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黒騎士一行が帰っていった。
その姿が山道に消えるやいなや、ディルが興奮気味に口を開いた。
「おまえどこから飛んできたんだよ!? ひさびさに見たけど、やっぱあの技すごいな! どうやったんだ?」
「とっさのことだったから、わからないんだ」
アッシュにはぐらかされたと思ったのか、ディルはサビーヌに目を向けた。
「師匠が教えた技? アッシュすごかったよな!」
「そうね。すごく余計なことをしてくれたわ」
え?
アッシュは戸惑った。
今のサビーヌの言い方では、まるで悪いことをしたと責めているかのように聞こえたからだ。
たぶん、誤解だろう。
「まったく、とんでもないことをしてくれた……」
誤解ではなかった。
サビーヌは褒めるどころか責めているのだ。
アッシュはショックを受けた。
「おいおい、なんでそんな言い方するんだよ師匠。アッシュはオレを助けてくれたんだぜ」
「そうね。感謝なさいディリリア。でもそもそもあなたのせいでしょ」
つっけんどんな言い方だ。
いつもの母らしくない。
「そんなぁ。あいつを挑発したのは悪かったけど……でもオレたち勝ったんだから、褒めてくれたっていいじゃんか」
「そんなことどうでもいい。ああもう!」
日頃の鍛錬の成果を「そんなこと」呼ばわりされてディルはムッとした顔になる。
サビーヌが子どもの気持ちを無視するような言い方をするなんて、いつにないことだ。
アッシュは母の態度がだんだん不安になってきた。
(ティーエ、僕そんなにまずいことをやったの? なにをやったの?)
『マスターはスロウドライブを解除しないまま動きました』
(止まった時のなかを動いたってこと?)
『違います。時は止まっていません。思考が加速しているだけです』
口調は穏やかだが、付き合いも長いのでアッシュにはわかる。
ティーエはイラついている。
ティーエはつねに冷静だが、1つだけ明確に感情的になるポイントがある。
自分の理解できないことがあるときだ。
『ですが、それ以外の解釈も適切とは言えません。すべてが遅くなった世界で、あなただけが思考と同じ速度で動きました。今回も、そして前回も』
前回というのはザスルアの偵察兵に襲われたときのことだろう。
『前回はわたしにもなにが起こったのかわかりませんでした。わからない、という無意味な話はしたくないので黙っていましたが、2度目となれば認めざるを得ません。マスター、あなただけがスロウドライブで遅くなった世界を動けるのです』
(どうしてそんなことができるの?)
『さあ。まるで魔法です』
よくわからないのだが、ティーエはそうとは言いたくないのだろう。
『悔しいですが、わたしよりもわかっている者がこの場に1人だけいます』
母のことだ。
サビーヌは、なにが起こったかわからないから狼狽しているのではない。
アッシュがなにをしたのか理解していて、それを黒騎士に見られたからこそあれほど狼狽しているのだ。
今のサビーヌに話しかけるのは気が引けたが、勇気をだして話しかけた。
「母さん」
「なに? いま考えてるんだけど」
いきなり出鼻をくじかれて意気消沈しかけたが、そうもいっていられない。
「僕、魔法をつかったの?」
「そう。あなたはマーシアにしかできないことをやったの」
「マーシアだけがつかえる魔法、ってこと?」
「そうよ。マーシアの者が生涯かけて磨いていく魔法。どこまでも速くなれる魔法。それをあの黒騎士にみせてしまったの」
平常心を失っているせいか、すんなり答えてもらえた。
おおむねティーエの分析と一致している。
どうやらマーシア特有の技、というか魔法は加速に関係するものらしい。
すごい。
そう思う反面「そんなに大騒ぎするようなことだろうか?」とアッシュは疑問に思った。
一昔前ならともかく、ニルフェンからさまざまな魔法の知識を教えてもらった今となってはそれほどたいした魔法には思えない。
もっと驚異的な魔法はいくらでも存在する。
「ごめん母さん。使っちゃダメだったんだね。でも」
黒騎士は、加速魔法を見る前からサビーヌとアッシュがマーシアだと知っていた。
今さら騒ぐほどのことではないはずだ。
サビーヌが首をふった。
「そんなことじゃない。髪を見られたことが問題なの。どうしてニルフェンの魔法を解いたりしたの?」
「髪?」
なんのことだかわからずアッシュは頭をひねったが、ディルも同じことを言う。
「そうだぜアッシュ。急に髪の色が変わっちゃってる」
「え、そうなの?」
「うん。炭の燃えカスみたいなきれいな灰色になってるぜ。あ、目の色もそうだな」
自分では見えないから気づかなかった。
そういえば、赤子のときにニルフェンが魔法で色を変えたと言っていた。
目立ちすぎるから、と。
(ニルフェン……?)
アッシュはハッとして指を見た。
さっきからなにか違和感を感じていたのだが、やはりニルフェンからもらった【いい感じに魔法を調節する指輪】が壊れていた。
ニルフェンにかけてもらった魔法が解けて、もらった指輪も壊れた。
理解した。
サビーヌは、マーシアの魔法ではなく髪の色を見られたせいで慌てているのだ。
それがどんな意味を持っているのかわからないが、あの優しい母がきつく当たってくるだけの理由はあるのだろう。
そのうちアドルが猟から帰ってきた。
アドルもアッシュの髪を見るなりぎょっと顔色を変えた。
「ああ、あなたやっと帰ってきてくれた!」
サビーヌはアドルに事の顛末を話した。
聞いているうちにアドルの顔はどんどん深刻そうになっていく。
額に深い皺をつくってしばらくじっと考え込んでいたが、やがて。
「ディル。すまないが、ひとっ走り村にいって司祭様を呼んできてくれ。ついでに傷を手当てしてもらうといい」
「なんでだよ?」
「なんでもだ。急ぎの用だと伝えてくれ」
「……わかった」
ディルが行ってしまうと、サビーヌがどういうわけかさっきまでよりも狼狽した様子になっていた。
「あなた、まさか」
「そのまさかだ」
「そんな……私は嫌よ!」
サビーヌがあげたほとんど叫びのような悲痛な声に、アッシュは胸が痛くなった。
「何度も話し合って決めただろ。黒騎士は鋭い。念には念を入れておいたほうがいい」
「でも、だけど、あぁそんな……」
サビーヌが目を伏せた。
その瞳から大粒の涙があふれている。
アドルがちらりとアッシュを見て、すぐに目をそらした。
「この子はもうここに置いておけない」




