9 幼女メルたん
「取れそう?」
「むぅー、むずかしい……」
この子の名前はメルルちゃん。
薄桃色のボブヘアーで青空色の瞳をもつ、五才の女の子だ。
どうやら私に懐いてくれたらしい。
泣き止んだ後からぴったりくっついて離れない。
こんな状況で不謹慎だと思うけどメルたんめっちゃ可愛い。
泣き腫らした後だからぷっくりと目蓋が膨らんでしまってはいるけど、元気の良さそうなくりくりお目目や、ふっくら柔らかそうな頬や唇をもつお顔がとても可愛らしい。
よく見るとふくよかな頬にはフェイスペイントのような跡が薄っすらと残っている。
きっと私が牢屋にぶち込まれる前から流した涙で落ちてしまったのだろう。
腕に生えているのは、薄桃色の可愛らしい羽根。
なんとこの子は風の民なのだそうだ。
自慢げに広げて見せながら教えてくれた。
探していた風の民に図らずもこんな所で出会ってしまうなんて。
運が良いのか悪いのか。なんとも複雑な気分だ。
普段は【風の峡谷】で生活し滅多に人の住む街に降りてこないと言われる風の民。
ましてやメルちゃんのような小さな女の子が、何故こんな所にいるのか。
お兄ちゃんに内緒でお母さんのために薬草を取りに行った時に、捕まってしまったそうなのだ。
約束を破ったからお兄ちゃんはメルのこと迎えに来てくれないの、とあの後また泣き出してしまったから大変だった。
肌触りのいい紺色の布に顔を埋めてもらうと落ち着いてくれた。
マフラーすごい。
「むぅ〜」
私と違ってメルちゃんは前で手を縛られていた。
だから私の縄を解くことができるかチャレンジしてもらっている。
しかし大人の男が縛った縄を幼い女の子が解けるはずもなく。
「できない……ごめんなさい……」
「ううん、全然大丈夫だよ!」
しゅんとしぼんでしまったメルちゃんに申し訳ない気持ちで一杯になる。
桃色の髪を撫でようにも、腕を縛られていては無理だ。悔しい。
この子に頼む前にも、縄を地面や鉄格子にグリグリ擦ったりしてみたけど全然ダメだったのだ。
安っぽいのに毛羽立ったりすらしない。
鋭いもの、硬くて薄いものがあれば……あ!
「メルちゃん、私の首にある紐、引っ張れる?」
「できる!」
「じゃあまずは、マフラーを取ってね」
ストレッチする時のように脚を開いて前かがみになった。
開脚前屈だ!
メルちゃんには頭の前に来てもらう。
こうすれば五歳児のこの子にとって丁度いい高さだ。
毎晩ストレッチしててよかった。
体の柔らかさには自信がある。
「んふふ、おねぇちゃんのいい匂い〜」
「そうでしょうそうでしょう」
首から取ったマフラーに顔を埋めている。
楽しそうで何よりだ。
「じゃあ紐を引っ張ってね」
「これかなぁ。えい!」
「お願、っ!」
お、おお……。
首には紐が二本あるのをすっかり忘れていた。
メルちゃんが引っ張ったのは私のブ、ブラの紐だった。
背中と首の後ろで結んで着る、所謂ホルターネックタイプ。
私の世界のではなくて、師匠の奥さんと協力して開発したものだ。
異世界に来た時の下着一組で過ごすのはどう考えても衛生的にヤバい。
蝶々結びになっているそれは、メルちゃんが引っ張ったら簡単に解けてしまったのだ。
ワ〜オ♡なハプニングも私のは需要ない!
解けてしまった物は手が自由になった後に結び直すとして。
「おねぇちゃんできたよ! こんどは?」
私のお願いを次々に達成できたのが嬉しいようだ。
メルちゃんは空色の目が輝いて、ヤル気満々だ。可愛い。
「ありがとう。次はもう一つの方を引っ張ってくれるかな?」
「わかった!」
首の後ろの革紐を引っ張ると弛んでいた分の紐が現れる。
「次はその紐を頭から抜いてください!」
「わかった!」
あとは頭から紐を抜くだけなのだけど。
幼いメルちゃんの腕は短い上に、縄で縛られているのでこれがなかなか大変だ。
メルちゃんのお腹に顔を潰されたり、腕の羽でむずむずしたりしたけど、なんとか取ることが出来た。
「メルちゃんありがとう!」
「どーいたしまして!」
「じゃあそれ、私に貸して?」
「うん!」
取り出したのはトラジロウのお父さん、古黒龍リヴェル様の鱗を加工して革紐を通した首飾りだ。
なんとリヴェル様が旅のお守りとして私にくれたのだ。
ありがたや!
リヴェル様の鱗といってもこれは私の手のひらに収まるほど小さい。
鱗の側面はかなり鋭いため、小さな鞘に入っているのだ。
これならきっと縄が切れる筈。
「……いてっ」
縄を切ろうと後ろ手で頑張る。
けど、なかなか映画のようには上手くいかず、何回かトライするうちに何本も手に傷がついてしまった。
まぁ、宿に帰れば妖精の水があるから何も心配はないの。
手首さえ切らなければね。
「メルがやる!」
「危ないからダメだよ」
「できる! メルできるもん!」
手から鋭利な鱗を奪われた。
メルちゃんが怪我をしないか、ヒヤヒヤしながらじっと待っているとブチリという音と一緒に縄の締め付けが一気に緩くなった。
遂に解くことができたのだ。
今度は私がメルちゃんの手を傷付けないようにそっと、幼い手を縛る忌々しい縄を切った。
二人して自由になったところで小さな体を抱きしめた。
リヴェル様、ありがとうございます!
「メルちゃん、危ないことはしちゃダメなのよ」
「……ごめんなさい」
「でも助かったよ。メルちゃん、ありがとう!」
「っ! ねぇねぇ、メルすごい? メルえらい?」
「とってもすごいし、とっても偉いよ!」
「えへへへ」
しょんぼりから一瞬でパァアと花が咲いた。
なんなんだこの可愛い子は。頭をわしゃわしゃ撫でるときゃぁーといって喜んでくれる。
なんなんだこの可愛い子は。
私の首元に顔を埋めて、おねぇちゃんいいにおい〜!
なんて言いながらすりすりしてくる姿はもう天使。
マフラーさまさまだ。
頭を撫でれば嬉しそうに手にすり寄ってくる。
なんなんだこの可愛い子は。
なにがなんでも絶対守らなければ。
「今からここを脱出します。メル隊員、準備はできましたか?」
「はい! ばっちりです!」
元気のある、とても良い返事だ。
右手をぴっと上げながらぴょんぴょんジャンプ!
全力で自己主張してくるのがもう本当に可愛い。
首にマフラーを巻いてあげたときも嬉しそうにぴょんぴょん跳ねていた。
ちなみにマフラーはこの子には長過ぎるので、踏んで転ばないように後ろでリボン結びになっている。
リボンマフラー、可愛すぎる。
一通り撫でくりまわした後、首飾りを首にかけ、例の紐も結び直した。
私の準備もバッチリだ。
ここからメルちゃんを連れて脱出する。
とりあえず鉄格子に体当たりしてみたのだけど予想通りびくともしない。
隙間から手を伸ばしても、鍵のある机に手が届くはずもなく。
小さなメルちゃんも抜け出そうと頑張ってくれたのだけど無理だった。
ならば力技で行くしかないだろう!
「メルちゃん、危ないからちょっと下がっててね」
「うん!」
腕を前に出してイメージを膨らませる。
私の背中には幼い女の子のキラキラと期待のこもった視線が突き刺さっている。責任重大だ。
師匠は杖がなくても魔法は使えると言っていた。
あのゲス男こと、ゲマインだってやっていた。
なら私にもできる筈。いや、できるのだ!
身体の周りに魔力を漂わせるイメージをしたあと、鉄格子をぶっ壊すような風をイメージする。
スパッと切れる鋭い風の方がいい。
さくさく邪魔な物を切り取る鎌だ。
「精霊トラジロウ、我が道を切り開く力を授けよ……、《風の大鎌》!」
「きゃぁー!」
手から風切り音とともに風の刃が放たれる。
が、表面を少し傷付けるだけで鉄格子を切断することはできなかった。
ちょっと、いや、かなり言うのが恥ずかしい詠唱というものをしてみたけどダメだったか。
ぶっつけはダメらしい。
やっぱりトラジロウもいないし、杖がないと威力が出ないのかもしれないな……。
振り向くとメルちゃんが不安そうな顔をしていた。
「おねぇちゃん……」
「い、今のは準備運動だから大丈夫。次が本番だからね!」
「うん、がんばれ〜」
慌ててにっと笑って誤魔化してまた魔法を使うために構える。
威力を上げるために今度はもっと細かくイメージだ。
身体の中の魔力回路を感じるように。
周りの空気を固めて圧縮して……。
鉄格子を滑らかに切断するように。
「大いなる精霊ト──うわぁ!」
「きゃぁぁあ!」
突然アジトが大きく揺れた。
ボードロ盗賊団のアジトに爆発音が響く。
咄嗟に魔法を中断してメルちゃんを抱きしめた。
全身の毛が逆立つような刺激が走る。
岩壁からは小さな欠片が落ちた。
揺れが収まるとアジトの至る所から男達の騒ぎ声が聞こえはじめた。
「お、おねぇちゃん、メルこわいよ」
「大丈夫!」
この体がピリピリとする感覚、今のはもしかして。
目を閉じて精神を研ぎ澄ます。
近くには待ち望んでいた気配がある。
「仲間が助けに来てくれたみたい」
「ほんと!?」
「今度こそ本当に、もう大丈夫だよ!」
「よかったぁ〜」
「ん! 私の後ろに隠れて!」
「んきゃぅ」
見知らぬ気配がこの部屋に走って向かってきている。
すぐにメルちゃんを背中に隠すと私も自分の手を後ろに隠した。
その直後さっきのゴロツキの一人が部屋に入ってきた。
ぜぇぜぇと息を切らしながら何も言わずに机から鍵を取ると、男はこちらに急いで近づいてきた。
幼い子が震えるのがわかった。
いつでも、すぐに、飛び出せるように構える。
「おいおめぇら早く出てこい! いいか、抵抗したら殴るからな!」
「な、何があったんですか!?」
「いいから出てこい!」
チャンスは今だ、今しかない。
私達を連れ出そうと、牢屋の鍵を開けて男が中に入ってきた。
すかさず男に体当たりをして、バチバチと電気を纏った指先で男の首筋を思いっきり突く。
名付けて、地獄突きゆかりバージョン!
「うぎゃぁぁー!」
私に襲われるなんて思ってもいなかったであろう男は、悲鳴を上げて硬い岩の地面に倒れこんだ。
「…………ほ」
足でつついても白眼を剥いたまま動かない。
胸は上下しているので本当に気絶しているようだ。
死なないように手加減できた!
「よし、逃げるよ!」
「おねぇちゃんかっこいい!」
メルちゃんを抱き上げて鉄格子の小さな扉から抜け出そうとしたところ、見知った二つの気配がどんどんこちらに近づいてくるのがわかった。
こっちだと案内するような声とともに男たちの悲鳴がすぐ近くで聞こえる。
「トラジロウ!」
遂に、救世主二人組が部屋の中に飛び込んできた。
その勢いのままレオンが手に持った大きな剣を振りかぶる。
えっ、ちょ、危なっ。
「キリヤ! 離れてろ!」
あの剣から何かヤバイ雰囲気を感じ取った。
牢屋の角に走りレオンに背中を向けてメルちゃんを抱きしめる。
その瞬間、背中に凄まじい熱を感じた。
服を通り抜け肌を焼くような熱量。
その熱は一瞬で消えたが、狭い部屋の温度は一気に上昇した。
ガタンという音に顔を上げて振り返ると、なんと鉄格子が焼き切れた。
人が普通に抜け出せるくらいの大きな穴ができていた。マジかよ。
すぐさま其処から愛しの彼が飛び込んできた。
「ユカリ!」
「トラジロウ!」
精霊を抱きとめるべく両手を伸ばす。
ついに感動の再会!
さぁ、トラジロウ、私の胸に飛び込んできて!
目と目があって心と心が通じ合ったフライング・トラジロウは、大きな肉球のついた手を振り上げ……た。
え、なんで……?
「痛ったぁぁぁぁあ!!」
「お前何やってんだバカ野郎! 勝手にいなくなって、捕まって! バカだろ! このバカ!」
この青トラネコは着地の勢いを利用して、頭をスパァンと引っ叩いてきたのだ。
しかも体重をわざわざ重くして!
精霊であるトラジロウは自分の体重を変えられるという、全世界の乙女が羨む能力を持っている。
それなのに、わざわざ重くして!
こ、コイツ……! なんて奴だ!
「……そんなにバカバカ言う必要ないでしょ!」
「バカにバカと言って何が悪いんだ! バカ! アホ! マヌケ!」
「やめてよ! 元はといえばトラジロウが私を置いてったからじゃん!」
「うるさい! どれだけおれが心配したと思っているんだ!」
「助けに来てくれたんだからもーいいでしょ!」
「ああそうだ感謝しろ! お前が無事でよかった!」
「助けに来てくれてホントありがとう!」
「ほ、本当に無事で、よかったぁ……!」
「ト、トラジロォ……!」
「ユカリ!」