6話:最後の天使魔剣
「な、に、これ……?」
ユリは胸から生えたら魔剣を見下ろして呆然と呟いた。
何故、とは思わない。ユリは彼を信頼していたが、その分だけ刺されることも覚悟していた。
だから、その驚愕はまったくの別次元のものだった。
背中から一直線に刺された、濡れたような刃を持つ青銅色の短剣。
有り得ない。それは“神の紗幕”の魔剣だ。既に殺した参加者の剣、この場に存在する筈のない天使魔剣だ。
魔剣は所有者しか振るうことができない。それがこのデスゲームのルールだ。
実際、そのルールを逆手にとってラファエルの遣い手を撃破したのだ。
「――――まさか」
ある予感を胸に、ユリは扉の周囲を浮遊する5つの墓標を見上げる。
今まで脱落した魔剣の遣い手を表わした墓標。
描かれている各魔剣の意匠はゲーム時代と変わらず、ユリでも判別できる。
現在、浮遊しているのは、
癒えぬ毒傷を与える“神の死令”
神経を焼く雷撃を放つ“神の雷霆”
霧の中を転移する“神の紗幕”
狂乱絶大の力を振るう“神の似姿”
そして――――尽きぬ炎を発する“神の火焔”
その瞬間、ユリの中で全てが繋がった。
「そっか……あなた、が“7本目”」
「うん、僕が7人目の遣い手だ」
耳元で囁かれる淡々とした声と共にユリの胸から魔剣が引き抜かれる。
少女はどうにか振り向き、その変化を見届ける。
青銅色の短剣――“神の紗幕”を象った魔剣が変化し、本来の姿を取り戻す。
十二翼の意匠の刻まれた刀身に禍々しい黒いオーラを纏った魔剣らしすぎる魔剣。
それこそが7本目の天使魔剣――
「――――“神の悪意”」
そうだ。言葉も吹き飛んだ驚愕の中、ユリははたと気付いた。
この少年は一度として自分の魔剣が“神の火焔”だとは言わなかった。
――ただその権能を振るっていることからユリがそう判断しただけだ。
“神の雷霆”の遣い手を撃破したときもそうだ。
ガブリエルの抜剣を見てから回避する反応速度を持つ相手に、この少年は片脚を吹き飛ばした状態でどうやって接近したのか。
――“神の紗幕”の転移能力ならばそれが可能だ。
ならば、サマエルの効果とは――
「他者の……魔剣の、模倣?」
「惜しい。サマエルは殺した遣い手の魔剣を吸収するんだ。成り代わりっていう方が正確かな」
原義より、サマエルはいくつもの顔を持つ堕天使だ。
時にサタンと同一視され、あるいはイブを誘惑した楽園の蛇であるとされ、そもそも堕天使ではないとする説もある。
いくつもの顔を持つ――言い換えれば、サマエルという天使は他の伝承を吸収することに特徴を持っていると言える。
「魔剣の、吸収……ああ、だから」
「そう。だから、ユリがミカエルを斬ってくれたことには感謝してる。僕がミカエルの遣い手を殺したらバーサーク化も吸収しちゃうから」
徐々におぼろげになる思考に、感情の窺えない声が響く。
何故、この少年がよく知りもしない自分と同盟を組むことを熱心に求めたのか。その疑問が氷解した。
「ふ、ふふ、チートは、そっちじゃないの……でも、そう、たしかに、これなら……」
ユリは気付いた。何故、シュウが裏切ったのか。
シュウは裏切らなければならなかったのだ――約束を果たすために。
「言い残すこと、ある?」
「……ない、わ」
「ここから先は?」
「だいたいは、察し……ついて、いるんでしょう」
「うん、そうだね。トドメはいる?」
「お願い、するわ。あ、ラミエルは、やめて、ね。……あれ、ホントに、痛かった、のよ」
「……わかった」
ユリは正面に立つ小柄の少年を真っ直ぐに見つめる。
その手にはサマエル本来の刃。どす黒い、吸収の魔剣が握られている。
「私、背中、刺す……勝てる、のね? 駄目、でした……許さない、わよ」
「うん――約束、する」
「なら、あとは……任せるわ、相棒」
最後の気力を振り絞ってユリは笑った。
百合の如く儚く、しかし、力強い笑み。
――――地獄で、待ってる
宙に6つ目の墓標が浮かぶ。
ガブリエルの意匠を持つ、最後の生贄の墓標だ。
空には雲ひとつなく、眩しいくらいに太陽が輝いている。
「……」
己の魔剣を見下ろせば、柄頭の飾り布にただひとつの宝珠が揺れている。
吸収の天使魔剣。故に、抜剣の回数もあと一度のまま。
切っ先に残った熱は徐々に冷めていく。どれだけ強く柄を握ろうと、喪われたものが戻ることはない。
「行こうか――」
それでもシュウは迷わない。
唱えた名は誰のものだったのか。
自分でも聞きとれなかった声を振り捨てて、一歩を踏み出す。
選択は為された。最後の勝利者の為に『選択の扉』がゆっくりと開いていく。
◇
扉を抜けた先はどこまでも続く真っ白な空間だった。
天上に果てはなく、あるいは奥行きという概念が定義されていないのかもしれない。
そんな空白の中心に、ひとりの男が立っていた。
均整のとれた長身に古典的な燕尾服、撫でつけた金の長髪。
人間というには整い過ぎて、プログラムというには邪気に満ちた堕天使。
『やはりというべきか。君が勝ち残ったね』
「……ジュスヘル」
『すべて見ていたよ。改めてようこそ、天使魔剣“神の悪意”の遣い手よ』
「……」
シュウは魔剣を手に無言で一歩踏み出した。
ジュスヘルは笑みのまま泰然として両の手を広げる。
『先にゲームの説明をさせてくれ。君は知らないだろうからね』
この期に及んでもまだジュスヘルはGMとしての役割を全うする気らしい。
とはいえ、知らないのは事実。シュウは不満げな顔をしたまま一時足を止めた。
『私に勝ってベストエンドとなる方法は二つ。他の遣い手全てを自らの手で倒して“真の御遣い”となること、あるいはガブリエルで斬ることだ。
どちらも満たしていない場合はノーマルエンドとなる』
「……」
『そして、ゲームの仕様上、ノーマルエンドでは私を倒すことはできない。
ラスボスはプレイヤーに魔剣を与えて現実に還す。そういうシナリオとなる』
――「ごめんなさい。私たちではジュスヘルに届く条件を満たせないわ」
ユリが言っていたのはこのことだったのだろう。
今更ながらに、二度目のガブリエルをラミエルに使わせてしまったことが悔やまれる。
(……悔い? これが後悔?)
『さて、ベストエンドについてだが――君は前者の条件を満たしていない』
シュウの内心の懊悩には触れず、堕天使は続ける。
たしかに、シュウは5人の参加者をその手で殺害したが、ただひとり“神の似姿”の遣い手だけはユリが斬っている。
――『君が全てを薙ぎ倒し、私と再び相見える刻を楽しみにしているよ』
はじめて会った時、ジュスヘルが手向けた言葉はベストエンドに至るためのヒントだったのだ。
全体をみれば問題しかない癖に、妙なところでフェアなGMだった。
『惜しかったね。あそこで兄上の剣――“神の似姿”を見逃して最後に倒せば、システムが君を私の前に誘っただろう。
まったく、誰かと協力なんてデスゲームで許す筈がないじゃないか』
このゲームにアイなんてないんだよ。
特大の悪意を込めた嘲笑をジュスヘルは浮かべる。
人間が好きで好きで仕方のない堕天使の笑みだった。
「……それで?」
『うむ、君には2つの選択肢がある。あと1度だけ残っているガブリエルの使い道だ。
つまり、【私を斬る】ことで裏エンドとなるか、ノーマルエンドで妥協して現実に戻り、君の【病を斬る】かだ』
「病を斬る? そんなことができるの?」
『できるとも。魔剣の力は本物、正真正銘の超常の力だ。
君が願うままに振るえば病だって斬ることができる。病さえなければ、今の人間の技術で君の肉体を再生させることも可能だろう』
「――――」
言葉もなかった。有り得ないとは言い切れない。
オカルトによって人を殺せるのなら、その逆ができないとは言えないだろう。
『君は自分の体で生きられる。呼吸し、食事し、自らの足で歩くことができるんだ。
神に誓って、この提言には一切の虚偽がないことを宣言しよう』
「……そう、か。僕は現実を手に入れられるんだね」
手に入らないと諦めていた。だけど、ずっと欲しかった。
夜更かしして寝坊したり、アテにならない天気予報に毒づいたり、満腹になるまで好きな物を食べたり、風邪をひいたり……そんな、なんてことのない、当たり前で、思うままにならない現実が欲しかった。
空気にはどんな味がする。
人のぬくもりとはどのくらいの温度なのか。
痛みとは、体が重いとはいったいどんな感覚なのか。
なぜ、自分はそれを体験できないのか。
ただそれだけのことに狂おしく焦れる。
仮想でない、現実が欲しい。どれだけ仮想がリアルに近付こうとも、仮想でしかない。
相棒だと言ってくれた彼女の抱擁の感触すら、仮想のものでしかないのだ。
そして今、かつて諦めた筈のそれに、手が届く。
ようやくシュウは、浦木修は人生のスタートラインに立てるのだ。
『選びたまえ。それが他の遣い手を殺して得た君の権利だ』
「――――」
勝利か、現実か。選ばなければならない。
だから、シュウは――――
「――――“抜剣”」
白亜の空間にうつろな足音が響く。
シュウはゆっくりと出口に向かって歩いていく。
足取りはひどく重かった。手に入らなかった重みに今にも足を取られそうだった。
『アハハハハッ!! 馬鹿だね君は!!』
その小さな背中を両断されたジュスヘルが床に転がったまま嗤う。
『また動けない体に戻ってどうする!? 君は一生何も為すことはない。生きる屍だ!!』
「黙れ。神様気取りのゲス野郎」
『黙らないさ。なにもかもを擲って、君は一体何しに来たんだい? 最後のチャンスだったんだよ?』
「――――【勝つ】って約束したから」
『は――――はは、アハハハハハハッ!! そうか。そうだったのか!!』
笑みの質が変わる。
驚き、歓喜し、ジュスヘルはひたすら勝者の背中を笑い続ける。
『その為に、私に勝つ為に、ガブリエルの一撃をぶつける為に!!
ただそれだけの為に君は彼女を刺したのか!! 愛を信じた彼女を!!
狂ってる!! 君たちは最高に狂ってるよ!! アハハハハハッ!!』
背後で狂笑をあげるジュスヘルには目もくれず、シュウは光に向かって歩き続ける。
その先にはなにもない。現実の浦木修には手も足もない。たとえ魔剣を持っていようとも……。
それでもシュウは歩き続ける。それだけが今の彼にできることだった。
視界が光の洪水に包まれていく中、どこからか祝福の鐘の音が鳴り響く。
――――勝者は1人
――――こうして、天使魔剣のデスゲームは終わった。