10、空虚な売り言葉
「…なんや、帰っとったんか」
廊下で立ち尽くす私に気付いた兄が、1メートルほど手前で足を止めた。
私が立ち聞きしていたことを、おそらくこの兄は分かって言っている。
まるで何事もなかったかのように飄々とした態度に恐怖といら立ちを感じた。
「……今日、お父さんも、お母さんも、いないから」
「そらそやったな」
兄は、本当に何も感じていないように、普通に接している。
何なの、その余裕?
曲がりなりにも実の妹を侮辱しといて何の弁解もなし?
なんで黙って通り過ぎていけるの?
信じられない。
人としてどうかしてる。
「…ち悪い」
我慢できずに、正直な感想がこぼれ落ちた。
それはまったくの無意識だったものの、兄へ向けずにはいられない感情のかけらだった。
「あ?なんか言うたか?」
「気持ち悪いよ、サイテー!人のことなにしゃべってんの!?変な目で見ないでよ!」
私はその時、完全に取り乱していた。
後になってみれば、もしくはもう少し冷静さを取り戻していたら、私が言っていることがどれだけ被害妄想に満ちていたか、気づけたかもしれない。
けれどこの時の私は、兄の常にない生々しい人間臭い部分に振れたことで動揺しまくっていた。
兄が、私をそんな風に見ることが、どうしてだか許すことができなかったのだ。
「はあ?何を言うてんねん。盗み聞きかて、立派にサイテーな行為やぜ。なにのぞいてんの?」
兄が厭味ったらしく似てない口真似をしたので、私はさらにかっとなって言った。
「話すりかえないでよ!そっちが…、そっちの方が最悪でしょ!兄のくせに、なんでそんな気持ち悪い目で見れんのよ!今まで私のことずっとそんな風に見てたの!?サイテーサイテーサイテー!!もう出てってよ!!この家から出てって!!あんたなんか私の家族じゃない!!兄さんなんかじゃない!!」
はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、私は溜まっていた思いをとうとう言いきった。
何かが爆発してしまったのだった。
同時に、激しく警鐘が鳴っていた。
『これ以上かき乱さないで、暴かれそうになる』
けれど、何の深い考えもなしに口にしてしまった言葉たちは全てが希薄で、相手に届く前に弾けて気泡になるだろう類の、らちもない中傷に過ぎなかった。
聡い兄は、すぐにこれに気付いた。
そして容赦なく攻め立ててきた。
「話すりかえる?誰が?最初っからおんなじ話やろ。お前、言うてること全部自分に返っとんで。ほな、盗み聞きしとったお前はなんやねん。人の電話の内容コソコソ聞きよって。気ぃわるい。気持ち悪い思うんなら関わらんかったらええ話やろ。こっちかて気持ち悪いわ。家族やないとか、何いまさらなこと言うてんねん」