4話:ラミエルとサリエル
「さて、どこまで話したものかしら」
煽るだけ煽っておいて、ユリは暫しの間、迷う素振りをみせる。
が、意を決したようにひとつ頷くと、強い意志を感じさせる視線でシュウを見下ろした。
「…………うん、ここまできて情報を出し渋っても無意味よね』
「ご自由にどうぞ?」
シュウは小さく苦笑しつつ、決定権を相手に譲った。
これまでユリはシュウに対して必要最低限の情報しか明かしてこなかった。
用済みとして切られることを危惧していたからだ。
至極、当然の警戒だろうとシュウも思った。
神の宝剣は残り2回。ジュスヘルと、彼(?)に至るための『選択の扉』で使いきる予定である以上、残りの参加者に対応するにはシュウの協力が不可欠だ。
2人の同盟は元よりシュウの負担が大きく、ユリに情報というアドバンテージがあるからこそ五分の同盟として成り立っていたのだ。
(ここで明かすってことは、ちょっとは信頼して貰えたってことかな?)
「“7本目”はわからないけど、正式な方で残っている可能性があるのは“神の雷霆”と“神の死令”ね。
ラミエルは刃に触れた相手を雷撃でスタンさせる魔剣よ。電磁警棒みたいな感じね。
何回も当てないとスタンは成立しないから単独戦闘には不向きで、サポート向け――だったわ」
「だった?」
敢えて過去形で語るユリを訝りながら、シュウもその理由を考えて、ひとつの事実に思い至った。
「このデスゲームだと痛覚制限が解除されてるよね?」
「ええ、私もそれがマズいんじゃないかと思う。スタンというのが痛みや気絶の代替表現だったなら……ここでは一回触っただけでアウトかもしれない」
たしかにそれはマズいかもしれないとシュウも思った。
そういう悪辣な仕様変更をジュスヘルは嬉々として実行しそうな雰囲気があるからだ。
「サリエルの方は傷つけた相手にスリップダメージを与える魔剣よ」
「毒の状態異常とかそんな感じ?」
「簡潔に言えばそういうこと。時間経過で治るけど、スリップダメージを受けている間はパフォーマンスが低下して、自然治癒も阻害されるわ」
このデスゲームでも時間経過でダメージは回復する。シュウも気付いたら背中の傷が完治していた。
神の似姿相手にしたように、撤退して仕切り直すというのは重要な戦術だ。それを実質的に封じるサリエルもまた厄介な相手だろう。
「サリエルも痛覚制限が解除された影響でどうなってるかわからない。
……言ってはなんだけど、ミカエルを早い段階で排除できたのは大きかったわ」
「状態異常食らった状態でミカエルに襲われるとか、ぞっとしないね」
「そうやって他の参加者に“食わせる”のがサリエルの常套手段だったの……“天使魔剣”では、ね」
「……」
どこか遠くを見るような目で呟くユリをシュウは黙って見遣る。
“天使魔剣”、そのタイトルを口にするたびにユリはそういう目をする。
懐古、執着、そういう類の目だ。ただの経験者というわけではないのだろうとはシュウも察しがついている。
おそらくそれこそが、ユリが――どうにも甘いところのあるこの少女が、デスゲームに参加した理由なのだろう。
「ねえ、もしかしてユリは――」
「待って、誰か来る」
「!!」
慌ててユリの示す方を見れば、シュウも遠くに人影をふたつ見て取った。
目を細めれば、こちらにむかって駆けてくる女性、そのさらに後ろに男性がいるのが見える。
「追いかけられてる?」
「みたいね」
「――――た、助けてください!!」
果たして、前を行く女性はシュウたちを認めると、泣きそうな表情で叫んだ。
「……」
「……」
女性の手に魔剣があることを目敏く確認して、シュウとユリは白けた表情で顔を見合わせた。
今はふたりにその気はないとはいえ、デスゲームだ。参加者は殺し合うのが原則だろう。
「どうする?」
「そうね……あなたがどっちかにつくなら援護するわ」
「じゃあ、女の人を助けよう。3対1で戦えるならそれに越したことはないし」
シュウは走り寄ってきた女性を庇うように一歩踏み出した。
ちらりと目線を流せば、女性のアバターは20代前半らしき欧風の顔立ちをしている。
息を切らし、涙と汗に濡れてなお美しい容姿とピンクブロンドの髪。怯えたような表情からは庇護欲をそそられる印象を受ける。
翻って前を見れば、追いかけていた男はエルフを模した優男のアバターだった。どう見ても改造アバターだ。珍しくはないが、どうにも浮いている感は否めない。
そして、手に持つ避雷針を思わせるレイピア状の魔剣は微かに帯電している。
ユリに視線で問えば、しっかりと頷きが返される。やはりあれが“神の雷霆”で間違いないらしい。
「……3対1ってのはキツいかね」
離れた場所で足を止めたエルフは開口一番、困ったように笑った。
張りついたような笑みだ。加えて、いまだ逃げようとしないことにシュウは心中で困惑した。
理性的にみれば――相手に理性があればの話だが――この状況で勝ち目があるとは思えないからだ。
「あなた、“天使魔剣”はプレイしたことある?」
「ああ、あるよ。……ガブリエルってことは裏エンド狙い?」
「話が早いわね。乗る気はある?」
降伏勧告を兼ねてユリが交渉を始める。
それを聞き流しながら、シュウは警戒を解かず思考する。
「デスゲームだから全員生存を目指そうって話だろ? 別に乗っても悪かないんだけどね――」
相手の勝機はどこにあるのか。それが狂気に由来するものでない限り、現になにかがある筈だ。
脳裡に今ある要素を順に浮かべる。
魔剣の性質、相性、アバターの性能、対戦経験――
「けど、勝てる戦いを捨てる理由にはなんないよな」
――――残る参加者はあと4人
「ッ!! 離れて、ユリ!!」
シュウは咄嗟にユリを突き飛ばした。
直後、背後から振るわれた魔剣の刃が少年の二の腕を抉った。
痛みに歪むシュウの視界にピンクブロンドの髪が翻る。
シュウを斬った魔剣は助けを求めてきた女性の手にあった。
「同盟するのはアンタらの特権じゃないぜ」
今度こそ本心からの笑みを浮かべてエルフが傲然と宣言する。
無視してシュウは反撃に魔剣を振るおうとして――腕の重さに愕然とした。
ラグに巻き込まれたような致命的な遅延。急速に狭まっていく視界。
「状態異常――こっちは“神の死令”か」
「正解。ご褒美だ。ベーゼ、ガキを殺せ」
「はい」
ベーゼと呼ばれたピンクブロンドの髪の女性に一瞬前まであった怯えた雰囲気はない。
騙し打ちしたことへの罪悪感の欠片も見受けられない。表情の抜け落ちた人形のようだ。
このデスゲームに選ばれる素養はこの女性も当然具えていたのだ。
覆いかぶさるようにして魔剣“神の死令”を突き立ててくるベーゼに対し、シュウは魔剣を掲げて防御態勢をとる。
だが、致命的な遅延に犯されたシュウのアバターにはそれすらも困難だった。
工夫もなく真っ直ぐ突き出されるサリエルの刃を剣の腹で受けとめる。その時には既に次の一撃が迫っている。
ミカエルの嵐のような攻撃と比べれば、そよ風のようなサリエルの刃がしかし、今のシュウには凌ぐだけで精一杯だった。
ちらりと斬られた箇所を見れば、そこだけグラフィックが欠けたように消失している。それでいて痛みはきっちりあるのだからジュスヘルの趣味の悪さが窺える。
呆けていたのは自分たちの方だった。消えない痛みとともにその事実をシュウは受け入れた。
状況は最悪だ。当然、ユリの援護など不可能だろう。
「死なないでね、ユリ」
どうにかその一言だけを絞り出して、シュウは目の前の危機に集中した。
◆
「死なないでね、ユリ」
鞘に入れたままの魔剣“神の宝剣”を正眼に構えたまま、ユリは同盟者の声を聞いた。
こんな状況でも心配されるというのは年長者としてどうなのか。そんな余分な思考が脳裡をよぎり、掻き消える。
今は目の前の危機に集中しなければ生き残れない。
「今度はこっちから降伏勧告した方がいいかな?」
「心にもないことは言わないでいいわ」
「けど、アンタたちにもう勝ち目はないよ」
エルフはラミエルの魔剣を片手に肩を竦めてそう告げた。
たしかに現状、敗色は濃厚だ。ユリはその事実を受け入れる。
甘えがあった。油断があった。猿芝居に引っかかった自分にはらわたが煮えくりかえる。
なにもかもを投げ捨て、復讐を誓った筈がこの体たらく。
過去と未来の自分に死んで詫びたい気分だ。
「いいえ。まだ負けたわけじゃない。私たちは生きている」
魔剣の柄を握り締める。それでも、ユリは諦めるわけにはいかなかった。
己の意思を再燃させる。まだ戦う気はある。挫けてはいないのだと。
勝者は魔剣を現実に持ちこめる超常のデスゲーム。それがどうした。
魔剣などいらない。欲しければくれてやる。百地優花が求めるはただひとつ。
それに、どの道、既にミカエル殺した自分は後戻りできないのだ。
だから、進め。誰を殺してもあの堕天使の許へ辿り着くのだ。
「これがデスゲームでよかったわ。元のゲームだと魔剣以外ではダメージを与えられないもの」
「ああ、それはオレも確認したよ」
「!!」
刹那、エルフの男が一瞬で懐に踏み込んできた。
速過ぎる。完全に反応速度を超越した踏み込みに反応が遅れる。
そして、エルフの振るう魔剣“神の雷霆”の切っ先が皮肉なほど優しくユリの胸を刺した。
「――――――――――――ッ!!」
瞬間、ユリの視界がスパークした。
許容量を超えた痛みは純粋な衝撃となって荒れ狂う。
僅かに残った思考の欠片が、体内に直接雷撃を叩き込まれたのだと判断する。
“天使魔剣”では制限されていた“痛覚”への直接攻撃。完全再現された痛み。
予測通り、否、予測以上の悪辣さを以って、神の雷霆は最悪の魔剣と化していた。
「アバターの痛覚っていうのは不思議だねえ。現実の肉体なら許容量を超える痛みは感じられないのに、数値的に再現された激痛をオレたちは知覚できる」
「――――――――――ッ!!」
さらに一撃。体内に叩きこまれた雷撃に手足が意に反して跳ねる。
眼球内の血管が破裂したのか。視界が真っ赤に染まる。目の前にいる男の姿も靄がかかったように見えない。
「安心してくれ。3回までは死ぬことはない。実際に試したから確かだよ」
「あ、なたは――」
誰で試したのかなど訊くまでもない。訊く必要もない。
今、為すべきは障害の排除。ただそれだけ。
震える膝を叱咤し、赤い靄に包まれた視界の中でどうにか男の姿を捉え、ユリは魔剣を構える。
「――――抜、剣ッ!!」
祝詞に従い、柄頭の飾り布についた宝珠がひとつ砕ける。
ガチンと金具の弾ける音が響き、魔剣“神の宝剣”がその刃を詳らかにする。
透き通るような水晶の刃が陽光を浴びて刹那に煌めく。
そして、鞘離れとともに振り抜かれた斬撃が――
「残念。それは当たってあげられないな」
その瞬間、ユリは赤濁した視界の中で男がガブリエルの斬撃を回避したのを見た。
翻した袖を僅かに掠って斬線を刻むが、アバターには傷ひとつない。
「そん、な……」
有り得ない。混乱するユリの思考の中でその一語がぐるぐると回り巡る。
たしかに必殺の距離だった。人間の反応速度では抜いてから回避できる筈がない。
ガブリエルはそう設計されているのだ。
「裏技だよ」
「――――――――――ッ!!」
男は三度ラミエルを突き立てながら、端的にネタばらしした。
「ラミエルは神経を直接痺れさせる魔剣。けど、効果を薄めればアバターの反応速度を上げられるんだ。
知らなかった? 知らなかったよね? だって、誰にも言わなかったからね!!」
ラミエルを手に、男はひたすら愉しげに嗤い続ける。
このデスゲームの基となった“天使魔剣”はたった3ヶ月でその運営を停止している。
そのため、ユーザー側では各魔剣の性能についても検証が不足している点も多くあった。
ラミエルによる自己加速もそのひとつだ。
あるいは短い運営期間でなければ、他の誰かが発見していたかもしれない。
だが、現実はこの男だけが知りえる秘密となって今日まで秘匿されていたのだ。
「――ひ、きょう、ものッ!!」
「勝つための当然の戦略だよ。こんな形で役に立つとは思わなかったけどね」
血を吐くような弾劾を飄々と受け流し、男はトドメを刺さんとユリの胸に魔剣の切っ先を照準する。
ユリは確信する。いくらラミエルのダメージが少ないとはいえ、次は耐えられない。
“相討ち”。朦朧とする意識にその単語が浮かぶ。攻撃の瞬間はさしもの自己加速も機能しないだろう。
座して死を待つくらいなら最後まであがく。ユリは余力を振り絞って最後の抜剣を使おうと――
刹那、赤い靄の中、目の前の男の胸から何かが生えたのを見た。
「――――は?」
エルフの男は自分の胸元を見下ろし、呆けたような声をあげた。
霞む視界に捉えたのは、紛うことなき魔剣の切っ先だった。
「とったよ、“神の雷霆”の遣い手さん」
そして、背中に密着する小柄なアバターを知覚する。
だが、もうなにもかもが手遅れだ。
シュウが撃ち込んだ魔剣は過たず心臓部を破壊していた。致命傷だ。
「な、いつ、オレ、反応、ベーゼ――」
「――さよなら」
形にならない言葉の羅列をシュウはそっ首ごと斬り捨てる。
くるくると放物線を描くエルフの頭部が地面に墜落する頃には、その体も光に融けるように消えていった。
「シュウ、君……ッ!?」
ようやく視界の戻ったユリは目の前の惨状を見て息を呑んだ。
シュウは満身創痍だった。ほぼ全身を火傷に覆われ、左腕と右肢は半ばから焼失していた。声を聞いていなければ本人だと分からなかっただろう。
自爆だ。ユリは気付いた。ラミエルの自己加速と同じように、自分を対象にウリエルの炎を放ったのだ。
どれだけ遅延していようと、自身が対象なら外すことはない。あとはそれにサリエルの遣い手を巻き込むだけだ。
となれば、シュウの重傷も当然だ。一度で決めねばならない以上、相手が回避できない広範囲に、一撃で仕留められる威力を放つ必要があるからだ。
「いやあ、ぶっつけ本番だったけどうまくいってよかったよ」
「そんな問題じゃないでしょう!! たしかに欠損も時間経過で治るけど……」
「あ、治るんだ。よかった。状態異常を解除するのに、サリエルにやられた部分を吹き飛ばしちゃったから」
「――――」
なんてことないように宣うシュウを前に、ユリは絶句するしかなかった。
敵の撃破と状態異常の解除を同時に行う。一石二鳥のようだが狂気の沙汰だ。
VR空間においてアバターはリアルの感覚を限りなく再現している。
特にこのデスゲームでは痛覚の制限がない以上、手足を吹き飛ばせば、それに伴う痛みを100%受ける――現実では感じる暇もないであろう激痛を限りなく再現されて。
人間はその痛みに耐えられないからこそ、あらゆるVR空間は痛覚を制限してきたのだ。
「シュウ君、その、痛くないの?」
「いや、痛いけど、勝たなきゃいけないんだから我慢もするよ」
「――――」
ああ、と思わずユリの口から吐息が零れた。
シュウがなぜ耐えられない筈の痛みに耐えられたのか、理解してしまった。
「あなたは痛みと死が繋がっていないのね」
VR空間では痛みは再現され、制限された“娯楽”に過ぎない。痛いからといって死ぬことはないのだ。
そして、そんな世界しか知らないこの少年の精神は、痛みという反応は知っていても、その意味を知らないのだ。
故に、恐怖がない。故に、自分を限界まで賭けられる。
まるで、このデスゲームの為に生まれたような存在だ。
「よくわからないけど……兎に角、これで5人目。あとは『選択の扉』に行くだけだね」
「え、ええ、そうね……」
戦えば、必ず負ける。もはや勝てるビジョンが浮かんでこない。
誰よりもガブリエルを使いこなしている自信のあるユリですら、そう思ってしまう。
同盟という選択は唯一の正解だったのだ。ユリはそれを今更ながらに理解した。
――――残る参加者はあと2人
そして、選択の時はすぐそこまで迫っていた。