24、告白
「そんなら、鍵、かけとけよ」
玄関の前にたどり着いた時、兄が、さきほどの愁嘆場など感じさせぬほどの平坦な声で言った。
このうえ、日課のロードワークを欠かすつもりはないらしい。
私は、この家に入った瞬間に、せっかく泥濘から掬いあげた真実を取り落してしまう予感がして、一息に告げた。
「兄さん、なんで私たちと一緒に住もうと思ったの?」
ずっと分からなかった。
そんなにも私たちと距離を置きたがる兄が、ではなぜ、再び私たちの前に姿を見せたのか。
兄は立ち止まって、一瞬の間を置いてから、ゆっくりと振り返った。
「俺かてな、人の子やぞ。…お袋と、お前に会ってみたかったっちゅう…それだけのことや」
その顔は、少し視線をうつむけていて、兄に対して初めて年相応を感じる所作だった。
大人びた得体の知れない男だった兄が、やっと現実味を帯びて私の前に姿を現した気さえした。
「そっか…そうだったんだ」
「そうや。……あれこれ、言うたけどな。俺もお前も、ほんまには家族や。それは変えられへん」
「…………」
「せやから、さっきのことも、お前が見たもんも、全部忘れろ」
「無理だよ…。私が今まで忘れていられたのはね、きっと兄さんに出て行ってほしくなかったからなんだと思う。兄さんが本気で出て行くっていう目を、あのときの私は心に刻みつけてた」
正気を失ったように強く叫んだ兄の声が、その鋭い視線が、おそらく私に暗示をかけていたのではないか。
初めて、私と兄の利害が一致したから。
「でも、もう…」
一度衝撃を伴って思いだした記憶を、前のように簡単に忘れ去るなどできそうになかった。
私が左右に首を振ったのを見て、兄はおもむろにポケットに手をつっこむと、何かを探り始めた。
すると、スウェットのズボンのポケットの右側から、紙切れが出てくる。
くしゃくしゃになっているそれは、よもやあの忌まわしい元カノの手紙か。
「ほれ。お前があんとき止めた、最後の一枚や。……俺は、寂しかったんかもしれん。母親は4歳ん時からずっとおらんで、とうとう親父ものうなって、そんで自分に残るもんがなんもないて気づいたんや。写真があっても、それは変わらんかった。ただの紙切れで、これは、親父やない、そう思えば思うほど、つろうてつろうて、しゃーない。いっそ燃やした方が、親父の供養にもなるし、俺の気持ちにもカタがつく、思うてな。そこに、お前がきて、勝手なこと喚いてこれを残したんを見てな、俺は、やっとお前を妹と思えた。つらいんは、俺だけやないのかもしれへんて、分かった」
その告白を聞いて、たちまちに記憶が蘇った。
常軌を逸しているような、実父の写真を焼くという兄の行動。
そのときの横顔。
鮮明に脳裏に浮かんだ。
私はゆっくりと手を差し出して、くしゃくしゃの紙くずを受け取った。
開くと、そこには、4歳くらいの男の子と、写真でしか見たことのない実父が、公園のようなところで手をつないでいる光景が映されていた。
では、あのとき燃やそうとした家族の写真の、最後の一枚がこれなのだ。
兄は結局、私がしゃにむに守ったこの写真を、捨てずにいてくれたのだ。