1話:ミカエルの狂人
「メディカルモニター起動、緊急通信モード、コール:浦木始」
シュウは光の粒子となって消えていく首なしのアバターを尻目に、空間ディスプレイを起動して、現実の兄に通信を飛ばした。
「……途絶。ほんとに死んでる」
少年の声には驚きの色が浮かんでいた。
オフラインではなく、通信途絶。それはオンラインの筈の相手が死亡しているときのみ陥る状態だ。
『私はデスゲームだと言った筈だが、疑っていたのかね?』
空間ディスプレイの透過越しに、呆れたように肩を竦めるジュスヘルの姿が目に入る。
限りなく人間の動作に近いがあまりに無駄がなさすぎる。おそらくはAIか何かだろうとシュウは見当をつけた。
「デスゲームなんて信じる人はいないよ。なんだかんだで、兄さんも信じてなかったと思う」
『だから、試してみた?』
「うん」
『じゃあ、本当にデスゲームだったのだけど、お兄さんを殺した感想は?』
「……」
シュウは手を振ってディスプレイを消去し、気色悪い笑みを浮かべるジュスヘルを真っ直ぐに見返した。
「――――これで1人目、かな」
『クッ……』
差し出された言葉に、ジュスヘルの口元が歪に吊り上がる。
『――アッハッハッハッハ!!』
堪え切れず、ゲームマスターは腹を抱えて笑いだした。
潜在的なサイコパスを選別したとはいえ、期待以上の答えだった。
白亜の空間に鳴り響く耳障りな声に、シュウは不機嫌げに鼻を鳴らす。
「実際、どうやって殺したの?」
『契約だよ。君達が物にお金を払うように、ゲームの対価に命を支払って貰ったのさ』
「もうちょっとマシな答えはなかったの……?」
オカルトに全身突っ込んだ答えにシュウは眉を顰めて呟いた。
だが、真実、VR技術がVR技術のままでは接続者を殺すことはできない。
結局のところ、今のシュウではジュスヘルの言を信じる以外に道はないのだ。
「ほんと、悪魔みたいだ」
『如何にも。私は悪魔だよ。ヴァーチャルリアリティだったかな? こういった空間から現実への干渉は私達に一日の長があるのさ』
「じゃあ、本当に魔剣が手に入るの?」
シュウが手に持つ剣を振ると、その刀身にぼっと音を立てて炎が灯った。
親切なことに、魔剣の名前や使い方は自動的にアバターにダウンロードされている。不足はない。
剣を覆うように煌々と燃え盛る赤い炎は、それゆえに目の前の男の影をより色濃く描き出す。
『ほう。もう“神の火焔”の力が使えるようになったのか。その剣との相性はいいみたいだね』
「……ウリエル、ね」
なにを考えて製作者はそんな名前をつけたのやら。
それが縁となって、この悪魔に目をつけられた可能性は意外とありそうだとシュウは思った。
あるいは、デスゲームという噂自体、契約の為の土壌作りだったのではないか、とも。
「まあいいや。それで、勝者は本当に魔剣を得られるの?」
『できるとも。こう見えて私は神サマに匹敵する力の持ち主だからね』
「……現実の僕でも?」
その一言に、魔剣に灯った炎よりも熱く焦れた期待を込めて、シュウは問うた。
ニィとひどく愉しげにジュスヘルの目が細められる。
『得られるとも。君の事情は把握している。生まれつきの難病で大脳の一部を残して肉体のすべてを喪失しているのだろう?』
「……まあ知ってるよね。僕らが兄弟だったことも知ってたし」
『うむ。その上でこう言おう――契約は絶対だ。勝ち抜けば君は現実で魔剣を振るうことができる。
同様に、たとえ現実の君が細胞のひとかけらしか残っていないとしても、敗北すれば対価をいただく。間違いなく、地獄行きだ』
「なるほど?」
シュウがVR接続に用いているのは生命維持装置を兼ねた医療ポッドだ。
外部からのアクセスには幾重ものセーフティが設けられており、病院側のメインシステムごと掌握しない限り、外部から改ざん、停止させることはできない。
だが、そもそもVR機器では人間を殺せないという大前提が覆されている以上、自分だけは死なない、などということはないのだろう。
『信じる信じないは君の勝手だ。勝者には剣を、敗者には死を。それだけが真実なのだよ』
「……」
『だけど、君は信じるよ』
その一言に絶対の自信を込めて、ジュスヘルは事実を告げた。
『私の部下は適性のある者を選んでいる。魔剣を欲し、その為に他者を殺すことに抵抗のない者こそ参加者にふさわしい。
君も、君の兄も該当者だったのだ。ふふん、親の顔が見てみたいものだね』
「リアルでは会ったことないから知らないよ。でも……そっか。なら、僕は死ねるんだ」
どこか安堵すら感じられる温度でシュウは呟く。
この身はいまだVR空間という揺り籠から出てすらいない。生も死も量子の揺らぎが作りだす泡沫に過ぎなかったのだ、この瞬間までは。
『私は無論、君に伝えてないこともたくさんあるが、口にしたことは破られることはないと宣言する。
――そして、この戦いで君が喪うものはなにも無いのだろう』
云って、ジュスヘルはさらに笑みを深めた。なんて愛い子供だろう、と。性器があったなら勃起していたところだ。
確信する。この少年に未来はない。
死を賭す参加者は数多くあれど、現実の生すら投げ捨てた――否、現実の無い者は稀だ。
矛盾にも程がある。勝ち抜き、勝者の権利を得る為のデスゲームで、勝利の先がないのだ。この少年の全ては無意味だ。
だが、それゆえに、ジュスヘルはその先を見てみたいと思った。
『生贄はあと5人。勝ち抜きたまえ、少年。そうして初めて、君は現実を手に入れられる』
悪魔が宣言と共に指をひとつ鳴らすと、白亜の空間に扉がひとつ出現した。
『君が全てを薙ぎ倒し、私と再び相見える刻を楽しみにしているよ』
「あ、うん。いってきます」
恭しく一礼して見送る悪魔を一瞥すらせずに、シュウは扉に手をかけ、躊躇することなくその中へ足を踏み入れる。
視界が光の洪水に包まれていく中、どこからか荘厳な鐘の音が鳴り響く。
デスゲームが開始されたのだ。
◇
波の音が聞こえた気がして、シュウはいつの間にか閉じていた目を開けた。
途端、凄まじい再現度で燦々と輝く太陽に目を細める。
辺りを見回せば、眼に映るのは白い砂浜、寄せては返す小波。なんの変哲もない海岸だ
明けの明星なんて名乗るから、もっと天国や地獄じみたフィールドを予想していたので肩すかしをくらった気分だ。
(海岸線をみる限り、おそらくは島。あと……)
ざくざくと砂を踏んで海に近付いたシュウはしかし、それ以上先には進めなかった。
「海には入れない、と。これはラッキーかな」
7人――現在は6人だが――によるバトルロワイヤルである以上、フィールドは一定範囲で限定されているのだろう。
現状、炎がメインになりそうなシュウとしてはありがたいことだった。
(だけど、なんだこれ、なにか違和感が……?)
ふと疑問を感じて足を止める。
生まれてからのすべての時間をVR空間で過ごしているシュウは、ゲームその他を通じて様々な環境表現を体験してきている。
その経験が告げている。ここには今までにない何かがある、と。
「……まさか」
シュウはそこらへんに落ちている石を拾うと、思いきって自分の二の腕に叩きつけた。
「~~~ッ!!」
痛い。思考が一瞬にしてその一語に支配される。
痛覚制限がないのだ。元のゲームでは当然あった筈のそれを解除したのはあの愉快犯だろう。
ご丁寧に再現された涙を拭う。痛覚対策のプラグインもいれておくべきだったかと僅かに後悔した。
数分してどうにか痛みは引いた。痣も残っていない。ダメージは時間経過で回復するようだ。
ようやく落ち着いたシュウは改めて海面に映る自分のアバターを確認する。
14,5歳程度の黒髪黒目、小柄、平凡な顔立ちだ。成長予測から平均値を割りだしたためだ。
加えて、自分で言うのもなんだが暗い。少年らしさに欠けている。
雰囲気というのは、感情がダイレクトに反映されるVR空間ではどうにも偽りにくい。
他の参加者から良い印象を持たれることはないだろう、ましてや殺し合う相手ならばなおさらだ。
「どうせなら幼女型のアバターとかにすればよかったかな?」
逆にそうしてくる相手がいるかもしれない。警戒しておこう、とシュウはひとつ頷く。
続いて、自分の魔剣を確認する。
“神の火焔”の炎は随分と剣に馴染んでいるようで、意識上でオンオフを切り替えられる。
さっと剣を振れば、5メートルほどむこうまで炎の斬撃が飛んで、砂浜一帯をマグマのように溶かした。
(対人用の威力じゃないなあ)
とはいえ、遠隔攻撃ができるというのはこのデスゲームでは大きな強みだ――他の参加者ができないなら、だが。
(兄さんを斬ったのは早まったかな?)
だが、他に生き残る方法はなかった。
確信がある。あそこで殺さなかったら、きっと自分は兄に背中を刺されていた。
似た者兄弟なのだ。自分がやったということは、兄もそうするつもりだったのだろう。
「でも案外、兄さんなら最後まで一緒にいてくれたかもしれないな」
その問いの答えは、最早永遠に知ることはできない。
それが少しだけ惜しい気がした。
それからアバターの動きをひと通り確認して、シュウは行動を開始した。
警戒しつつ、海岸から島の中心へ向けて進む。
とにかく他の参加者に接触しなければ話が進まない。できれば他所で殺し合って数を減らして欲しいところだが、そうそううまくいくものでもないだろう。
海岸を離れると周囲は徐々に大小様々な岩石が鎮座する石切り場のようなフィールドへと変わっていく。
足場は多少悪いが視界は通っている。おおむね正面戦闘に適した地形だといえる。
と、そのとき、シュウの耳は自分以外の足音を聞いた。
仕掛けるべきか、音のする方に近付きつつも、シュウは逡巡していた。
バトルロワイヤル形式における開始当初の動きとしては、同盟するか、頭数を減らすかのどちらかだ。
最終的には殺し合うにしても1対1よりは2対1の方が有利であることが理解できない者はいないだろう。
相手はどちらに舵を切っているか。できれば同盟を組みたいところだが――。
そうして、シュウは新たな参加者を視界に捉えた。
同時に、相手のアバターもこちらを知覚したのか、即座に振り向く。
露わになったのは短く刈り上げた黒髪、戦車のようなどっしりとした筋骨隆々の体。手には身長ほどの巨大な魔剣。
片手剣程度の長さしかないこちらは正面からだと不利か、とシュウは判断した。ひとまず同盟を組む方向で話を持っていくことを決める。
沈黙する男に対し、少年は両手を挙げて一歩近づいた。
「こんにちは」
「――――グゥオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
(あ、これダメな奴だ)
シュウは咄嗟に左に跳んだ。
直後、一瞬前までいた場所を極厚の刃が押し潰した。
くぐもった鈍音、次いで、吹き荒れる衝撃波がいまだ空中にいたシュウを吹き飛ばす。
「ッ!! このっ!!」
シュウは器用に体を捻って着地すると同時に魔剣を振り抜き、炎の斬撃を放った。
横一文字に宙を走る炎撃は過たず男の胸板に着弾し、その全身を覆って爆発した。
「……当たった、よね?」
油断せず徐々に距離を離しながら、シュウは粉塵に包まれた相手を透かし見るように目を細める。
直後、煙を割って大剣の切っ先が飛び出してきた。
シュウは反射的にかち上げた自身の魔剣を当てて切っ先を防ぐ。
衝撃、目の前で火花が散る。
両手に鈍い痺れが走り、ぎしりと肩が軋みをあげる。
受けとめた。だが、あまりに膂力が違い過ぎる。
次の瞬間、ひっかけるように持ち上げられたシュウはそのままぶん投げられた。
「ッ!?」
視界が一瞬で開ける。数秒、島の全域が眺望できる高さまで打ち上げられた。
ぶわりと肌が粟立つ。この高さから落ちれば間違いなく即死だろう。
「――――ガアアアアアアアアアアッ!!!!」
加えて、耳元でがなりたてる風音を貫いて野太い咆哮が地上から届く。
眼下を見れば、相手が大剣を地面にひっかけて飛礫を射出するのがみえた。
「なんて馬鹿力、だよ、このおおおおっ!!」
シュウは両手で握った魔剣を前面に構えると最大出力で炎を噴かした。
束の間、視界一面が紅蓮に染まる。
一直線に放たれた炎は迫る人頭大の飛礫を逸らし、同時に落下スピードに強烈なブレーキをかける。
「ガ、グッ!! ッ!?」
着地。なんとか無傷で軟着陸した。
だが、その時には既に頭上に大剣の影が差していた。
シュウは転がるようにして一撃を回避。
背後で衝撃、背中に岩の破片が刺さる。が、今は構っていられない。
追いすがる乱撃を命からがら回避し、どうにか体勢を立て直したシュウは改めて相手に向き直る。
男は顔から上半身にかけてを火傷に包まれながらも、焼け爛れた皮膚の向こうから鬼神のような眼光でシュウを睨み据えている。
AIではない。行動に付随する無駄な挙動。アバター越しに辛うじて人の思考を感じる。
(……能力強化と引き換えの意図的なオートアタック状態かな。いきなりスゴイのに当たったな)
幸い、相手の攻撃は避けきれないほどではない……当たればほぼ即死だが。
問題は耐久力。こちらが一発食らう前に相手を削りきれるかだ。
だが、明らかに痛みを感じていない相手に対し、こちらは既に背中を負傷している。傷は深くないが、じくじくとした痛みは集中を妨げる。長期戦は不利だろう。
結論、正面からでは勝てない。
(……手はあるけど、ちょっとリスキーかな)
「よし逃げよう。逃げ切れるといいけど」
じりじりとシュウが後ずさる。男はぴくりと反応して大股で一歩を――
「こっちよ!!」
「ッ!?」
そのとき、横合いから声が聞こえた。
ちらりと見れば、高校生くらいだろうか、少女型のアバターが目に映った。腰に差した一刀から参加者であることが窺える。
「“神の似姿”は一定距離まで離れれば攻撃してこないわ。だから、早く!!」
「わかった」
話が通じる分まだむこうの方がマシだろう。
シュウは牽制の炎を放ちつつ素早く身をひるがえすと、全速でその場を離脱した。
――――残る参加者はあと6人