3 魔法をつかえます
『あれが本当に魔法かどうか確かめなければなりません。この世界の文明レベルを特定する材料にもなりえますから』
(つまり?)
『サビーヌの指輪を手に入れてください。あれがおそらく魔法の発生に大きく関わっていると思われます』
アッシュはサビーヌを見た。
サビーヌはかまどの前に立ち、鼻歌を歌いながら木べらを片手に鍋でなにかを煮ている。
指輪ははめたままだ。
思いかえすとあの指輪を外しているのを見たことがない。
寝ているときもはめたままだった気がする。
それだけアドルからもらった結婚指輪を大事にしているのだろう。
アッシュは頭を振った。
(結婚指輪を盗むなんていやだよ)
『盗めとは言っていません。永続的に借りるだけです』
なるほど借りるだけか。
それならいいだろう、と納得する。
(どうやればいい?)
『おねだりしましょう。可愛い我が子が欲しがれば容易に貸し与えてくれるでしょう』
(結婚指輪だよ? しかも魔法の。そんなに簡単にいくかなぁ)
『はい。人間の愛には損得勘定を超える理不尽な力がありますから』
(わかった。やってみる。なんか緊張してきたよ……)
次の授乳のとき、アッシュはお乳を吸いながら母の細い指に手を伸ばした。
「あー」
「あらあら。アッシュ、この指輪が気に入ったの?」
「だー」
サビーヌが困ったような顔になり、もう片方の手で指輪に触れてしばらく考えこんだ。
「うーん。ごめんね。これはね、お母さんの大切な人から預かったものなの。肌身離さず身につけているって約束したの。それに危ないものだから、アッシュにはまだ早いわ」
まあそうだよね、とアッシュはべつに気にしなかった。
むしろ、結婚指輪をひと時も離したくないという母の気持ちを聞いてすこし嬉しくなった。
夫婦円満な証拠だ。
ティーエには申し訳ないけど、魔法を使いたいわけじゃない。
外で目いっぱい体を動かせるようになることと、火をつけられる魔法の指輪にはおそらくなんの関係もないのだから。
サビーヌは、断ったもののまだ迷っているかのように指輪をいじりながら、アッシュと指輪を交互に見比べていたが、ふとなにかを思いついたように表情を変えた。
「あっそうだ! いいものがある!」
サビーヌはアッシュをテーブルにそっと横たえると、立ち上がった。
いくつかある棚を見て回ったり、家の奥に置かれた物入れの箱の中をひっくり返したりして探しものをしだした。
あまり整理整頓が得意なほうではないらしい。
「うーんどこにやったっけ……あ、あった!」
やがて箱の中からなにかを見つけ出してつまみ上げた。
指輪だ。
今つけている物とはデザインが違う指輪である。
サビーヌは足早に戻ってくると、さっきと同じようにアッシュを優しく胸に抱きかかえた。
「これも同じ人から預かった魔法の指輪よ。そよ風を吹かせるだけだから安全なの!」
やはり魔法の指輪だった。
問題はそのサイズである。
サビーヌがアッシュに指輪をつけようとするのだが、明らかに赤子の小さな指にはサイズが合わない。
それどころかサビーヌの繊細で細い指にすら合うようには思えない。
それほど指輪の口径は大きかった。
ところが。
がばがばの指輪はアッシュの小さな指に通されるとみるみるうちに縮んでいってピタリとはまってしまった。
まるでずっと前からはめていたかのように指に馴染んでいる。
(すごい。本当に魔法の指輪なんだ)
アッシュが興奮して指輪を観察していると、サビーヌがまるで自分がプレゼントをもらったように嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「お母さんとおそろいでうれしい? アッシュがうれしそうでお母さんもうれしい!」
そう言ってアッシュの頬にすりすりと頬ずりしてくる。
温かくて、柔らかい母の頬っぺたを感じていると、指輪のことなどどうでもよくなってしまった。
そんなわけで魔法の指輪を手に入れることはできたが、ティーエが入手したがっていた物とは違う。
サビーヌが鼻歌を歌いながら歩いていき幼児カゴで1人になると、アッシュは恐る恐る呼びかけた。
(一応、手に入れたんだけど……そよ風の指輪)
『そうですね』
(やっぱり火の指輪じゃないとダメかな?)
『情報が足りないのでお答えしかねます。まずは使ってみてください。ただし、慎重に』
(う、うん……)
とは言ったものの、どうすればいいのかわからない。なにしろ魔法の指輪なんて使ったことはない。
(母さんはどうしてたかな。たしか、こうやって……)
記憶を頼りにサビーヌの真似をして指をまっすぐに伸ばした。
なにも起きない。
そよ風を吹かせる魔法らしいけど、なにか目標になる物があったほうがいいのかもしれない。
ちょうど床に小さなツボが置いてあったので、それを目標にすることにした。
動物が嫌う臭いを出す香草が入れてあるネズミ除けのツボだ。
もう1度指をまっすぐに伸ばして集中してみた。
すると、指輪が煌々と明るく光り、予想もしなかった異常なことが起こった。
突如として指先から直線状の空気の渦が発生し、それがツボをドシュン! と砲弾のように撃ちだして壁まで吹っ飛ばしてしまった。
粉々に砕け散るツボ。
空気が乱された余韻でまだ埃が空中を舞っている。
人がいなくてよかった。
すごいそよ風だ、とアッシュは冷や汗をかきつつも気分が高揚した。
『魔法の存在が確定しました』
(そうだね……!)
『しかし危険です、マスター。もう使わないでください』
(そうだよね。人に当たったらたいへんだもんね)
『そういう意味ではありません。わたしは使用回数制限を懸念しているのです。濫用は控えてください』
使用回数制限……?
アッシュが疑問に思っていると、物音を聞きつけたサビーヌが慌ててやってきて、床に散らばったツボの破片とその横の棚を交互に見た。
「アドルったらもう! 不安定なところに置いてアッシュに当たったらどうするの!」
サビーヌはぷんぷんしながらホウキを持ってきて破片を掃き集める。
どうやら棚から落ちて割れたと勘違いしてくれたようだ。
(ごめん、父さん……)
アッシュは濡れ衣を着せられたアドルに心の中で謝った。




