2、教室にて
「みどりー、もう帰んの?」
「うん、ちょっと家の手伝い押しつけられちゃって」
「偉いねー、日本の大和撫子ここにありって感じだねー。信じらんない」
「あはは、大和撫子ってただの雑用係のこと?」
「…ごめん、言いなおすわ。大変だねえ、毎度毎度」
高校で友達になった菊池百合子の軽口に付き合いながら、私は鞄の中に参考書などを詰め込んでいた。
さっさと家に帰ってやることをやってしまわないと、「あいつ」が帰ってくるからだ。
私の忙しそうな仕草で何かを察したのか、トレードマークの短いお下げをくるくると指でいじりながら、百合子は幾分か声を和らげて言った。
「でもさでもさ、たまにはカラオケとか付き合ってよ~。あんた歌うまいし、みんなも気にしてんだよ、けっこう」
「ホント!?なにそれ、お世辞とか気持ち悪いよ百合子」
「へー、そういうこと言っちゃう?んじゃあせっかくいいこと教えてあげようと思ってたのに、やっぱり言うのやめちゃおっかなー」
意味ありげに大きな瞳を細めて、百合子はニヤニヤとやたらいやらしい顔をしてみせる。
そんな風に言われれば是が非でも聞き出したくなるのが人のさがと言うもので、私は瞬時に頭を下げていた。
「百合子様のほめ言葉、ありがたく頂戴します!だからそのいいことって何か教えて~」
「よしよし、素直でよろしい」
私の大仰なパフォーマンスに溜飲を下げたのか、百合子がヒソヒソ声で耳打ちしてきた。
「いま3組の女子のあいだで言われてんだけどさ、1組の佐野くん、あんたのこと好きらしいよ」
驚きのあまり、え?と聞き返すこともできなかった。
1組の佐野くんと言えば、私たちの学年はおろか、校内中の女子が気にしているのではというほどカッコイイことで有名な人だった。
何かの間違いだろうとしか思えない。
「それただの噂でしょ?だれかと間違えてるんじゃないの」
寝不足ということもあり、私は面倒くさそうな噂話にすぐ興味を失った。
とりあえず、私にとってはひとつもいいこととは思えない類の情報だ。
「ったく、みどりはこれだから…。ちょっとは嬉しそうな顔したら?普通ははしゃぐよ?色気づくよ?あんた男に興味ないんじゃないの?」
話して損したとでもいうように、百合子はジト目で腕組みをして睨んできた。
何を言われても興味がないものは興味がないのだからしょうがない。
「そうかもね。でも信じられないし、本人ともあんまり面識ないし、それで喜ぶ方がバカじゃない?私みたいなの、わざわざ選ぶと思えないし」
一通り宿題に関係ありそうな教科書を詰め込んで、あとは帰るだけとなった。
隣で、うらめしそうな顔をした百合子が、特徴的などんぐり目をくりくり動かして私の様子をうかがっている。
こうして見ると、百合子は小動物のように可愛くて、守ってあげたくなる雰囲気がある。
中身はといえばそうでもなくてむしろ頼りがいがある姉御肌な性格だけど、男女とも友達が多くて付き合いやすいし、私のような地味な人間よりはよっぽどモテそうだった。
そんなふうな評価を下していると、百合子が何かを諦めたように「はー」と大きくため息をついて肩を落とした。
「……わかった。そうよね、あんなスゴイ人が身内にいるんじゃ、理想が高くなるのも仕方ないしね」
「え、なんのこと?」
「兄弟よ、お兄ちゃんよ、あんたのお兄ちゃんの高馬さん!サッカーは文句なしのプロ級、ちょっと近寄りがたいけどけっこうルックスいいし、そんな人と毎日顔突き合わせてたら、そりゃ佐野くんあたりが好きだって言ってもどこ吹く風よね」
「はあ!?そんっ…」
反論しようとした矢先に「百合子、今日行く?」と別の子から話しかけられ、百合子はそっちの方へ話を変えていた。
非常にもやもやとした思いを拭えなかったが、腕時計のデジタル表示はすでにタイムリミットを過ぎている。
名残惜しさを感じながらも、私は早足で教室を出て昇降口へと駆け出した。
どうでもいい補足:佐野君とみどりはほとんど接点ありません。みどりはけっこう美少女…に近いですが地味です。