18 乙女の屈辱
案内されたのは里の中央にある一番大きなテントの中。
広さは直径十五メートルくらいだろう。
「…………」
テント内中央の一段高い場に、その人は座っていた。
胡座をかいた薄桃色の髪の男性だ。
瞑想をしているかのように、静かに目を閉じている。
飾り羽の冠はこのテントに向かうまでに見た中で一番大きくて立派なものだ。
蝋燭の灯りに褐色の肌が照らされ、隆々とした筋肉が美しい陰影を生み出している。
幾つも傷の残る褐色の肌に、がっしりと筋肉が付いた鋼の肉体。
私達を見定めようと開かれた眼はワシのように鋭かった。
まさに歴戦の戦士という風貌の男だ。
「ととさま〜」
大きな肩にはメルちゃんが乗っかって、甘えるようにじゃれついている。
どうやらあの方がメルちゃんのお父様らしい。
「……メルル、降りなさい」
「はーい」
「失礼。そこへ座ってくれ」
用意された敷物の上に正座をした。
レオンはなんと胡座だ。大丈夫なのかなと思ったけど、メルちゃんのお兄さんも胡座で座ったので多分大丈夫なんだろう。ちなみにメルちゃんはお兄さんの隣であひる座り。異文化の作法はよくわからない。私も胡座の方が良いのかな。
というか、こんなに悩むことじゃないでしょう。
落ち着きましょうね、縁ちゃん。
「さて」
空気がピンと張り詰める。
「私はこの里の長、カレタカだ。
そして息子のメルロ、娘のメルル。
そちらは?」
「……」
「わ、私は旅人の桐谷縁です。この子は雷の精霊のトラジロウといいます」
「……、レオンだ。賞金稼ぎをしている」
「父さん、彼の名はレオンです」
「そうか」
お父様はカレタカさん、お兄様はメルロさんというらしい。
お父様と目があった。
メルちゃんとは違う茶色の瞳だ。
目力半端なくて目が逸らせない。
しばらく目を合わされ、そしてふっと視線が右隣のトラジロウ、そして左隣のレオンに向けられた。
「キリヤ殿、トラジロウ殿、そしてレオン殿。
娘を、メルルを助けてくれたこと、感謝する。本当に、ありがとう」
カレタカさんは深く深く頭を下げた。
大きな背中が見えるくらいに。
「い、いえ。私はメルち、メルルちゃんと一緒に捕まっていましたし、助けてくれたのはこの二人で……」
「くくくくく、あっはっはっは!」
「えっ?」
急にカレタカさんの大きな肩が震えだし、そしてついに大声で笑い始めた。
「キリヤ殿! 貴方は風の言語を使えると聞いていたが本当なんだな!」
「えっ、風の言語ってだから」
「メルロの嫁に来るかぁ!?」
「父さん!」
「あっはっは、すまんすまん」
風の民の長は大口を開けて笑い、メルロさんの肩にガッチリ腕を回す。
メルちゃんもその中に飛び込んで、ワイワイ楽しそうなじゃれ合いが始まった。
雰囲気変わりすぎだろ。
なんだ、何処にでもいそうな親父じゃないか。
いや、あんなムキムキお父さんはそうそういないだろうけど。
現に私のお父さんは中年メタボである。
健康のためにも運動してほしいくらいだ。
というか!
雰囲気詐欺だ! 力抜けたわ!
「キリヤ、何が起こってる」
「急に笑い始めた」
「見たまんまじゃねーか」
ハァ〜と溜息をついて私達を放ってじゃれてる家族(主に父と娘)をみてから、私にまた目を向ける。
訳がわからないのはこっちも一緒なのよ。
「キリヤ、お前言葉分かるんだろ? 向こうにはオメーの言葉が伝わってるみてーだし」
「え、レオンだってそうだよね?」
「いや、俺にはアイツらが何つってんのか、全く分かんねェ」
「えぇ!? 嘘だ!」
「ここでウソ吐く必要ねェだろ」
何言ってるのか、分からない!?
「でもメルちゃんと楽しそうにしてたじゃん」
「ハァ? 簡単な会話なら表情だけで十分だろ」
「そうなんですか」
レオンが言うならそうなんだろうな。
島国日本で外国人とは無縁の暮らしをしていた私にはさっぱり。
トラジロウを膝に乗せて、抱っこして自分の混乱を抑える。
「なに、自覚してなかったワケ?」
「自覚も何も……ね。トラジロウ」
「あぁ、お前も理解していると思っていた」
「へいへいそーかよ。なら、あのおっさんが頭下げた後、何つってた。全く状況が掴めねェんだけど」
「メルちゃんのお父様のカレタカさんと、お兄様のメルロさんだよ。えっとね……」
名前を教えてから少し前のことを思い出そうとすると、「あぁ、それと」とまたレオンに引き戻される。
「お前な。人があんな頭下げて感謝してんなら謙遜すんな。おっさんに失礼だぜ」
「……ん、次からそうする。ありがと」
「あぁ。んで? 何つってた」
「突然笑い出して、聞いていた通り私が風の言語を使えるのかって言って、メルロの嫁に来るかって……嫁!?」
嫁。突然の嫁。
会ってすぐ嫁。
お付き合いもお見合いもせずに嫁。
「いやいやいやいや、ないないないない」
「ハァ!? ま、まさか嫁って、あの嫁!? お前がァ? ブッ、ブククッ……だっはっはっは! やっべぇチョーウケる!」
突如笑い始めたレオンにばしばし背中を叩かれる。
お父さん並みに大きく口を開けてゲラゲラだ。
ひーひー言ってるし。
何が、どこらへんがツボった。
嫁。嫁か。
私が嫁になる発言にツボったのか。
なにコイツすっごくムカつくんだけど。
「うるさいな! 私だっていつかお嫁さんになるわ! バカにするな笑うな! 痛い!」
「ブククッ、ブクッ、お、男のお前がどォーやって嫁になんだよ!」
「は?」
「確かに可愛い顔してっけどよ、なるのは旦那だろ! 本当にバカなの!? だっはっはっは! ひー、腹いてー!」
「は?」
は?
「いや、私女だから嫁だけど」
「ゴホッゴホッ、……は?」
「だから、私女だから嫁だけど」
「……お前が、女ァ?」
「何度も言わせないでくれ……もしかして」
「……ま、まさか、お前……!?」
自分の声がどんどん低くなっていくのが分かった。
それに反比例するかのようにレオンの顔はどんどん赤みが増していく。
「私のこと男だと思ってたの!?」
むにゅ。
叫ぶのと同時に、レオンの手が私の胸に伸ばされた。
確かめるように手が動かされる。は? え?
「お、おんな……?」
「あ、……アホかぁぁあ!」
「へぶぅ!」
首を傾けようとしたレオンを。
迷わず、思いっきり、平手打ちした。
パァンと子気味良い音が響き渡る。
「し、信じらんない! バカアホマヌケ! このスカポンタン!」
こ、こいつ私のお胸を!
万死に値する! この変態野郎め!
……と叫びたいところだが!
イケメンを引っ叩いてしまった私が晒し首の刑に処されるかもしれない。
そうかこれが格差社会。
そんな事より!!!
出会ってまだ三日とはいっても、三日もずっと一緒にいて、ずっと私の事を男って思ってたなんて!
信じられない!
思い出してみれば、あのお姉さんも、お兄さんも私の事を坊やとか、小僧とか……!
お、お胸はあるんだぞ! 舐めるな!
そうか、女子力がないのか!
女子オーラがないのか!? 涙が。
というか何? さっき胸触っといて女?
だってぇ? はぁ? ぶちのめすぞ!
「キ、キリヤが、おんなのこ……お、おれ」
「…………」
レオンは打たれた頬を押さえて、私のアレを鷲掴みにした方の手を呆然と見ている。
発色の良い健康的な肌は完熟りんごのように真っ赤になっている。
レオンが余りにも酷く混乱してヒートアップしてるからか、私の心は逆にクールダウンしていった。
「……一緒の……」
「れ、レオンさぁーん。ダメだこりゃ」
駄目だこんな動揺するなんて。
私のビンタくらい軽々と避けられる筈だし。どんだけ動揺してるの何だコイツ。
ああ、私ほど女子力ない女に初めて出会ったってか。
そっすか。やっぱイケメン様は違いますね!
そしてなんでこんな大事な時に!
…………。
「ねぇ、トラジロウちゃん……」
「何だ」
「私そんなに男に見える?」
「おれにとってユカリはユカリなんだが」
「そういう問題じゃなくて!」
「なら匂いでオスメスわかる。ユカリはメスだ」
「はぁトラジロウちゃんすき……」
「おれも。はぁ、やわらかい……」
そしてトラジロウが私の胸に顔を埋めてきた。
この冷静沈着な雷の精霊様が最後のまともな思考の持ち主であり、心の平和を保持する上での最重要人物だ。
「なぁ。さっきから、ヨメって何なんだ?」
「結婚だよ、マリッジだよ、誓いのキスだよトラジロウ」
「ちゃんと喋ってくれ。おれにも分かりやすく」
「お嫁さんだよ。旦那さんが師──」
「だっダメだ!」
ついにトラジロウが叫びだした。
ついに膝から降りて叫びだした。
ついにこの子もぶっ飛んだ。
「ダメだダメだ! ダメだー!」
「私は大歓迎だぞ、キリヤ殿!」
「いえ、そ、そんな、いきなり嫁だなんてそんな事言われても! あっはは、あっはは、あっは……メルロさんだって、そんなにカッコいいんですから大切な人がいるんじゃないですか? ですよね、ねー?」
「……父上の決定、なら、俺は……」
「エッ、と、えっと……」
「……おれは、おんなのこに、汚物の、ゲロの処理を……」
「……俺は、……」
「俺は?」
「ダメだー!」
「……おれは、なんてことを……」
「いや、俺は!」
「俺は!?」
「ダメだ!」
「おねぇちゃんとあにさま、つがいになるの!?」
「ならない!」
「えぇなんでー! じゃあ! じゃあ!」
「フィ、フィーナ! 今行くぞ、フィーナぁぁ!」
「そうだそうだ、さぁ行け行け! ガッハッハッハッ」
「ぐふっ! メ、メルちゃ」
「じゃあメルとつがいになろーよ!」
「エッ」
「ダメだダメだ! 絶対ダメだー!」
だめ、もうカオス、ダメ、何なのこれ。
メルロさん走って出て行ったし。
なにこれ、さっきまでのあの雰囲気がいいんだけど。
ねぇ、ねぇ、ねぇ!
あの厳かな雰囲気が良いんだけどー!
誰か、誰か、誰かぁ!
「何をしているのです!」