8、電話
『……』
かすかだが、何かが耳に届いた。
おそらく兄だろう。
けれど、兄はいつも何をしているかなど物音でも分からせないというのに、今日はやけにうるさい。
私が帰ってきていることに気づいていない可能性が高かった。
なにやってんだろ?
興味本位で、まったくの面白半分で、私は足音を忍ばせて階段を上がることにした。
『………』
ボソボソとして聞き取りづらかったが、誰かと会話しているような感じだ。
しかし玄関には他人の靴など見当たらなかった。
ということは、電話でもしているのだろう。
兄の部屋は、階段を上がって手前にある私の部屋の、隣の隣、つまり奥の方にある。
階段をあがりきったところで、壁に張り付いて奥の部屋の様子を伺うと、音が聞こえた原因が分かった。
兄の部屋の扉が数センチほど開いていたのだ。
音を立てないように慎重に足を運びながら、私は息を潜めて耳を澄ませていた。
『しゃーから、あいつのことなん、なんも知らん言うとるやんけ』
少しかすれ気味でハスキーな男の声。
いつまでたっても耳慣れしない独特の関西弁。
紛れもない兄の声が、今度は正確な言語になって耳に入ってきた。
途端に、私は思い出していた。
学校の下駄箱で渡された、元カノらしき人からの手紙と伝言のことを。
あれを兄に伝えることなんてできるのだろうか?
(―――あんたのお兄さん、残酷なやつよ)
あんな身も蓋もない言葉を、いくら実の兄とはいえ…。
思わず制服のポケットに手を突っ込み、受け取ってきた紙切れを握る。
紙切れは私の握力に耐えられず、くしゃっとひしゃげた。