13 あやしい宗教の勧誘
数日から週に1度ほどのペースでロマノ村を訪れるようになった。
といってもアッシュが自発的に行くわけではないし、行くタイミングを自分で選んでいるわけでもない。
イメリア司祭所蔵のオズバルディコレクションにすっかり魅了されたサビーヌが、フェリニア神殿に足しげく通うようになったので、そのお供として訪うのだ。
イメリア司祭が「私物ですからお貸しするのです」と本の貸しだしを申しでたのだが、サビーヌは「お言葉はありがたいですけれど、なくすとたいへんですから」と丁重に固辞した。
本はこの近辺では非常に希少かつ高価らしく、猟師の家族がおいそれと手に入れられるものではない。
紛失したり破損したら弁償する余裕などない。
そのリスクを避けつつ読むためには神殿まで足を運んで現地で読む必要がある。
そんなわけであっという間に村通いが常習化した。
神殿からの帰り道、サビーヌはいつも心から反省する。
「今日も欲に負けてしまった……危ないのに……こんなことではいけない。もう村には絶対にいかないから!」
その固い決意を欲望が打ち負かすのにかかるのがせいぜい数日から長くとも1週間。
それに飢えた人間にとって、娯楽とは麻薬のように抗いがたい引力があるのだ。
どれほどのリスクがあるとしても。
サビーヌが読書に夢中になっていても、2人がたっぷりと妄想のいりまじった感想や考察を語らいはじめても、どちらにしてもアッシュは放置される。
そのあいだは晴れて自由時間というわけだ。
『マスター。おわかりですね?』
(……わかってるよ)
自由時間、というわけにはいかなかった。
この世界の仕組みすべてを知りたがっているティーエが知識を得る機会を見過ごすわけがない。
そんなわけで本のページをめくるマシーンと化すアッシュだったが、小さな神殿の本棚だからたいした量でもない。
価値のありそうな学術書や記録書はすぐにほぼすべてティーエが記憶してしまった。
おかげでこの国の歴史、文化、風習、言語、地理、主要な産業などはかなり把握できたという。
とりわけフェリニア教はもちろんのこと、他の宗教についても、一般的な現地人と同等以上の造詣を得られた。
しかしこの世界のあらましや科学的なこと、といういちばん知りたいことについてはあまり成果が得られなかったらしい。
ティーエいわく。
『ここにある本に記されているのはフェリニア教のフィルターを通した世界観ですから』
蔵書の大半はフェリニア教の身内によって著述されたものだから鵜呑みにはできない、ということだ。
アッシュとしては目を盗んでいたつもりだったが、どれほど話に夢中になっていてもイメリアは教団始まって以来と評される有能な司祭である。
5歳のアッシュが文字を読めるばかりでなく、大人でも読解に苦労するような難解な書物をあっという間に読破してしまったことを見逃さなかった。
正直しくじったと思った。
アッシュは指示されるとおりに本をチェックしていった。
ティーエに任せておけばだいじょうぶだろうと思って。
しかし、それは甘えた行動だった。
ティーエでさえも知識欲のまえには脇がゆるみ迂闊になってしまう。
微笑ましい人間臭さともいえるが、そうもいっていられない。
自分自身がもっともっと注意深く慎重になるべきなのだ。
「アッシュくんはとても賢いのです。天才になれるかもしれません。才能に見合った教育を受けるべきなのです」
どんな問題に発展するか恐々としていたアッシュの身にふりかかったのは、留学話だった。
イメリアは、フェリニア教団の教育機関へ留学させることを両親に提案した。
戦災孤児のイメリア自身もそこで教育を受けたのだという。
両親からすれば寝耳に水である。
なにしろまだ文字を教えてもいないつもりだったのだから。
アドルは驚きつつアッシュにちらりと視線を向ける。
「ありがたい話じゃないか。将来の選択肢が増える。俺は賛成だ」
意外にも乗り気なアドル。
だが、これまた意外にもサビーヌが強硬に反対した。
「アッシュはどこにもいかない。天才なんかならなくていいの。普通がいちばんなの。だいたい、どこにそんなお金があるの?」
そうなのだ。
フェリニア教団の教育機関とは、つまり学校である。
当然授業料はタダではない。
留学ともなると旅費や準備費のほかに生活費も必要になる。
アドルは優秀な猟師だが、猟師の稼ぎで払えるような金額ではない。
しかし、「払えないから留学できない」という当たり前の結論になるのであれば、最初からイメリアが提案してくるわけがない。
ある条件を満たせば、授業料が免除され、生活費も支給されるのだという。
その条件とは。
「フェリニアに帰依して、ゆくゆくは聖職者としてひとびとのために奉仕するのです」
ようするにフェリニア教に入信して骨をうずめろ、ということだ。
この条件は、サビーヌだけでなくアドルにも受け入れがたいものだったらしい。
将来の選択肢を増やすための留学には賛成だが、それが将来を決定してしまうとなれば本末転倒、というわけである。
「まあ、頭のいい猟師ってのも悪かないか」
そんなわけで両親ともに反対したので留学話は立ち消えになった。
アッシュ自身は前世で通えなかった学校に興味があったけど、宗教家にはなりたくなかったのでべつに残念ではなかった。
宗教には詐欺師のイメージしかない。
前世では、こちらを重病者とみると寄ってきて奇跡と救いをエサにしては、結局金銭的な要求をしてきた。
家族がそれに引っかかって安くはない金を巻き上げられたことも何度かある。
当然奇跡など起こらず、病状には一切影響がなかった。
救いをもたらすどころか、家庭崩壊の危機をもたらしてくれただけだった。
この世界の宗教家にはイメリア司祭のように神聖魔法の使い手もいるのだから、実際に奇跡や救いをもたらせる存在ではあるのだろう。
でも、自分がそれになるということにはまったくピンとこなかった。
ところが、どういうわけかティーエが興味を示した。
『考え直しませんかマスター。フェリニア教団はフラゴニア王国最大の宗教勢力。その幹部聖職者育成学校ともなれば質、量ともに相当な蔵書が期待できます。教職員には知識人も多いでしょう。神聖魔法とやらを分析するチャンスかもしれません』
(でも条件は入信だよ)
『入信すればいいじゃないですか。神をかたわらに置いてもなにも困りませんよ』
(ゆくゆくは聖職者にならなきゃいけないんだよ?)
『こちらの用が済んだらとっとと逃げればいいだけの話です。約束は破るためにあるのですから』
どうやらAIを構成するコードには誠実という文字は存在しないらしい。
両親の説得に失敗したことでイメリア司祭はきっぱりあきらめたのかと思ったが、そうでもなかった。
ある日、神殿でサビーヌが【花咲く騎士道物語】を夢中で読み耽っているとき。
「アッシュくんアッシュくん」
壁の陰からちょこんと顔だけだしたイメリアが手招きしてきた。
天女のように曇りのない笑顔。
裏しか感じない。
「アッシュくん、宗教にはどんなイメージがありますか?」
こっちの弱みにつけこんで預貯金と有価証券と固定資産を根こそぎ欲しがるイメージですね。
そう答えるわけにもいかない。
「食事制限が厳しいって感じです」
「うんうん。そういう教団もありますね。秩序を司るゴダルガシアの教団は厳格なので、お酒を禁じています。でもフェリニアは豊穣の糧であるお酒を禁止してはいませんし、学校でも昼食にワインが支給されるのですよ」
「あの、僕5歳なんですけど」
「たとえばの話なのです。食べ物にかんしてはフェリニアはゆるゆるなので、今までどおり好きなものを好きなだけ食べていいのですよ」
他にもこんな売り込み文句もあった。
「フェリニアは豊穣神なので、繁殖を司っているのです。なので、我が教団ではお妾さんを何人娶っても戒律違反にならないのです!」
「あの、僕5歳なんですけど」
「あっ、アッシュくんにはまだ早かったですね……」
酒食と性欲で釣ろうとするあたり、俗世の人間のことをよく理解しているらしい。
なかなか現実味のある説得方法だ。
しかし、それを聞いた母親がどう思うかまでは頭が回らなかったらしい。
気づくとイメリアの背後に般若のような表情のサビーヌが立っていた。
「司祭様? うちの子をなにになさるおつもりですか? 酒浸りで女泣かせのどうしようもない男になったらどう責任をとってくれるんですか?」
「はわわ、ごめんなさいごめんなさいそういうつもりじゃなかったのです!」




