、おお……おお……キスをしたーっ!
「きゃー!」
「きゃー!」
「なっ、なっ、なっ」
ウワァァア! ウワァァア!
思わず頬っぺたを両手で押さえつける。
人の! 恋の! 成就を!
目の前で! 見たのは! 初めてだ!
それにこんな、こんな、熱烈なやつ!
ウワァァア!!!
「うふふ」
「ついに男になったか、我が息子よ……っ! あぁエハウィ!」
「や、あなたちょっと! んむぅ」
「きゃー!」
「きゃー!」
やっベー! これやっベーよ!
ニヤニヤが止まらない、抑えられない!
すぐ隣でも何故か熱烈キッスしてる大人がいるし!
落ち着け、落ち着け、女子高生。
これじゃ中学生のリアクションだ。
現代を生きていた女子高生なんだからしっかりしなくては。
顔を手でパタパタ扇けば、よし。大丈夫。
この広場は大歓声に包まれている。
みんな笑顔で二人のことを祝福して、……ん?
気付けば周りにいた夫婦もチュッチュしているではないかッ!
な、何てことだッ!
これはラブラブウイルスに感染したとみて、間違いない……!
よく見れば広場中の至る所にその感染者が。
どうやらパンデミックを起こしているようだ。
そしてすぐ近くに感染者がいる私も、この子も……感染しているのは確実ッ!
つまりは私も肩の上のこの子と──
「お、おい、おいおいおいキリヤ!」
「なに! 今忙しい!」
「何にだよ! なぁこれどォなってんの?」
「……見た、通りだと思うよ」
「ユカリ、苦しい」
「あっ、ごめん」
謎の理論を組み立てていた私は神の一声で我に返った。
あのままにされていたら確実に大変なことになっていた。
ここには謎の魔力を持つ篝火があるし、間違いを犯さぬようトラジロウを胸の前かつ、いつの間にか自由になっていた両手で抱っこすることにした。たぶん、レオンの好奇心は紛れたみたい。
ふと広場の奥に、巨大な牛がいた。
なんと大型自動車くらいある。異世界すごい。
それよりあの牛、全然動かない。力入ってないし寝てるの?ってくらい動かない。寝てるとしてもこんな賑やかな所だ。どんだけ図太いの。
それにしてもあのコロネみたいな捩れた一本角。
どっかで見たことあるような。うーむ。
「あそこの牛。どっかで見たことない?」
「ん。……あぁ、冒険者ギルドじゃないか? あの立派な角がそうだろう」
「あ、そっか」
突進されたらお腹にぽっかり穴があきそうなあの角は、ギルドの正面に掛かってた頭蓋骨と同じだ。
あんなに大きいのか。
踏み潰されたら骨折じゃ済まなそう。
「ありゃスクルホーンってんだ」
「知ってるの?」
「あぁ。あの街のギルドじゃ、アレを仕留めりゃベテランだって聞いたぜ」
「へぇー! そうなんだ!」
「つまりはあのメルロって奴、相当できるらしい」
「えっ」
「ほら、あそこ。刺さってんだろ?」
「……あ、あった! 本当に一突きじゃん」
レオンの指が示す所をよくよく見れば、胸に一本、見覚えのある槍が深々と刺さっていた。
あれはメルロさんの槍だ。
噂通り、獲物の心臓を一突きである。
その時一際歓声が大きくなった。
広場の中央にいた二人かこちらへ一歩一歩手を繋ぎながら向かってきたのだ。
正しくはメルちゃんのお父様とお母様のもとに。
「フィーナのお父様お母様、俺は彼女と、フィーナと結婚します」
「カレタカ様、エハウィ様、メルル様、どうかお許しください」
あんなに騒がしかった周りの音がサッと消えた。
この場はあの篝火の燃え、薪が弾ける音で満たされる。
ここにいる全ての人間に注目されながら、メルちゃんのお父様が圧倒的雰囲気を放ちながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ああ、分かった。それなら」
「…………」
カレタカさんの隣から大男が現れた。
恐らくあの男の人が彼女のお父さんだ。
カレタカさん程ではないが、ムキムキマッチョだ。
腕から生えた羽根はメルロさんよりもずっと大きく黒々としている。
娘に婚約を申し込んだ男を睨む父親の目は威圧感に溢れていた。
「…………」
「…………」
ゴクリと唾を飲み込む。
婚約者のお父さんと娘さんを僕にくださいバトルが──
「祭りだァァアー!」
「うぉぉぉおおおお!」
「アワワワワァアー!」
「えぇ!?」
再び大歓声に包まれ、突然ドンドコ響き始める太鼓の音。
その胸の底まで共鳴するような力強い音に合わせて、篝火の周りを風の民の人々が飛び跳ね始めた。
嬉しい時のメルちゃんのように腕の羽根を動かして、老若男女がぴょんぴょん飛び跳ねる。
羽根で飾られた衣服を着たダンサーも混じって跳ねる。
カレタカさんと婚約者のお父さんもその中に混じって、ひときわ目立つ高さで跳ねる。
音楽には笛の音が入り、広場はますます大盛況。
「どうなってんだ」
「トラジロウちゃん、わたし、追いつけません」
「おれもだ」