26、抜け出せないしがらみ
私は、いつの間にか涙をいっぱいに両目に溜めて、嗚咽を漏らすのをこらえていた。
全身に力をこめて泣くまいとしているところに、兄が大きな手で、優しく私の肩をたたく。
すると、その反動からか、涙がぽろり、ぽろりと零れ始め、何かの関を破ったように後から後から止まらなくなってしまった。
胸が、誰かに掴まれたようにぎゅっと締めつけられて、苦しい。
何かの塊が喉へせり上がろうとしていたけれど、吐き出すこともできない。
馬鹿で、無知で、幼稚だった自分を思い知る。
兄の孤独など、想像もしなかった。
超然としている人だから、何もかも全てを割り切ることができる、大人と同じなのだと思っていた。
そうではない。
兄がずっと関西弁を通すのも、私たち家族にははまらなかったのも、ただ実父の影響を受けたことだけではなかった。
実父のことが、本当に好きだっただけなのかもしれないと、ようやくここで思い至っていた。
その気持ちを思うと、自分を可哀想がって泣くより、いっそう悲しくて辛い。
何も分かろうともせずに反抗ばかりしていた馬鹿な妹を、許せなかった。
「けど、分かっててもなぁ…どうにもできんことは、世の中にはようけあんねや。お前もそのうち分かる。けど、それはまだ『今』やない。お前はこのウチで、おとなーしく、平和に暮らしとったらそれでええ。不良で変態の兄貴のことなんぞ、おったんかい、ぐらいの気持ちでおるとええんや」
口を開いたら嗚咽が止まらなくなりそうで、私は何も返せなかった。
「そしたらな、何十年とあるうちの、指先ぐらいの事件なんぞ、すぐに忘れられるわ。そんで俺もいなくなれば、お前かて、安心して生きていけるやろ」
「………」
「けどな……せめてそれは、持っといてやってくれ。お前が自分で残したモンやしな。俺には、記憶がある。思い出もようさんある。けど、お前には、なんもないやろ。知らんかったやろうけど、親父はな、親父は、」
そこで兄は、妙に声をつまらせた後、
「………お袋と……お前が。…好きやったんや」
少しだけ上ずった声でそう言うと、素早く踵を返し、駆け出して行った。
その背中には、振り返る気配もない。
兄の姿が闇に溶けて見えなくなるまで、茫然と立っていた私は、声を限りに泣きたいのを我慢して、重い足を引きずるように家の中へと入った。
扉の前に、ずるずると沈み込む。
一筋の光もない濃密な闇が、そのまま地の底まで引っ張っていくような心地がした。
薄情者。
言いたいことだけ言って、行ってしまって。
何の責任もとらずに、かき乱すだけ乱して、出て行ってしまうくせに。
勝手なことばかりを言う。
そんな兄は、不誠実な兄は、やはり私の兄なんかじゃない。
私はそんな兄が、嫌いで嫌いで、仕方がない。
そのはずなのだ。
「うっ…ううっ…う~~」
無理だと思った途端に我慢していた嗚咽が漏れた。
選ぶ暇もなくつきつけられた道には、前へ進めば進むほど抜け出せなくなる、濃いしがらみが用意されている。
私は否応もなく、そこを進んでいくしかないのだろう。
忘れろと言った兄こそ、馬鹿で、無知で、幼稚なのかもしれない。
彼の言うこと、すること、何もかもが、私にとっては強烈に記憶に残ってしまうことを、知ろうともしないのだ。
そうか。
きょうだいというのは、そういう、どうしようもないところだけ、似てしまうものなのかもしれない。