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家に駆けつけたイメリア司祭が、アドルと深刻そうに話しあいをはじめた。
小声なのでなにを話しているのか聞こえない。
が、2人とも硬い表情をしていて、とても近寄れる雰囲気ではない。
アドルは怒っているのか、帰ってきてからアッシュと目もあわせようともしない。
かたやサビーヌといえば、ずっとすすり泣いている。
いつも朗らかで活発な母がここまで打ちのめされた姿を見たことがなかったので、いたたまれなくなった。
やがて、話がまとまったらしい。
「すぐ山をおりましょう。ですが司祭様、本当にぼうずをお願いしていいんですかい?」
「もちろんです。でもアッシュくんの旅支度は?」
「緊急事態のために前から荷物はまとめてあります」
アドルが小走りに家へ入り、荷袋を持って出てきた。
あれが旅支度、らしい。
ずいぶん準備がいい。
うすうす事の推移を察せてきたアッシュの脳裏にさっきのアドルの言葉がよみがえる。
「この子はもうここに置いておけない」
あの言葉と母の涙。
そしてこのあわただしい旅支度。
それが意味することは1つだった。
捨てられるのだ。
その恐ろしい可能性に思いあたってアッシュは身震いした。
「ぼうず」
アドルがやってきて重々しく口を開いた。
「は、はい」
「ここは危険だ。おまえは遠くへ逃げなきゃならん。今すぐにだ」
「……どうして、急に?」
「急にじゃない。ずっと危険はあった。それが今はさらに増したんだ。もう一刻の猶予もない」
「それって、この目と髪のせい?」
「そうだ」
なぜ目と髪の色を変えなければならなかったのか。
マーシアの統治者一族のひとりであるサビーヌがなぜ素性を隠しているのか。
なぜこんなに急いで逃げなければならないのか。
疑問が頭をかけめぐるが、事態の進行があまりにも性急すぎて答えにたどりつかない。
はっきりわかるのは、自分の気持ちだ。
「僕はよそに行きたくない……」
「つべこべ言うな。おまえの命が危険なんだ」
「でも、父さん!」
「甘ったれるな。俺はおまえの父さんじゃない。他人だ」
アッシュは頭を強打されたかと思った。
衝撃のあまり、アッシュの思考は停止する。
目の前がぐらぐらして足もとの地面が崩れ落ちていき、底のない穴へ落ちていくかのように感じた。
下山して村はずれにつくと、イメリアが手配したのか、出発の準備をととのえた馬車が待っていた。
馬車を見て、それまでちんぷんかんぷんという様子だったディルが騒ぎはじめた。
「おいどうなってんだよ!? アッシュをどこにやるつもりなんだ!? 先生も師匠も、なんとか言えよ!」
ディルは掴みかからんばかりの勢いで声を荒げたが、イメリアに耳元でなにかを語りかけられると、黙ってしまった。
ぼんやりとした頭でひそかにその反抗を応援していたアッシュにとっては、最後の砦が陥落した気分だった。
サビーヌがアッシュの前で身をかがめて目線を合わせた。
いつも笑みをたやさない顔が涙でぐしゃぐしゃになっている。
「急にこんなことになって戸惑うよね。でも、あなたのためなの……」
どこにも行きたくない。
ここにいたい。
アッシュはそう叫びたい思いだった。
だが、すでに母がじゅうぶん傷ついていることはわかるからなにも言えなかった。
最後にサビーヌは目いっぱい抱きしめてきた。
いつも喜びを与えてくれた温もりが、今は肌を刺すように痛かった。
「愛してるわアッシュ」
返事ができなかった。
申し訳なくて。
イメリア司祭はアッシュを馬車にのせると、自分も乗りこんできた。
1秒も惜しいとばかりに馬車は出発する。
「アッシュくん。今からわたくしたちはボスリンという街へ行きます。長旅になるでしょう。ですが心配いりません。わたくしが責任をもって送り届けますから」
この先のことなんてどうでもいい。
そんなことを考えられる気分ではなかった。
アッシュは振りかえり、遠ざかっていく村を見つめる。
ディルが跳びはねながら思いきり両手をふる横で、地面に手をついて泣き崩れるサビーヌの肩をアドルが抱いて慰めていた。
胸が痛い。
生きているだけで他人の迷惑になる人間がいる。
前世ではそうだった。
今生ではそうはならないと思っていたし、そうならないように努めた。
だが、結局はそうなってしまったのだ。
しばらく馬車に揺られるあいだにすこし冷静になった。
ニルフェンから教わった魔法学の知識のおかげでなにが起こったのか薄々はわかっている。
魔法による持続的な影響は、他の魔力によって解けることがある。
【解呪】のような専用魔法の場合もあるが、大量の魔力に曝されても同じことが起こるらしい。
ニルフェンがかけた【からだの色を変える魔法】をアッシュの魔力が破ってしまったのだ。
日々使う魔法によってすこしずつ効力が摩耗していたのかもしれない。
そこに、魔力を抑制する指輪さえも破壊したほど大量の魔力を放出するマーシアの加速魔法が重なったせいでついに解けてしまった。
これはニルフェンには想定外の事態だろう。
ニルフェンはアッシュがすでに加速魔法を使えることを知らなかった。
伝えていなかったのだから当たり前なのだが、おそらく本来はこんな子どもが使える魔法ではないのだろう。
もしそのことを伝えていれば、ニルフェンならなにか対処法を思いついたはずだ。
迂闊だった。
あまりにも迂闊だった。
髪や目の色を変えていることは知っていた。
そのことを忘れていたせいで、そしてそれが意味することをよく考えなかったせいで、サビーヌは幼い息子を失うことになってしまった。
申し訳なくてしかたがない。
恩をあだで返したような、最悪の気分だ。
父、というかアドルについては……。
やっぱりそうだったのか、と納得するところもある。
昔からどこか距離を置かれていたような気がする。
自分の子どもではないからだ。
だから、いざ危うくなったらいつでも捨てる準備をしていたのだ。
裏切られた。
『わたしは気づいていましたよ』
ティーエが語りかけてきたが、答える気になれない。
『灰色の髪の子どもが、栗色の髪の両親から産まれる可能性はそれほど高くないのでは、と。この世界の遺伝の規則性が不明なので言及はしませんでしたが』
(いまはやめてくれないか)
言語化してくわしく説明してくれることはいつもならありがたいことだけど、いまはありがた迷惑だ。
こういうところは感情の機微がわからないAIっぽい、と思うアッシュへティーエは意外なことを言いだした。
『すごい男ですね、アドルは』
(え?)
惜しみなく愛情を注いでくれたサビーヌのことならともかく、なぜアドルの名が出てくるのだろう?
『アドルは腕のいい猟師ですが、それでも生活に余裕があるわけではありません。危険ななにかに追われ、命を狙われている他人の子を引きとって育てることなど、よほどの器量がなければできないことです』
不意にアッシュは狩りを教わったときのことを思いだした。
アドルは口下手だ。
教えるのがうまいほうではなかった。
正直、ティーエの解説がなければ理解できないこともあったかもしれない。
だけど、苦手ながらも自分が人生で得た知識、技術、経験を余さず伝えようとしたのは、アッシュのためだろう。
生きていく力を与えてくれようとしたのだ。
その不器用な姿を思いだすと、目と鼻の奥につんと刺激を感じた。
『わたしは感動しています。人間とはすごいものですね』
(……感動なんてできるんだ。AIっぽくないよ)
『わたしはあなたの時代の情けないAIとは性能が違います。認知力も共感性もあります』
(……その高性能AIさんに聞くけど、僕はこれからどうしたらいいと思う?)
ティーエにしてはめずらしく反応が遅い。
やはりティーエにも今後の展開は読めないのかと思ったのだが、その予想は外れていた。
『まずは泣いてください。アドルは間違いなくあなたの父さんでした』
その瞬間、心の関が決壊した。
アッシュは嗚咽し、その目からとめどなく涙がこぼれる。
その号泣は、がらがらという車輪の音とともにいつまでもつづいた。
【この章おわり】




