5話:幕間
ぱちぱちと薪の燃える音がする。
シュウとユリは並んで地べたに腰を下ろし、無言で焚火を囲んでいた。
時折、シュウが薪を放り込み、魔剣の切っ先を火に突っ込んで火力を足す以外、ふたりの間に動きはない。
デスゲームが開始してから既に10時間ほど経っている。
現実時間ではもう真夜中だが、空腹や眠気はなく、フィールド上の太陽の位置は変わらないため、時間感覚は半ば麻痺している。
「傷は、どう?」
「治ったよ。欠損部分も生えてきたし。そっちは?」
「……まだちょっと違和感があるわ」
時間経過で欠損した手足が再生するというのはいかにもゲームだとシュウは肩を竦める。
一方、神経系にダメージを受けたユリはまだアバターの操作にズレがあるようだ。
負傷は残らずとも痛みの経験は残る。あるいは、ユリの後遺症は現実に戻っても残っているかもしれない。
「ごめんなさい。貴方にばかり負担をかけてしまった」
「別にいいよ。やるしかなかったんだし。それに、次で最後でしょ?」
「そう、ね……」
ユリは鞘に納めた魔剣を抱えたまま俯いた。
あとはジュスヘルと戦うだけ。勝利すればユリの目的は果たされる。
あと一戦、それで全てが終わる。
「――“この愛であなたを殺す”」
「え、いきなりなに? ちょっと痛々しいんだけど」
「違うわよ! “天使魔剣”、このデスゲームの元になったタイトルのキャッチコピーなの!!」
「へー、よく知ってるね。というか、ユリってこのゲームにすごい詳しいよね。好きだったの?」
「大嫌いよ」
無邪気な問いを、ユリは憮然とした一言で切り捨てた。
予想外の返答に、シュウは思わず目をしばたたかせた。
「私のお父さん、“天使魔剣”の開発チームだったの。“神の宝剣”はお父さんが作ったの」
「……」
「いっつも仕事に追われて、プライベートルームでもずっと魔剣の調整してて。リアルでは家に帰ってくることなんて殆どなかった。
あげくに過労死しちゃって……子供からしてみれば、ゲームに親とられたようなものよ。だから、大嫌い」
「ユリ、でも君は……」
それでも今、彼女は父の形見を抱えてこの場にいる。
嫌いであれば、思い入れがなければここに辿り着くことはなかっただろう。
その矛盾はユリも自覚しているのか、口元には自嘲の笑みが浮かんでいた。
「そうね。あんまり売れなかったし、お世辞にも趣味の良いゲームじゃないけど。
でも……それでも、これはお父さんたちの作品なの。私はそれを穢す存在を許さない」
炎の照り返しを受けて、濡れ羽色の髪が煌々と揺らめく。
シュウは真意を探るようにじっとユリを見つめていた。
軽い言葉ではないことはシュウにもわかる。彼女はそのために人殺しも辞さない覚悟でこの場に臨んだのだ。
「ずっと追いかけていた。“天使魔剣”は普通の対戦ゲームで、人を殺すことなんてできない」
「けど、実際に人が死んでる」
「そう、ありえないことが起こってる。それがもしも誰かが仕組んだことなら……誰かがこのゲームを歪めたなら、私は――」
元より、ユリは父に構って欲しくて“天使魔剣”はアバターを改造して何度もプレイしていた。
父が亡くなり、運営が中止した後も、面影を追うように攻略検証サイトやエミュレーターに入り浸っていた。
だから、デスゲームの噂はすぐに知るところとなった。
それから何年も探した。執念だけでネットの奥底まで探し続けた。
アクセス権を手に入れてからは、卑怯だとは理解していたが、プライベートルームの履歴からガブリエルを再現して解析もした。
「それがユリがデスゲームに参加した理由なんだ。つまり――」
「ええ、私の目的は【ジュスヘルの殺害】。堕天使だかなんだか知らないけど、絶対殺してやる」
なるほど、とシュウは納得の頷きを返した。
彼女が魔剣の取得に興味がないのも当然だ。そんなオカルトこそ彼女が最も憎悪するものなのだから。
そして、そんなオカルトに参加せねば目的を果たせない矛盾。そこに渦巻く赫怒は推して知れた。
「うらやましいな」
「……どうして?」
シュウが思わず零した言葉に、ユリの視線が温度を下げる。
答えによっては、とでも言いたげな視線を受けながら、シュウは口を開く。
「僕は家族とかそういうの、よくわからないんだ」
シュウは傷一つ残っていない掌をじっと見つめる。
既に4人。デスゲームに則って、躊躇なく人を殺した手だ。
「僕は生まれる前から重病で医療ポッドから出たことがなかった。残ってるのは脳細胞がいくつかだけで、リアルの体なんてない。だから、家族ともネット上でしか会ったことがなくて――」
「……」
「あ、同情してほしいとかそういうのじゃないよ。ただ、そんなだから――」
これだけは言っておかないとフェアでないだろう。
シュウは一度深呼吸して、言った。
「僕が斬った“1人目”は兄さんだった。このデスゲームも兄さんに誘われて参加したんだ」
「――ッ!?」
「でも、家族を斬ったっていう実感がないんだ。もしかしたら、何かわかるかもしれないと思ったんだけど……」
ユリがどんな表情をしているのか、シュウは窺うことを恐れた。
実感がなくとも、それがおかしいことはわかるからだ。
兄のことを嫌っていたわけではない。家族として適当な距離感を保っていた。
だが、殺せた。
そして、今になってもそのことに後悔のひとつも湧いてこない。
見上げれば、空は青く眩しく、悠々と白い雲が流れている。
綿密に描画された架空の空が今は腹立たしい。
「なんで何もないのかなあ。血を分けた兄弟を斬ったんだよ。なにかあるべきなんだ、ないとおかしいんだ……」
「シュウ君」
気付けば、シュウはユリに抱きしめられていた。
限りなくリアルに近い仮想の体温、感触、微かな花の香り、鼓動、息遣い。
シュウは五感すべてでその存在を知覚する。
「私、こんなゲームのどこに愛があるのか、わからなかった」
「……そんなものどこにもないよ」
「かもしれない。けど――」
ユリはシュウを抱いたまま腰に吊るした“神の宝剣”を見下ろす。
柄頭の飾り布についた宝珠はあとひとつ。もはや澄んだ音を立てることはない。
「私はひとりじゃここまで来れなかったわ。どこかで死んでいた。
こんなくそったれなデスゲームで、それでも協力し合えるなら、打算込みでも愛っていえるんじゃないかしら?」
「……僕にはわからないよ」
「そう。でも、打算込みで言うけど、私、あなたのことは相棒だと思ってるわ」
「――――」
驚いたように見上げるシュウにユリは優しく微笑みかけた。
なにも持たずに生きていた少年に与えられるものが、自分にはあるのだ。
それは、自分にとってもわずかながら慰めになった。
「遅くなったけど、助けてくれてありがとう。嬉しかった」
「……そろそろ行こう。体は大丈夫?」
「うん、いけるわ」
立ちあがり、焚火を消す。
そうして、ふたりは結末に向けて歩き始めた。
◇
ふたりの歩みを妨害する者はもういない。
だから、歩き続ければ、いずれ目的地に辿り着く。当然のことだった。
「着いたわ」
「……大きいね」
目の前には巨大な黒塗りの扉があった。
10メートル近い重厚な扉だ。固く閉ざされたそれが何の支えもなく虚空に鎮座している。
扉に装飾はなく、刻まれた文言はただ一文
『この扉をくぐる者、一切の希望を捨てよ』
この先で待つ者を考えれば、皮肉なほどに合致した一文だろう。
「これが『選択の扉』。前に説明した通り、原則、この扉は参加者が最後のひとりにならないと開かないわ」
仰ぎ見れば、扉の周囲には5つの墓標が浮かんでいる。
それぞれには各魔剣を象ったモチーフが彫り込まれている。
つまりは、ふたりが殺してきた参加者たちの墓標だ。
「でも、ガブリエルなら斬れる。たぶんゲームの時と仕様は変わってない。けど……」
そこでユリは言葉を濁した。
何かを隠している。シュウは訝しげに少女の横顔を見上げた。
「ユリ?」
「ごめんなさい。私たちではジュスヘルに届く条件を満たせないわ」
苦渋に満ちたその言葉に、シュウも理解した。
システムによって必殺の威力を保証されたガブリエルはあと一度しか使えない。
それをこの扉に使えば、もはやユリは魔剣を振るうことはできない。
「でも、私はこの手でアイツを1発殴らないと気が済まない。だから、ここで3度目を使うわ。私に残るのはゲームの知識と何度か使える肉壁としての体だけね」
「勝算はあるの? ジュスヘルを殺すんでしょう?」
「わからない。でも、それでも私は勝ちたい。そのためにここまで来たの」
後悔を振り捨て、毅然と言い切るユリの横顔を、シュウは憧れにも似た感情を抱いて見上げていた。
「…………ユリは勝ちたいんだね?」
「ええ」
「そっか。うん、ユリならそう言うと思ってた。だから、約束する。僕も――最善を尽くすよ」
言って、次の瞬間、シュウの姿が掻き消えた。
驚くユリの鼻先をふわりと白い霧が舞う。
そして、少女は背中から軽い衝撃を受けて、己の胸元を見下ろした。
――――そこには存在しない筈の魔剣が切っ先を覗かせていた。