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あんな事件があったのだから、アッシュはてっきり両親から魔法の使用を禁じられるものだと覚悟していた。
ところが、待っていたのはその逆の展開だった。
たしかにサビーヌは「今後、人目のあるところでは魔法を使っちゃダメ」、ときつく言い聞かせてきた。
しかし、話はそれだけでは終わらなかった。
「もう使えるものはしょうがないわ。自己流の付け焼刃がいちばんダメよね。ちゃんと私が教えるわ!」
などと言いだしたのである。
そういうわけでアッシュはサビーヌといっしょにいつも練習場所にしている森の泉を訪れた。
どこか人目につかない静かな場所がないか、と聞かれて思いついたのがここだったのだ。
「まずは見せてもらいましょうか。スパイ女の足をへし折ったっていう魔法を」
サビーヌが偉そうに腕組みする。
「うん。わかった」
アッシュは言われたとおり、切り立った崖の岩壁にむかって、村娘に放ったときのように威力を抑えたそよ風の魔法を放った。
ドン!
衝撃音が響き、岩壁に小さなくぼみが生まれた。
サビーヌは目をおおきく見開いてしばらく言葉を失っていたが、リアクションを期待するアッシュの視線に気づいて顎をくいっと上げた。
「ま、まあまあの技ね。さすが私の子」
そう言ったあと、岩壁に似たようなくぼみがたくさんあることに気づいた。
「もしかして、これぜんぶアッシュがやったの?」
「うんそうだよ」
「ま、まあこれくらいはね。まだまだ威力が足りないっぽいけど、その年でここまでやれればたいしたものよ、ほんとに」
「あの母さん、もうちょっとなら威力を上げられるけど」
「えっ、嘘でしょ!?」
一瞬あけすけなに驚いたサビーヌだったが、すぐに平然を装い、顎をくいっと上げなおした。
「やってみせなさい」
「わかった!」
アッシュは指先に集中し、抑制なしのそよ風を放った。
ズガン!
さきほどとは比べ物にならないほどの大きな音が響き、岩壁の一部が砕け散って巨大なくぼみが発生した。
あまりの暴風にかき乱された空気の流れで巻き上げられた木の葉がふわりふわりと周囲を漂っている。
さっきまでいちいち驚いていたサビーヌは晴れやかな笑顔を浮かべ、
「あなたに教えることはもうなにもない。卒業!」
親指をぐっと立てた。
かくしてサビーヌ先生の授業は始まる前に終わってしまった。
卓越した魔法の使い手、ということでイメリア司祭に教えを頼んだこともあった。
イメリアは2つ返事で快諾してくれた。
だが。
「この世の生きとし生けるものへの深い愛情を抱くことがフェリニアに帰依する第1歩なのです!」
と、本当に魔法を教えるつもりなのか疑わしいことを言って、アッシュを花畑に連れだした。
なにをするかといえば、花の蜜を吸いにきた蝶々の観察である。
白や黄色に彩られた花畑に舞う色とりどりの蝶々を前にして、笑顔のイメリアは少女らしい仕草で手を握り合わせる。
「どうですか?」
「すごくきれいです」
「そうでしょう。そうでしょう。あ、見てくださいアッシュくん」
イメリアが示した植物の茎には茶色いサナギが止まっていた。
「このみっともないサナギのなかで、いま幼虫が成虫へと生まれ変わっているのです。信じられますか? 汚くて醜い芋虫があの美しい蝶になるなんて。まさにフェリニアの思し召しなのです。人もおなじです。そのときは悪いことをしていても、いつか他人のためになることをするかもしれません。分け隔てなく慈しむ気持ちが大切なのですよ」
言い方にじゃっかん引っかかるものはあったし、いまいち魔法の鍛錬と関係があるとは思えなかったものの、これはこれで野外実習ぽくて楽しい。
しばらく花や蝶の観察をしていると、アッシュはすこし毛色のちがう蝶を見つけた。
「司祭様、ここにも蝶がいますよ。珍しい種類じゃないんですか?」
「……アッシュくん。それは蝶ではありません。花畑を汚す蛾という害虫なのです。しっしっ、あっちいけっ!」
イメリアは邪険そうに手をふって蛾を追い払おうとする。
さっき地母神そのもののような柔和な笑顔で慈愛を説いた人物とは別人のようだ。
「あの、蛾と蝶って、なにが違うんですか?」
「蛾は蝶ではないから蛾なのです。幼虫のときに悪いことをしたせいで蝶になれなかった成れの果てなのです。こうなってはいけませんよ。しっしっ! あっちいけ!」
生きとし生けるものへの深い愛情はどこへやら。
どう見ても個人的に嫌いなだけである。
司祭という大役にあってもまだ年齢相応の子どもっぽい一面もあるんだな、とアッシュは微笑ましく思うのだった。
そのあと、イメリアはうさんくさい精神論だけでなく技術的な指導も施そうとはしてくれたのだが、あまりうまくいかなかった。
イメリアの指導する内容がアッシュにはどうも抽象的に思えて、あまり理解できず、しっくりこなかったのだ。
(神聖魔法とふつうの魔法だと勝手が違うからなのかな)
『それはどうでしょうか。わたしもイメリア司祭の指導には理解しがたい点が多々あります』
(ティーエも?)
『はい。彼女が実演してみせる魔法と言語化された指導内容におおきな乖離がみられます。体系的な知識に裏打ちされた技術ではなく、直観的に行っていることが多いように思えます』
(どういうこと?)
『天才は、雰囲気で最適解を導きだすものですから』
それはアッシュも聞いたことがある。
天才は凡人が苦労して試行錯誤しながら一歩ずつのぼっていく階段の頂上に一足飛びで到達してしまうため、過程を教えることが不得手なことが多く、良き指導者になりづらい、と。
『それはそれとして、イメリアがやたらと精神論を語りがちなのは、マスターをフェリニア信者にするためでしょう』
(やっぱりそうだよね……)
後日、魔法を教えるふりをしてどさくさ紛れにフェリニアに帰依させようとしたことがサビーヌの知るところとなり、イメリアはしばらく家を出入り禁止になった。
「あ~ニルフェンがいてくれればな~」
サビーヌがそう漏らすこともあった。
魔法を教わるのにこれほどふさわしい人物はいない、と断言するのである。
アッシュは赤子のときに1度会って以来、あの美しいエルフとは会っていなかった。
母によると数か月に1度くらいのペースで思いだしたように手紙がくるらしい。
ニルフェンは方々を旅しており、いつも手紙の末尾には「こんど立ち寄る」と記してあるそうだ。
だけどそのこんどがいつになるのかさっぱりわからない、とサビーヌはよくぼやいている。
長命種のエルフの時間感覚は独特で「ちょっとそこまで出かけてくる」と出ていって数年戻らないことなどざらにあるらしい。
人間の感覚からすると、「失踪」とか「蒸発」とか「戦闘時行方不明」のレベルだ。
ところが、ある日唐突にその「こんど」がやってきた。




