プロローグ
>>“天使魔剣”
VRゲーム黎明期にラムダソフトよりリリースされた体感型対戦アクションRPG。
6人の参加者はそれぞれに固有の効果を持つ魔剣の“遣い手”となって殺し合い、勝ち残ったひとりだけがラスボス【ネタバレ項目】に挑むことができるという内容。
当時としては最高水準のグラフィックと物理演算による操作性もあって、現在でも良質な対戦ツールだったと評価されている。
その一方で参加者同士が殺し合うという衝撃的な内容は国会で取り上げられるほどの社会問題となり、リリース後3ヶ月で運営中止に追い込まれた。
本作は、以降の人型モンスターの自粛や対人戦闘におけるゴア表現の規制などを促したきっかけであり、VRゲームの歴史上でも重要な意味を持つタイトルである。
(VRゲーム年表より該当部分を抜粋)
「……このゲームがどうかしたの、兄さん?」
虚空にいくつものポップアップ広告が浮かび、父親のお気に入りの昭和年代のバラードが流れる家族用のプライベートルーム。
そんないつも通りの場所にログインするなり押しつけられた空間ディスプレイを見ながら、シュウは隣でにやにやと笑みを浮かべる兄のハジメに尋ねた。
ともにプライベートルームにいることからわかるとおり、ふたりは兄弟の間柄だ。リアルではハジメが16歳、シュウが14歳になる。
「どうって……おもしろそうだろ?」
「ずっと前に運営停止してるじゃん。エミュレータでもみつけたの?」
シュウはハジメのアバターを見上げながら、兄の真意を探ろうと電子的に再現された目をしばたたかせた。
ごく一般的な黒髪の子供を模したシュウのアバターに対し、ハジメのアバターはどこかのゲームからコピーしてきたような金髪の成人男性のものだ。
VR技術の発展上にある電子空間ではままあることだが、一見してふたりが兄弟のようにはみえない。
「お前も聞いたことがあるだろ、“デスゲーム”の噂」
「主に兄さんからね」
わかってないなと大仰に肩を竦める兄に対し、怪訝な表情のままシュウは頷きを返した。
デスゲームとは、VR技術が発展する前から一種のサブカルチャーとして取りざたされてきた都市伝説だ。
色々と種類はあるが、概してログアウト不可のゲームに囚われ、プレイヤーの死がリアルのそれに直結する点で共通する。
とはいえ、実際にVR機器を介してネット上に五感を再現しているふたりだが、デスゲームが成立しえないことはよく理解している。
電子空間上のアバターはあくまで再現に過ぎず、VR機器では逆立ちしてもリアルの肉体に影響を及ぼすことはできない。
だが、そこに例外があることをシュウはハジメから聞き及んでいた。
年に数人、VR接続中に死亡した人間というのはたしかに記録されている。
多くは長時間接続に起因する衰弱死だが、時折、肉体的には健常なまま眠るように死亡した事例もあると言われている。
ただ、それも一般にはVR規制推進派によるデマだと見做されているが……。
「そういえば、前に『ゲームで手に入れた剣を現実に持ち込んだ』って話してたね。もしかして――」
「そのゲームがこれなんだよ!!」
ハジメはここぞとばかりに勢い込んで表示したままの空間ディスプレイを叩いた。
「動画があったんだ。リアルで炎を噴き出してる剣だ。保存する前に消されちまったけど。リアルで目撃した奴の証言もある」
「CG合成じゃないの?」
「かもしれない。けど、ロマンはあるだろう?」
「それはそうだけど……」
シュウは僅かに言い淀んだ。あまり気乗りしない話だった。
兄がここまで言うのなら既に件のゲームへのアクセス――公式には運営停止している以上、おそらくは違法なものだ――もみつけているのだろう。
普通に考えてジョークサイトか詐欺の類だ。兄弟揃って痛い目をみては、文字通り目も当てられない。
――なにより、万が一本物のデスゲームだったとしたら。
――その先にある事態をこの兄は理解しているのだろうか?
◇
なんだかんだと煽ってはみたが、ハジメも詐欺の類である可能性は考えていた。
そのため、用意した二人分のアクセスポートには十分なセキュリティ対策を施してある。
その熱意をもっと別のことに活かせばいいのに、などと弟には訳知り顔で言われたが、これまでもアングラネタの数々を弟も一緒に楽しんできたのだ。ひとのことを言えた義理ではないだろう。
「準備はいいか?」
「あ、待って。運動補正プラグインいれとく」
言って、シュウはステータスウィンドウを開いてアバターにプラグインを噛ませていく。
正式なVRゲームであれば無許可でのプラグイン導入はチート行為に当たるが、そもそもグレーを通り越して真っ黒な今回は気にする必要のないことだ。
「はー、さすがは最新鋭の医療ポッドだな。家庭用だとアクセスだけでメモリ一杯だぜ」
「その代わり僕は一度もポッドの外に出たことないけどね」
羨ましそうに宣う兄に対して、弟は若干憮然とした表情になった。
無思慮な発言だったとハジメは後悔するが、面と向かって謝罪するのはどうにもプライドが邪魔をする。
「ネットのある時代で良かったな。じゃなかったら、きっと孤独死してたな、おまえ」
結局、口にしたのはそんな子供じみた、恥の上塗りだった。
「……あんまりデリカシーのないことばっかり言ってると、兄さんが秘かに集めてるいかがわしいポルノムービーを本名付きでばらまくよ」
「やめろ」
「妹が欲しかったって気持ちはわからないでもないけど」
「お願いです。マジやめてください」
一転して拝み倒し、じゃれあいながらも、ハジメは心中で仄暗い優越感を覚えていた。
VR空間でのフィードバックには制限が掛けられている。痛みも、快楽もリアルでの体験には及ばない。
シュウがどれだけVR空間で自由自在に動けようと、兄弟の間に横たわるその差は未来永劫埋められることはない。
たとえ、これから向かう先がデスゲームであったとしても、それが変わることはないのだ。
――馴染みのストアが噂のゲームのアクセス権を2人分入手してきた。
今回の冒険の発端は結局のところ、それに尽きる。
本物なのかは正直眉唾だが、そういう曰くつきのゲームなら、たとえジョークサイトでもスリリングな一時を楽しめるに違いないとハジメは考えていた。
それに、もしも、万が一、億が一、本物だったのなら――使い道のない弟は自分に勝ちを譲るだろう。
なにせリアルでは首から上も、首から下もないのだ。
いい加減、寝たきりネット漬けの生活にも飽きているようだし、ここらで死なせてやるのも兄の務めだろう。
言語化するなら“哀れみ”の感情だ。ハジメの中に3割くらいはそういった気持ちがあることは否定できなかった。
(しかし、『弟さんの分もどうぞ』だなんて運がいいな)
でも、何であの店員は俺に弟がいることを知っていたんだ?
その疑問をもっとよく考えるべきだった、とハジメは遠からず後悔することになる。
◇
アクセスポートを抜けた先はどこまでも続く真っ白な空間だった。
天上に果てはなく、あるいは奥行きという概念が定義されていないのかもしれない。
そんな空白の中心に、ひとりの男が立っていた。
均整のとれた長身に古典的な燕尾服、撫でつけた金の長髪。
美男美女に溢れたVR上でも屈指の美形だとハジメは思った――悪魔的な、という前置きがつくが。
『君達が最後の2人か。同時で、しかも実の兄弟とはなんとも珍しい』
完璧な美麗さを有するアバターはしかし、皮肉気に歪められた口元と爛々と輝く真紅の瞳がその印象を覆していた。
『私はジュスヘル。このデスゲームのゲームマスターにしてラスボスだ』
そう言って、男は笑みと共に優雅に一礼した。
あまりに自然なその動作は、まるでここが現実であるかのように錯覚させるほどだった。
「……なんかいきなりすごいネタバレくらったよ、兄さん」
「開発者はなに考えてるんだろうな。まあいいや、えっと、“天使魔剣”に参加したいんだけど、合ってるよな?」
『勿論だとも。その様子だとチュートリアルはいらないようだね。では、魔剣の選択に移ろう』
ジュスヘルが指をひとつ鳴らすと兄弟の眼前にふた振りの剣が出現した。
一方は堕天の刻印をされた刀身に燃え盛る炎を。
一方は十二翼の意匠の刻まれた刀身に禍々しい黒いオーラを纏った、チープさすら感じる“魔剣”の意匠だ。
慣れ親しんだゲーム的表現にハジメはほっと安堵の息をついた。どうにも目の前の男の雰囲気に呑まれていたのだ。
『7本の内、既に5本は“遣い手”が決まっている。残り2本のどちらかを選ぶといい』
「あれ、参加者は6人じゃないのか?」
『これはデスゲームだ。それに伴って元のゲームからいくらか改変を加えている』
「あー、はいはい。完全な再現ってわけじゃないのね」
追加されたのがバランスブレイカーだったら嫌だな、とハジメは思った。
どうせ騙されるのなら、当時の最高水準の対戦を楽しんでみたいというのがゲーマーのサガだ。
『さあ、魔剣を選びなさい。だが、心せよ少年たちよ。その剣を手にした時から君達は殺し合いに参加することになる』
(いちいち芝居がかったGMだな。ってか俺のアバターはどうみても成人してるだろうが。失礼な奴だ)
ニヤニヤと笑みを浮かべる目の前の存在に対して、ハジメは既にウンザリしていた。
AIなのか、中の人がいるのかはわからないが、気色悪いことこの上ない。
さっさとゲームを始めてしまおう、とハジメは目の前に浮かぶ魔剣を手に取った。
躊躇なく握りしめた柄はずしり重い。
成程、当時の最高水準というのも頷けるリアルさだとハジメは感嘆した。
軽く振った感触も今の最先端のゲームに見劣りしない。期待以上だ。
「――やるぞ、シュウ」
これなら限りなくリアルな戦闘ができる。
抑えきれない興奮を言葉にして吐き出す。
この瞬間を以って、ハジメ――浦木始は“天使魔剣”に参加することとなった。
「――わかった。始めよう、兄さん」
刹那、その首元を金属特有の冷たさが走った。
次いで、ふわりとした浮遊感と共に視線が高くなり、数瞬して真っ白な地面に墜落する。
「……ぇ?」
声は音にならなかった。ただ、空気の抜ける音だけが耳に届く。
視線を上げれば、頭部を喪った己のアバターがゆっくりと傾いでいく姿が目に映る。
(……出血表現はないのか。日和やがって)
それがハジメが最期に思い浮かべた言葉だった。