プロローグ
──おい、ユカリ
……うん?
──ユカリ、起きろよ
……うん……。
──起きろってば!
「うぁぁぁぁぁああああ!!」
突然身体を襲った激しい痛みに飛び起きた。
痺れる上半身を起こしてその場に座り込む。
いっててて……。
視界に飛び込んできたのは雲ひとつない青い空。
視線を下せば木、木、木。
そして大小様々な大きさの水晶。
正面にはお日様の光を浴びてキラキラと輝く巨大な黄色い水晶。
ここどこ……いや、見覚えがある。
というかバッチリ覚えている。
なんだ夢か。
勝手知ったる家ならぬ、勝手知ったる森でふわぁ〜とアクビを一つ。
そして周りを見渡した。
ここは広大な森の中にぽっかり開けた空間。
夢の始まりはいつもここ。
この巨大な黄色い水晶の広場からだ。
私、桐谷縁は幼い頃から夢を見ている。
山のように大きな青いトラがでてくる、不思議な不思議な夢だ。
森に溶け込む青と黒の立派な縞模様。
獲物を見定める黄金色の双眸。
雷を自在に操る額から生えた二本の太い角。
狙った獲物は逃さない、太く鋭い牙と爪。
大きな岩をもひと蹴りで砕く強靭な足腰。
悠々と森を歩くその姿からは王者の風格さえ感じる。
【雷の精霊】というとても神聖な存在らしい。
そんな彼の名前はトラジロウ。
見た目とは大違いのとても可愛らしい名前だけど、当時の名付け親は幼稚園児だったことを考慮すれば納得していただけるだろう。
夢の中では現実ではできないあんな事、こんな事、なんでもできる。
お腹に顔をうずめてモフモフしたり
(毛はちょっと硬め)
肉まんサイズの肉球の感触を楽しんだり
(肉球もちょっと硬め)
森の中を駆け回ってかくれんぼしたり
(裸足だからちょっと痛い)
内容のないような話をしたり……。
(喋るのはおもに私)
なんでもできる、そう、スペシャルな夢なのだ!
そろそろ森の中から出てきてくれる筈なんだけど……来ない。
もしかすると既に森のハンターとの隠れんぼが始まっているのかも、との考えが浮かんだけど焦る必要はない。トラジロウ捜索力がカンストしている私にとって、見つけ出すのは容易いことだ。
「……暑い」
それにしても、なんだか暑い。
あぁ、コートとマフラーを着てるからか。
防寒具を脱げばその下には制服が。
まさか、と思って足元を見ると思った通り。
靴下とローファーも履いたままだった。
なんでだ。
どんなに疲れていてもお風呂を済ませてパジャマで寝るのが主義なんだけど。
昨日は学校終わりにバイトに行って、それから、いつもどおり自転車で家に──
ここで突然、頭にキィーンと鋭い痛みが走った。
……考えるのはやめよう。
思考を停止させ、畳んだコートとマフラーを適当に放り投げた、そのときだ。
「うお!」
聞き覚えのある声がした。
だいぶ昔、まだ私が小さかった頃に聞いたような……。
「ここ、下だ!」
「あ、ごめ…………ンン!?」
慌ててコートを取り上げた。
すぐ右隣には青いネコちゃんが、いや、トラの赤ちゃんがいた。
少し不機嫌そうにしながら乱れた縞模様を綺麗に整えている。
「……なに」
私をジトっと見上げるその金色の眼にも何だかすごく見覚えがある。
おでこに生えた二本の角はまだ小さくて可愛らしい。
すごく懐かしいというか、なんというか……もしかして──
「……トラジロウ……?」
「……そうだけ、うにゃっ」
「トラジロウちゃん、その格好どうしたの? ふへへ、かわいいね……」
思わず目の前のふわふわ青毛玉を抱きしめた。
そう、この青いネコちゃん、いや、トラの赤ちゃんの正体は……なんと、【雷の精霊】のトラジロウだったのだ!
あの、肉球が肉まんサイズの巨大なトラが!
こんなにちっちゃく!
抱きしめても腕が有り余るほどちっちゃくなって!
なんだかいつもよりも感触が柔らかいというか、リアルでふわふわ……。
そして今うにゃって、うにゃって……。
トラジロウちゃん可愛いよ……。
「ユカリ、ちょっと待て!
大事な話かあるんだ。それはあとで」
ここでトラジロウストップがかかる。
彼から身体を離すと何やら、かなり真剣な顔をしていた。
そんなに大事な話かのかと背筋を伸ばして正座に座り直した。
トラジロウの綺麗な黄金の瞳が何かを決心したように強く輝く。
一人でこくんと頷いてから、彼はゆっくりと口を開いた。
「──というわけなんだ、ごめん」
トラジロウは泣きそうな、いつもと違って頼りない表情をしていた。
ゆっくりと手を伸ばせば、うっかり窓ガラスを割った子どものようにびくりと身体をすくめられた。
気にせず小さな頭に手を乗せて、がしがしと犬を撫でるようにふわふわの青毛を掻き回す。
俯いたトラジロウを膝に乗せてハグをしてぽんぽんと背中を叩いた。
こんなに落ち込むなんて珍しい。
彼の言っていた話をまとめるとだね。
私はトラジロウが暮らす世界に来てしまったらしい!
ここは夢じゃなくて、現実なんだそうだ!
私はひき逃げ事故に遭ったらしい。
らしいというのは私が覚えてないからだ。無理やり思い出そうとすると頭が痛くなるのでやめておく。
夢の中でいつものように私を待っていたトラジロウは、森の大水晶に死にそうな私が映ったのを見た。何としても助けようと、無我夢中で私の名前を叫んでいたら突然気を失ったそうだ。
目が覚めたら隣で私が気持ち良さそうに寝ていたと。
そして彼は赤ちゃんサイズになっていたと。
しかし、彼が落ち込んでいるのは私をこの世界に連れてきたからではない。
元の世界に戻す方法が分からないからだ。
私を助けるためにどんな魔法を使い、何をしたのか覚えていない。
帰る方法が存在するのか、それすらも不明であると。
可愛いトラ耳もヒゲも力なく垂れている。
いつもはキラキラ輝く金色の瞳にも元気がない。
しょぼーんの顔文字と一緒だ。
相当責任を感じているらしい。
「ふふ……」
「何がおかしい」
「あのままだったら私、死んでたんでしょ?」
「……そうだ」
ポツリと声が帰ってきた。
生真面目な精霊さんは私の肩に頭を乗せている。
「だったら一回死んで、第二の人生がスタートしたってことでしょ。それなら楽しまなくちゃ!」
「……」
死んで消える筈の命を助けてもらえるだけラッキーだったのに、元の世界に返せだなんて。
いくら何でも図々しすぎる。
「トラジロウもいるからひとりぼっちじゃないし、これからは毎日会えるじゃん。最高だよ!」
「ユカリ……!」
あともう一押し!
「それとも、トラジロウはイヤだった……?」
「そんなはずないだろう、おれも嬉しい!」
「トラジロウ!」
うぉぉぉぉおお!
青い毛並みを激しく掻き回した。
元気だせよぉおー!
赤ちゃんトラの顔を手で挟んでぐりぐりこする。
あはは、変な顔。
次第にトラジロウは腕の中で身をよじって軽い抵抗をはじめたので、ぐりぐり攻撃を止め腕から解放した。
「ってことで、トラジロウちゃん。助けてくれてありがとう!」
「ああ!」
笑いながら挨拶をすると元気良く返してくれた。
金色の瞳はいつも通りキラキラと輝いている。
落ち込みモードから復活したようだ。
小さくなった身体でグッと力強く胸を張っている。可愛い。
太陽の光がやさしく届く異世界の森のどこか。
しばらくの間のんびりと過ごす。
私のお腹の上にトラジロウが乗るという今までとは真逆の体勢だけど、あぁ、とっても落ち着く。
心が安らぐってこういうことだね。
異世界に来たという不安もある。
だけど、トラジロウがいれば大丈夫。
そんな気がした。
******
っていうのがおよそ20日前の話。
「光栄に思え、下等なる人間の小娘よ」
そして現在私は──
「この偉大なる古黒竜、リヴェル・ゼナルティア・ノブルオージェンの背に乗れることを!」
高貴なるドラゴンの上にいます!
これから古黒竜リヴェル様の背に乗って大空へ飛び立つ。
大海原を越え、大陸のとある場所を目指すのだ!
「しっかり掴め。準備は良いか」
「はい、父さん!」
「バッチリです!」
「うむ」
お腹にきつく巻いてあるツタを強く引っ張った。
体が抜けないのを確認をしてから声を張り上げて返事をした。
この頼りないツタが私たちの命綱だ。
飛んでいる途中で千切れたりしませんように!
光沢のある鱗を掴んで身体に力を込めた。
すると腕の間にいる小さな青い毛玉がモゾモゾと動く。
「トラジロウ本当に大丈夫? 苦しくない?」
ベストポジションを探っているらしい。
しばらくするとふわふわの青い毛玉は大人しくなった。
「あぁ平気だ。ユカリ、お前こそ落ちるなよ」
「は〜い」
「おい。適当な返事をするな」
「ごめんごめん」
「ごめんなさいは一回だ!」
「すいません」
「まったく、お前はいつもいつも──」
私がこの世界に来て、およそ20日。
とんでもない事態が起こっていたのだ。
「小娘、貴様の余命は五十日だ」
金銀財宝で埋め尽くされた大神殿の内部。
そこにはトラジロウのお父様が住んでいらっしゃる。
その名も、古黒竜リヴェル・ゼナルティア・ノブルオージェン。
滑らかな漆黒の鱗を纏った巨大なドラゴンだ。
その美しきドラゴンから私は余命宣告を受けた。
余命僅か50日。
雷の精霊やドラゴンというファンタジックな生き物がいるこの世界
ここには、これまたファンタジックな魔力というものが存在している。
それを操り使いこなす者を魔法使いと呼ぶらしい。
そんな夢と希望の詰まった世界の生き物が持つ、魔力を司る器官『魔力回路』。
魔力を取り込んだり排出したり、魔法に変換したりなどなど、魔力に関わること全てを担っている。
余命50日の私は、その魔力回路に欠陥があるらしいのだ。
今は生命維持のために頑張って機能してくれているが、限界を突破する運命の日を過ぎたら私の身体は弾け飛ぶ。
私は青春真っ盛り、華の17歳女子高生だ。
甘酸っぱいのはまだ来ないけど、レモンが弾けるような輝かしい青春を送っていたのだ! とか言ってみる。
とにかく、絶対死にたくない!
恐怖の爆死を回避するためには当然その爆弾、魔力回路の欠陥を治さなければならない。
ちなみに、トラジロウが小さくなったのも魔力回路が関係している。
そこで私たちはある計画を立てた。
異世界弾丸トラベル計画だ。
簡単に説明すると余命50日を
20日 みっちり修行(主に私)
30日 弾丸トラベル(魔力回路の治療)
に分けただけなんだけど。
ずっとトラジロウとイチャイチャして最後に華々しく爆死するという考え(リヴェル様の発案)もあったんだけどね。
偉大なる古黒竜は私に対して何かと辛辣だ。
もうすでに20日間のみっちり修行は終えた。
これから始めるのは、魔力回路の治療の旅なのだ。
「では、行くぞ」
お腹に響くような低い声で出発を告げられた。
漆黒のドラゴンが双翼を広げる。
身体の震えを抑えるために、何度も何度も深く呼吸をする。
腕の間の精霊が肉球がついたお手手でぽんぽんと安心させるように私を叩いてくれた。よし、大丈夫。
リヴェル様がゆっくりと羽ばたく。
その風圧で森が大きくなびいた。
そしてついにグッと体が浮き上がる感覚。
下を見ればドラゴンの巨体が地面から離れていた。
おお! 浮いてる、私浮いてるよ!
「ユカリ、しっかり掴め!」
「ごめんごめん」
下にいる見送りに来てくれたクマの師匠とその奥さん、手乗りサイズの小さな妖精たちに手を振った。
「ユカリちゃん、トラジロウ、風邪を引かないようにねー!」
「トラジロウ、任せたぞ。気をつけて行ってこい!」
「はい!」
「行ってきまぁーす!」
紺色のマフラーで口元までのを覆う。
心が落ち着くような優しい匂いがふわりと香った。
これは空は寒いだろうからと、師匠の奥さんと妖精たちが編み上げてくれたものだ。
着けていて心地いい。
リヴェル様が更に力強く羽ばたけばその瞬間、ググッと全身に重力がかかる。
まるでジェットコースターみたいだ。
頼りない安全ベルトに千切れないでくれと全力で祈った。
腕の中のトラジロウをしっかり抱きしめて硬い鱗を掴む。
「うぁぁぁぁあ! すっごい!」
「舌噛むから口閉じろ!」
「んー!」
視界がぐんぐん上昇し、どんどん空高く登っていく。
あっという間に地上のみんなは見えなくなり、遂に島も見えなくなってしまった。
みんなと離れるのは寂しいけど、たった30日間だけ。
ちゃっちゃとやる事終わらせて、この島に帰ってくるんだ!
******
うっすらと見える雲がすごい速さで流れていく。
リヴェル様が凄まじい速さで飛んでいるんだ。
私達を乗せたドラゴンは雲の上。
リヴェル様は私達に負担をかけないように飛んでくれているらしい。
映画みたいに飛行機の遥か後方にすっ飛んでいくこともないし、恐ろしいほどの重力が掛かることも、凍傷になることもない。
そのため生まれて初めて見る空からの景色や、すぐ近くに聞こえる風切り音などを楽しむ余裕も出てきた。
ドラゴンが羽ばたく度にぶわりと煙のように散っていく雲海。
落ちないように気を付けつつ静かに眺めていた。
しばらくするとリヴェル様はゆっくりと速度を落とし、遂には上空で停止した。
「我からの餞別だ」
漆黒の古竜の言葉に呼び起こされるように。
暗く曖昧だった空に一筋の光が差した。
サッと音がしそうなほど鮮やかに雲海を照らし出す真紅の輝き。
目の前から真っ直ぐに伸びた光は、あっという間にぼんやりとした雰囲気を吹き飛ばす。
遥か下、紅く染まる雲の隙間から微かに見える海は、宝石を散らしたようにキラキラと光り輝いた。
燃えるような赤に染まった太陽は、豊穣の黄金色へと少しずつ姿を変えていく。
水平線から太陽が昇り、朝が来た。
月並みな言葉しか言えないけど、隔てる物のない空からの景色は写真やテレビで観るよりもずっとずっと美しかった。
胸に押し寄せ込み上がってきた感情を逃がすように息を吐きだす。
トラジロウの金色の瞳も朝陽を浴びて更に美しく輝いていた。
「綺麗だね……」
「あぁ……」
「お前達が旅の目的を成すのは勿論、この旅が実り豊かな物となることを願う」
大きく羽ばたくと再び雲が流れ始めた。
世界各地を30日で巡る、異世界弾丸トラベルが遂に幕を開ける。
私は命の期限を伸ばすために。
トラジロウは元の姿に戻るために。
記念すべき旅の第1日目の太陽が祝福してくれるかのように黄金色に輝いた。
さぁ、トラジロウと私の異世界トラベルの始まりだ!!!