5 墓参り
ニルフェンは、壁に手をついて立っているアッシュに深い緑の目をむけて、じっと観察するように数秒間見つめた。
「立っている」
「そう、さっきはじめて歩いたの! すごいでしょ!」
サビーヌが自慢げにアッシュの肩に手を置いた。
「それに大きい。たしかまだ3か月だよね?」
「やっぱり3か月は遅いの? 普通じゃない? ヘン?」
急に不安になったのか表情を曇らせるサビーヌ。
ニルフェンは頭を小さくふった。
「人間の成長速度なんてわたしは知らないよ」
「私、赤ちゃんを育てるのはじめてだから怖くて……」
「ちょっと早いなとは思ったけど、わたしから見れば人間はみんな異常な早さで成長する」
ニルフェンはしゃがんでアッシュと目線の高さを合わせた。
精巧な人形みたいな美形の顔がアッシュの間近にくる。
「こんにちは。わたしはニルフェン。キミのお母さんの友だちだよ」
アッシュは反射的に会釈を返した。
するとニルフェンが目を細めた。
「もう言葉を理解している?」
「ずっと前からそうなのすごいでしょ! 天才かもしれないわ」
「キミの子どもなら不思議じゃないよ」
ニルフェンはほんのかすかに笑みを浮かべた。
「目も髪もきれいな灰色だね」
この世のきれいをかき集めたように美しいエルフからきれい、と言われてアッシュは嬉しくなった。
しかし。
我が子の誉め言葉を聞いて大喜びしそうなサビーヌがなぜか表情を硬くした。
「これは目立つね。すこし細工しておこう。いいかな?」
ニルフェンに視線を向けられたサビーヌがほとんど恐怖のように深刻そうな顔でこくこくと何度もうなずいた。
ニルフェンが持っている杖の先をアッシュの頭に軽くあてると、たちまち髪が栗色に変わっていく。
目の色も灰色から茶色へと変化した。
「これでよし。すこしはごまかせるだろう」
「助かるわ。外にも連れていってあげられなくて不憫で……」
「賢明だ。危険を冒す必要はないよ。それは?」
ニルフェンはアッシュがつけている指輪に気づいた。
「わたしがあげたやつだ」
「あーっと、これには事情があってね。アッシュが指輪に興味をもったんだけど、火の魔法は危ないでしょ? そよ風ならだいじょうぶかと思って……いけなかったかしら?」
イタズラを見咎められた子どもみたいに、しどろもどろになりながら早口で言い訳するサビーヌ。
「問題ない……と言いたいところだけど、この子もマーシアだ。赤子なのにすごい魔力がある。とんでもない事故を起こすかもしれない。念のために外しておこう」
ニルフェンはそよ風の指輪をアッシュから取り上げた。
「それにサビーヌ。前会ったときと魔力が変わってない。サボってるね。魔法は使わないと上達しないよ」
「えへへ。忙しくて、つい」
サビーヌがバツの悪そうな顔をした。
「さて、と。用も済んだしそろそろお暇しよう」
ニルフェンが腰をあげた。
「もう行っちゃうの? せっかく会えたのに……」
サビーヌが名残惜しそうにニルフェンのローブの裾を握った。
その子供じみた仕草を視界の端でとらえたニルフェンはまたかすかな笑みを浮かべながらフードをかぶった。
「今日は無事を確かめにきただけだから」
「待って。そうだニルフェン、今夜は泊まっていって! また昔みたいに夜通しおはなししましょう!」
「いつもキミがずっとしゃべっていただけだけど」
「そうだったかしら、えへ」
ニルフェンは室内を見回した。
ベッドが1つしかない部屋を。
「やめておくよ。麓の村に宿をとってあるし。また明日来る。お墓参りもしたいしね」
その夜、寝床のカゴでアッシュは脳内のティーエに話しかけた。
(取り上げられちゃったね、指輪)
『問題ありません。すでに覚えましたから』
(覚えたって? そよ風の魔法を?)
『はい。魔法発動時のマスターの体に起こった変化は解析済みなので、いつでも再現可能です。もう発動体は必要ありません』
アッシュはどれどれ、とさっそく指を真っすぐに伸ばそうとして。
『屋根を吹き飛ばしてしまえば一家離散してホームレスになってしまいますよ』
慌ててひっこめた。
翌日、ニルフェンは宣言通りふたたび家を訪れた。
しかし今度は家に入らず、逆にサビーヌとアドルが外に出ることになった。
アドルは毛皮の外套を、サビーヌも羊毛のショールを羽織っている。
アッシュもおくるみに包まれ、生まれて初めての外出を経験することになった。
外に出てみると、我が家である猟師小屋は深い森の中にぽつんと建っていた。
辺りに他の家は見えない。
山奥に孤立した一軒家のようだ。
一行は鬱蒼とした森の中を歩いて山を登る。
誰も話をしない。
いつもは5分と黙っていられないほど話好きのサビーヌもこのときは一言も口を開かなかった。
やがて森の切れ目について視界が開けた。
そこは麓を一望できる小さな断崖だった。
ときおり風が吹いて木の枝を静かに揺らす寂しい場所だ。
青い空の下に見わたすかぎりの平原と村の家々が広がる遠景が壮観だった。
断崖には簡素な墓があった。
小さな石が積み上げてあるだけで、墓標もない。
そこが墓だと知っていなければ墓と気づかないかもしれない。
ニルフェンは墓の前で手を合わせてしばらく目を閉じた。
「あの子のことは残念だった。助けられればよかったんだけど」
表情を変えずにそう言ったニルフェンにサビーヌは首をふってみせる。
「あのときはしょうがなかったのよ。アッシュ。ご挨拶して。お母さんの命の恩人よ。ライザっていうの」
アッシュには詳しいことはまるでわからなかったけど、母の命の恩人ということは自分の命の恩人でもあるのではないだろうかと思い、サビーヌの胸の上で体をよじって墓に顔を向けた。
「あいあぉ」
ありがとう、と言おうとしたのだがまだうまく発声できなかった。
だが、それだけでも周囲の大人たちに大きな驚きを与えた。
「しゃべった?」
「しゃべったな」
「しゃべったね」
3人は顔を見合わせる。
サビーヌの目からほろりと一滴の涙が流れ落ちた。
「ライザ、あなたが守ってくれた子は元気よ。ありがとう」
墓から帰り道の途中でニルフェンと別れることになった。
「えーもう帰っちゃうの、ニルフェン」
「いつか人は思い出話をするようになる。わたしはその遡上にあがればマシだと思っているよ。またね、サビーヌ、それにアッシュ」
ニルフェンは「また来るよ」とそっけなく言って麓に通じる山道を下っていった。




