6、兄さん
絆とか縁とか、そんなもの信じるつもりもないけど、血の繋がった兄妹なのだから少しは何か感じるものがあるのではないかと思っていた。
けれど本当に、「他人だ」ということ以外、彼に対してまったく感じられるものはなかったのだ。
けれどその時は、それに関して否定的な感情は湧かなかった。
10年も離れて暮らしていて、それも一緒に居た時の記憶がないのならば、いくら血縁とはいえ案外と素っ気ないものなのだろうと自分なりに解釈していたからだ。
けれど、その素っ気なさの本当の原因は実はすべて兄によるのだと、同居を始めて1週間と経たずに知れることとなった。
第一に彼は、「お兄ちゃん」と呼んでも絶対に返事をしない。
体中から勇気を振り絞って口にした「お兄ちゃん」が完璧な無視をくらってから、私は極力兄を呼ばないようにしている。
どうしてもそうしなきゃならないときは、他人行儀に「兄さん」と呼ぶ。
兄も、「兄さん」と呼んだ時ならば、明瞭ではないものの何らかの反応を示すようだった。
第二に、兄は質問には全て上っ面な答えを返すやり方で通した。
本当なんだか嘘なんだか分からないような話でごまかすのがうまいのだ。
核心に触れるような質問などは、虚実織り交ぜたようなエセくさい話を誠実という塗料で上塗りして返す。
兄の、本当に誠実な話なんか、少なくとも私は一度も聞いたことがない。
そして最後に、昔の私たちの話など振るのも振られるのも嫌というように、家族だんらんは確実にボイコットだ。
兄は高校三年になるので進学だ就職だなんだと忙しそうだが、かといって家族と話せないほど多忙かといえば、実はそうでもないのだ。
時間のやりくりがうまい人だったので、生活のサイクルには常に余裕がある感じだった。
私たちに分からせない程度に、用事を無理やり作っているような気さえした。
とまあ、万事こんな調子だったので、兄が、遺伝子上でしか私たちを家族と認めていないことはすぐに知れた。
両親の言いつけには表面上従っている様子を見せるが、その実バレない範囲で何をしているのやらわかったものではない。
10年近く放っておかれていまさら家族ごっこなどできないというのは、正直分かる話ではある。
けれど、兄ほどに自立心も生活力もある人が、じゃあどうして母の説得に応じてこの家で暮らすことを決断したのか。
一緒に住んでいるから譲歩している、という程度でしか、兄は母にも義父にも敬意を払っていない。
まして私などには、話しかけることすらないのだ。
そんな不安定な家族は、当然のこと不協和音を奏で始めた。
両親は腫れものに触るように兄に接し、私は私で、最初の1カ月を過ぎた頃には彼に関わろうという気持ちなどすっかり失せてしまっていた。
ただ一人、兄だけが常と変らない様子でマイペースに暮らしている。
淡々と、その内面はまったく見せることなく、ただ淡々と。