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車輪

北でも南でも、東でも西でもないところに、海に突き出た岬があった。岬の先端、ひょろひょろと立つ古い灯台には、一人の少女が住んでいる。名前はモーリ。髪は海風に晒されて、いつもぱさぱさだ。

モーリを訪ねて、時々男の人魚が岬を訪れる。名前はメメン。黒髪に海の瞳をしている。鱗は森の色だった。

二人は一緒に寝坊や、昼寝や、うたた寝や、夜更かしを楽しんだ。そしてもちろん、時折喧嘩もした。モーリとメメンは友達だった。


 晴れた春の午後だった。石が転がる入り江に腰かけて、メメンは珊瑚を彫っていた。白い細い珊瑚をナイフの先が削るたび、ざり、ざり、と微かな音がした。風のない午後、ナイフの振動さえが響くような静かな午後だった。

 珊瑚の表面には渦巻模様が少しずつ浮かび上がって来ていた。その繊細さに、自分で彫った模様なのに、まるで初めて見たかのようにメメンは感嘆した。出来上がったらモーリにやろうか。ドア押さえにちょうど良いかもしれない…。

 ふいにぱたぱたと軽い足音が飛び込んで来て、入江に満ちた静謐は破られた。やれやれ、と思いながらメメンは顔を上げた。頬を紅潮させてモーリが駆けてくる。

「ねえ、ねえ、メメン!」

「どうしたんだ」

 興奮したモーリの様子にメメンが首を傾げる。メメンの目の前に駆け寄った少女は息を弾ませながら、居ても立っても居られない、という風に、その場で片足ずつぴょん、ぴょん、と飛び跳ねた。

「面白いもの見つけたの!」

 小さな指が勢いよく島の西をさした。


 白い砂浜に打ち上げられているのは、なにやら見たことのない奇妙な形の器機だった。先ほどまで海に浸かっていたのだろう、波打ち際から浜の中ほどまで引き摺った後がある。

「これ、何か知ってる?」

 それを指して、モーリがわくわくと尋ねた。

「うーん」

 波打ち際に座って、メメンが唸った。

 それは鉄で出来ているようだった。車輪が二つ、平面を上にして横に並んでいる。車輪と車輪の間をチェーンが繫いでいた。チェーンの上には三角形の台と、Y字のパイプが伸びている。銀色の筒にざらざらと錆が差していた。

「知らないなあ」

「メメンも知らないの」

「俺はただの人魚だぜ」

 陸のことなんか知らない、と言ったメメンに、それもそうね、とモーリがあっさり頷いた。

「さっきちょっとだけ触ってみたんだけど、これ、回るのよ」

 ほら、と言いながらモーリが車輪を回した。くるくると滑らかに回る車輪を二つの視線がしげしげと眺める。

「回ったからなんだっていうんだ?」

「分かんない」

「あ、ここ」

 モーリの腕がチェーンから突き出たハンドルを握った。車輪や台と違い垂直に刺さった、謎のハンドルだ。

「ここを回したら、ほら」

「あ、回った!」

 青年の腕がくるくるとハンドルを回せば、連動するように車輪がくるくると回る。

「私も、私もやる!」

「ほら」

「ほんとだ…すごい」

 くるくる、くるくる、と回る車輪を二人はじっと見つめた。静かな白い砂の上を、車輪と車輪の影が音も立てずに回る。

 どうやら車輪が動くのはハンドルを時計回りに回した時だけのようだった。その代わり、反時計回りに回した時はカラカラ、と軽い音が鳴った。メメンが思いのほかその音を気に入ったので、モーリは続けて何度か、ハンドルを反時計回りに回した。春のぼんやりとした陽射しの中、砂浜のうえにカラカラカラ、と車輪の音が響いた。

「どうやって使うんだろう?」

 回すのにも、音にも飽きて、モーリはぺたぺたとその機械のあちこちを触り始めた。どこを弄っても、特に目立ったことは起きない。その様子を腕組みをしてメメンが眺めている。ざらりと錆びをなぞって、うー、とモーリが唸った。

「何か、回す用事ってあったか」

「回す用事?」

「バターを作るとか」

「バターが出来るの?これで?」

「さあ。たぶん違うな」

「なによう」

 唇を尖らせてモーリが言った。メメンは少しだけ笑った。


 結局使い道は分からなかった。日が傾いて砂浜を淡い朱色に染めている。帰ろうか、と言って振り向いた先で、モーリが立ち尽くして車輪を見ていた。小さな口がへの字に曲がっているのが見えて、やれやれ、とメメンは思った。そしておもむろに、作りかけの白い珊瑚を差し出した。

「ほら、これ」

「…なに?珊瑚?」

「ドア押さえにどうかと思って」

 手の中の珊瑚をひっくり返してモーリがしげしげと見た。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 やがて小さな指が珊瑚を握りしめて、モーリが嬉しそうに笑った。不満そうな気配は既にどこにもなくなっている。メメンは小さく肩をすくめた。

 夕日に照らされて、複雑な模様の影が車輪から伸びている。ひょこひょことそれを踏みながら、モーリが砂浜を横切っていった。

「じゃあね、メメン」

「ああ、モーリ。おやすみ」

 はた、はたた、たん、とリズミカルに響く足音が段々遠ざかっていくのを、メメンはしばらく聞いていた。やがて波の音に足音はすっかり紛れて分からなくなってしまった。風が出てきたらしい。最後に謎の車輪を見て、メメンは、再び小さく肩をすくめた。やがてざぷんと一つ音をたてて、海の底へと潜っていった。


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