霊術
#17
「其処に腰掛けたまえ」
理事長室の真ん中に揃えられた黒いソファーや大理石のテーブルは、何とも言えない高級感が漂い、圧倒的な威圧を感じられる。
そのソファーにジジイが腰掛け、俺も座る様に促した。
「何をするつもりだ」
ジジイを警戒の目で睨みつける。
あんなことをされた後で、信用できるわけがない。
「だから、何もしないと言ったじゃろうが。さっきのことを詳しく話し合いたいと思っただけじゃ」
先程までの慌てぶりからは想像もつかない、達観した視線が俺の瞳を真っ直ぐ貫く。その目は芯を持ちながらも、全体の表情からは、微かに喜びが感じられなくもない。
「俺もだ。でも、面接はどうするんだ」
「今から話すことに対する返答次第じゃ。さっ、早く座りたまえ」
「………失礼します」
ジジイは意味不明な台詞を吐き、少し離れた所に居た俺を手招きした。この話は自分に利が有ると即座に判断した俺は、その招きに応じて、ジジイの座ったのの対に有るソファーに腰掛けた。
______ジジイがさっきした行動。あれは明らかに人間のものじゃない。アニメ的に言えば、『異能の術』に当たるだろう。決して、手の平から火の玉を発生出来たり、地面を自在に動かせたりする様な、いかにも『技』と言うものではない。だがあれは、人の精神に直接ダメージを与える『技』の一種だと仮定すれば………。
「君は、幽霊を信じるか」
ジジイが、唐突に質問して来た。
「ユーレイ………?人の魂が現世に残ったもの的なヤツか?」
「まあ、ザックリと言ってしまえばそんな感じじゃ。人でも犬でもウーパールーパーでも、余程強い思念を持つ者の魂が現世に残り、その残像思念を遂行せんが為に這いずり回る。中には地縛霊と言う奴もいるがな」
「へえ。………そうだな、何方かと言うと幽霊は信じない方だな。色々テレビでもやってるけど、どうしても現実的に考えられないな」
でも、こんなこと聞くなんて、どういうつもりなんだ。ジジイの考えが全く読めない。
「ふむ。では当然、見たことはないんじゃな」
「当たり前だろ。つーか、さっさと本題に戻ろうぜ。こんな話して何の意味が有るって言うんだ」
「見たことはない、それは本当か?」
「おーい、話聞けよ。………本当だけどさ」
あまりにも真剣な目をしたジジイからは、一人たりとも寄せ付けない様な重圧感が体中から発せられていた。
俺は否応無く返答させられ、少し身じろいだ。
「だとすると妙だ」
「何が?」
ジジイは顎髭を摩り、深妙な顔つきになる。
「………まずは儂の事から話さねばならないな。よいか、これから話すことを全て信じろ」
「無理」
「それでは話すぞ」
「無視かよ」
コホンと一つ咳払いをついてから、口を開いた。
「儂は神じゃ」
「すいません、帰ります」
「______ちょっと待て!」
ジジイは、ソファーから立ち上がった俺の肩を掴んだ。
「離してください。今からPC立ち上げて、『神丘高校の理事長=神[笑]』ってスレを書くんですから」
「もっと止めろ!さっき、儂の言うことを全て信じろと言ったじゃろうが」
「そんなこと、俺は一言も触れていません。それよりもうスレ作って良いですか。ここWi-Fi使えますよね」
「スレ書くこと前提か!………まあいい。一発で信じてもらえるとは、儂も思っておらん。今からやることを良く見ておれ」
そう言うとジジイは、徐に和服を脱ぎ出した。
「俺、そう言う趣味は無いんです。すいません」
「儂だってないわ、あってたまるか!まあ見ておれ」
上半身を裸にしたジジイは、下に下げた拳を強く握り締め、変な声を上げながら気合を入れる。
「ふぉぉぉぉぉぉお………」
「すいません。その声ゲスくて吐き気がパないので止めてください」
「何じゃその敬語の中に一切隠れもしていない罵倒は。いいから黙って見ろ」
わざわざちょっかいを出すのが疲れたため、黙って見ていることにした。ジジイの言う通りにしているのが癪に障るが。
上半身マッパのジジイを眺めること数分。眠すぎて欠伸をしている時、変化は起きた。
「な、なんだこりゃあ………」
ジジイの周りには、煙と似ても似つかない、光を持った不安的な幻影が纏わり付いていた。いや寧ろ、ジジイから溢れている様にも見える。
其処からは微弱ながら風が放たれ、驚きで立ち上がった俺の制服の裾を揺らす。
______《異常》。
変な薬を使ったわけでもない、マジックをしたわけでも当然ない。ただその光は、何かしらの《力》であると直感で分かる。
体の芯に響く、それは正に《気》。
「………霊界と現世の境界の一部に擦り傷を付けることが出来たが、これまでだ。これ以上の破壊行為をすれば、儂の体は保たない」
たった数分で滝の様に溢れ出た汗に塗れたジジイの顔からは、ただならぬ疲労が見て取れた。
「この光はなんなんだ」
出始めた時よりは若干弱くなっているが、まだ光は保っている。
「………これは霊力じゃ。本来は目視することは不可能じゃが、今はお前に見える様にしている」
「霊力?」
漫画で読んだことはあるが、これがそうか。
それは嘘だ、とジジイの言葉を一蹴することは出来るが、実際に触れると分かる。
これは本物だ。
根拠は何一つないが、俺の感覚がそう言っている。
「霊力と言うのはな………いや、言葉で説明するのはチト難しいな。所謂、魔力の様なものと思ってくれれば十分じゃ。それでも、多少の違いはあるがの」
「へぇ………で、それが何?」
「随分と高飛車な言い方じゃのう。まあ、気にはせんが。そうじゃな、まずさっきの『妙』のことから話そうかの」
さっきから気になっていた。この霊力の話と『妙』な話とでは、今聞いたところでは共通点が皆無だ。
「儂とお主が初めて顔を合わせたのは何時じゃ」
「ジジイが女園児を盗撮したカメラとロリ本をビニール袋に詰めて、黒ずくめで電信柱に隠れながら帰ろうとしていた時だな」
「………う、むう………。そ、それはさて置き。あの時儂は、その荷物を見えない様に透明化していた筈なんじゃ。ほら、こんな風に………」
ジジイは側のソファーに触れる。すると、手とソファーが触れた場所から、一気にソファーが消えていった。
「………」
俺は声を出すのを忘れるほど、この事態に驚愕した。
公表されていない新技術か?いや、まだこの世界にはそれほどの物を作れる技術は無い筈だ。逆に、光を捻じ曲げる技術など、存在して良いわけがない。
ならば魔術か?しかしそんなものは現実にあるわけがない。
………だが、実際に様々な怪現象を幾つも見せられては、無理やりにでも信じる他ない。
それにしても、魔術にしても新技術にしても、それを個人で所有するこのジジイは一体何者なんだ。
「これは霊術の一種で、名はそのまま《透》と呼ぶ。本来は現世に居る普通の人間には、その術を使ったことすら分からないのだが。今は現世と霊界との境界に傷が付いているから、お主でも見えているのじゃよ」
霊術………。だんだんと現実から掛け離れていくな。いや、さっきの霊力の時点で既に離れているが。
「他にも霊術はあるのか?」
「あるにはあるが、もう限界じゃ。この《透》を使った時点で既に現世と霊界との境界に付けた傷が修復された。もうお主に霊術を見せることは出来ぬ」
そう言えば、いつの間にかソファーが元に戻っているな。
「そもそも、さっきから言ってる『現世と霊界との境界』ってなんなんだ」
「………其処からか。わざわざ説明するまでもないことなのじゃが」
ジジイは呆れ顔で溜息をつく。その行動に無性にムカついた。
「いいから教えろ」
「………現世とは、今儂たちがこの実体で感じることの出来る世界じゃ。逆に霊界は、この実体では認識することの出来ない世界。その境界と言うのは、互いの世界が干渉し合わない様にするための、要は壁的な感じじゃ」
「つまり?」
「おいおい説明しよう。今はさっきの話をしたい」
「さっき?」
「儂が『妙』だと言った話じゃ。さっきも話した通り、儂たちが初めて会った時に儂が持っていた荷物には、物を透明化出来る《透》と言う霊術を使用していた筈なんじゃ」
さっきも思ったけど、なんかネーミングセンスに欠ける術名だな。いや、シンプルで悪くはないとは思うんだけどさ、もうちょっと捻りが欲しいな。
と、ここで一つの疑問が生じた。
「でも、その術使っても俺には効かないんじゃないのか」
「その時も現世と霊界との境界に傷を付けていたのじゃ。今さっきみたいにの」
「けど、俺には効いていなかったと」
「そうじゃ。例えお主が霊なるものを見ることが出来る存在であったとしても、この術は霊体と実体諸共に透明化していたから、誰であろうと見ることは出来なかったのじゃ。その時は焦り過ぎて術を掛けていたことを忘れていたがの」
「勘違いってことはないのか。術を掛けること自体を忘れていたとか」
その可能性は極めて高いだろう。
俺は霊感が強い方じゃない。それにこれは、霊感が強かろうと弱かろうと関係ない話だ。だってこのジジイ以外は見えなかった筈なんだから。
「いや、それはない」
「どうしてそう言い切れる」
真剣な顔つきでそう言い切るジジイは、このことに確信を持っている様だ。
さて、どんな理由か______。
「あんなものを見られたらマズイに決まっているじゃろうが!」
「ああ、そう………」
究極に納得。
これ以上無いくらいに完璧な回答だった。
「それと、あともう一つ話があるんじゃ」
「まだあるのか」
「うむ。まあ、今の話と似た、と言うかほぼ同じことなんじゃがな。今、この状態のことだ」
「今の状態………?」
今、だと?
特に変わったことは無いし、ジジイとも話が噛み合っている。不自然なことは何一つ無い筈だが。
「くえすちよんにしよう」
「クエスチョンな」
一瞬なんのことか分からなかった。
「儂等二人では違和感は全く無い。しかし、先程お主を此処に連れて来た先生を呼べば、不自然な噛み違いが生じる。来た瞬間ではない。儂等の会話を少し聞いたとき、確実におかしいと気付く。さあ、くえすちよんだ」
「クエスチョン」
「くえすちよんだ」
いい加減にしてくれ。
「さて、儂は今現在、どういう風な霊術を使用しているだろうか。見事一発で、具体的な術の内容を当てたら、願いをなんでも叶えてやろう。一つだけヒントを教えるとすれば………、そうだな。《透》ではない、とだけ言っておこうか」
「前みたいに逃げられるのは嫌だからな。先に聞いておこう。本当に、なんでも願いを叶えてくれるのか」
「本当に本当じゃ。神に誓って二言は無い」
「自分に誓ってどうすんだよ………」
さてと。ジジイのヒントから分かることは、視覚的なものではなく聴覚的な術であるということ。話し方、いや、聞こえ方の変化か。
………いや、違う。
さっきジジイは『《透》を使った時と同じ様な』と言ったんだ。だったら俺にはその霊術が効いていない完全なフラット状態が俺だけに見えている、もしくは聞こえているんだ。視覚的な霊術でも聴覚的な霊術でも、俺にとっては全く関係無いということだ。
まずは、視覚的なことから考えよう。
さっきの先生が入ってもすぐには分からないということは、俺にとっても先生にとっても、それぞれの見方がいつも通りなんだ。そしてその見方というのは、同一であるという可能性が高い。さらにジジイは、会話がある程度進むと先生は違和感を感じると言った。つまり、聴覚的な霊術を使用した考えるのが普通だろう。
だが、どうにも納得しかねる。
ピッタリと欠けたピースが当てはまらない様に、なんだかスッキリしないのだ。よく分からないモヤモヤが漂う。その答えを選んではいけないという壁の様に、俺の周りに纏わり付いている。
………例えばだ。
この自分のことを『儂』と言ったり語尾に『じゃ』を付けたりする老人の言葉が霊術と言うフィルターを通して聞くと、普通の喋り方に聞こえるのだとする。
だがそんなことをして何になる。喋り方なら変えれば良い。つい癖で言ってしまうとしても、その老人は長いことこの学校の理事長をやっているのだ。既にもう矯正は完了している筈だ。常識的に考えて、わざわざフィルターを掛けてまで老人言葉で話す奴なんかいない。
別の可能性は無いだろうか。何かを見落としてはいないだろうか。
逆転の発想。
天才的な閃き。
そう、さっきとはまるで違う考えがある筈なんだ。
______視覚が変わっているからこそ。
ふと、そんなことが脳裏に浮かんだ。
………そうか、そういうことか。
視覚が変わっているからこそ、言葉に違和感を覚えるんだ!
男が語尾に『わ』を付けて話す様に。
女が自分のことを『俺』と言う様に。
青年が語尾に『じゃ』を付ける様に。
その時、バラバラに散らばった全てのピースが嵌り、作品が完成した。
「『ジジイが青年もしくはイケメンに見える』霊術、か………」
その答えを導き出した時、少しばかり哀れみを感じてしまった自分が情けない。俺はSなのが取り柄なのにな。
「くっ………」
その答えが耳に入り込んだ瞬間、またしてもジジイが電光石火の瞬発力を発揮したが、予想のついていた俺は既にドアの前に立ちはだかり、再び肩車をくらわせた。
「………バカな」
掠れた声でそう呟き、また諦めた様に瞼を閉じた。
「______終わらせるかよ!さあ、俺の願いを叶えてもらうぜ。そんな所で死んだふりしてねえで、さっさと立って呪文を唱えやがれ!」
「この畜生が、鬼か貴様は!少しは年寄りを労わらんかい!」
「慈悲を乞いても無駄だ!何故なら、俺はジジイが苦しそうにしているのを見ると余計に滾るからだ!」
「ああ、みーちゃんのお仕置きに屈しなければこんなことには………」
「今更だ!ってか、みーちゃんって誰?」
「ん、知らんのか?神谷美咲、この町の担当霊媒師のことじゃぞ」
「______え、えぇぇぇぇぇぇぇえ!!!」
今日、驚愕の事実が発覚した。
俺の親友の母親が霊媒師だった件。
#18
ボクは誰だろう
どうしてボクはこんな所に居るんだろう
なんで此処に居なくちゃいけないんだろう
暗い
怖い
誰か居ないの?
ボクは一人なの?
お母さん
お父さん
悠くん
あれ
悠くんって誰だっけ
ああそうだ
ボクが大好きな男の子
でも大嫌いな男の子
とってもとっても大好きだけど
いつになっても気づいてくれない
多分本当は気づいてる
でも黙っている
そんなところが嫌い
でもそんなところも好き
自分でもわけがわからない
でもこれがボクの本当の気持ち
それでも耐えることが出来なかったから
つい本心を悠くんに話しちゃったんだ
答えなんてわかってる
わかってるけど訊きたいんだ
"ボクのこと、好き?"って
自分が傷つくことも十分わかってた
でもどうしても願ってしまうんだ
"好きだよ"って答えが来るのを
でもその期待以上に
"好きじゃない"って答えが来るのが
怖くて怖くて堪らなかった
だからボクはこんな真っ暗な殻に
閉じこもってしまったんだ
でもわかった
悠くんがボクだけを見てくれないより
ずっと一緒に居れないことのほうが
ずっとずっと怖かったんだ
ここから出たい
でも出れない
ボクがそう選択してしちゃったんだから
神様
ボクはどんなことでもします
どんな姿になってもいいです
ですからどうか
______俺は、美琴のことが好きだ!
______大好きだ!
______何者にも代え難い、大切な、大切な人だ!
______なんで答えも聞かずに勝手に死ぬんだよ!
______確かに俺は、お前に答えを言うつもりは無かったのかもしれない
______男が男を好きなんて、絶対に許されることじゃあない
______でもな美琴、例え言葉に表せなくても
______心の奥底じゃ、ずっとお前のことを想っていることだけは、知って欲しかった!
______本当に、なんで、勝手に、いなくなるんだよーーーーーっ!
誰?
この声
悠くん?
悠くんなの?
そうだ
悠くんにちがいない
大好きって
大切な人だって
ずっと想っているって
えへへ
うれしいなあ
でも
もう遅いよね
なんでボク
こんなに早まっちゃったんだろう
もっとボクに勇気があれば
もっとボクに強い心があれば
幸せになれたはずなのに
ボクのバカ
本当にバカ
神様
もう一回お願いしてもいい?
この闇の中から出してって
______大丈夫
お母さん?
______もうすぐ来るよ
何のこと?
______悠くんが美琴ちゃんを助けに来る
え?
______だから、もう少しの辛抱だよ
どういうこと?
______頑張ってね。後は、美琴ちゃんの頑張り次第だから
「………悠、くん?」