モケモケ
その日の夜、客間に敷かれた布団の上で熱心にノートパソコンを操作している繭子に、
「何見てるん?」と紫が問いかけると、紫はディスプレイから目も離さず答えた。
「はなまる屋のサイト。グッズの売れ行き確認と業者さんへのお礼メール送らなあかんから」
「グッズ売れてんの?」
「ボチボチかな」
「ふーん」
会話はそこで一旦途切れる。静かな室内で、繭子がキーボードを操作する音だけがカタカタと鳴っている。
「なんか悪いな。ほんまはグッズのアイデアとか業者との打ち合わせとか、私も手伝えたらええねんけど。繭子ばっかり忙しそうやし」
繭子の隣の布団に寝転がって、ぽつりと紫が漏らす。そんな紫に、
「いやいや、あんたがいてくれて私も助かってるで」と繭子は返す。
「具体的には?」
「え、具体的に? 何やろなあ」
繭子は楽しそうに笑うと、『具体的』の内容については教えてくれなかった。
それから四時間後。
すっかり寝ていた紫を繭子が揺さぶり起こした。
「紫、起きて。今から隣行くで」
「もう朝? 暗くない?」
まぶたの上がらない紫を無理に起こした繭子が、早口でまくし立てる。
「非常事態、いや異常事態かもしれへん。湧き水のところに、変なんが来てる。滅ッ茶苦茶の緊急事態や」
そう言われても、何のことだかわからない。急かされて枕もとのスマホを見ると、深夜の二時だった。
とりあえず、部屋着のまま寺を出て繭子は紫の手を掴みながらぐんぐん進むので、紫もそれに従うしかない。
「何? なんでこんな時間に隣に行くの」
「実はな、昨日の夕方のうちに響が来てくれて、アサさんの土地に植えてあるいくつかの木に監視カメラつけてくれたんよ」
そのカメラはトレイルカメラというもので、人や動物の動きをセンサーで感知して自動で撮影することが可能らしい。夜間や暗闇でも撮影ができるらしく、響が商工会議所の人から借りてきたそうだ。
紫が寝た後も繭子は作業を続けており、なんとなくカメラの動画を見ていたところ、そこに靄のようなものが映り込みはじめた。カメラの故障かと思い、客間を出てから寺の庭に出て隣の土地を覗き込んだところ、
「おかしなピンクの靄みたいなカタマリが発生しとった。なんかピカピカ光ってるから、すごい怪しい」
「え、また水泥棒みたいなんが来てスプレーでも撒いてんのとちゃ
うの。警察に通報したほうがええって」
「さっき響にも連絡したから、そっちから通報してもらう。うちらはその間に、靄の正体を突き止めに行くで」
「えぇ……、やめとこや」
話を聞いてから完全に腰が引いてしまった紫だが、彼女の腕を掴んだ繭子の勢いは止まらない。やがて、隣の土地へと滑り込むように到着した二人の前に、それは確かにいた(・・)。
あの湧き水の、汲み出し口のすぐ傍にほどほどに大きい(直径五十センチくらいだろうか)ピンクのモワモワとしたものが二つ浮かんでいるではないか。
繭子が躊躇なく突っ込んでいこうとするので、紫は咄嗟に彼女の腕を掴んで引き留めると、地面に落ちていた手ごろな石を拾い上げて片方のモワモワに投げつけた。
ぽこん
軽い音がして石はモワモワに弾かれて地面へと落ちる。
ブゥーン…と二つのモワモワが振動してくるくるとその場で回転し始めた。
「何、これ。ドローン?」
「わからん、動画撮っとこう」
二人が慌ててスマホで動画撮影をしようとしたところ、不思議な声が響いてきた。
『お待ちなさい。いきなり物を投げつけてきて、失礼なヒトたちですね』
「なんやこれ……。喋ってんのか」
「どこかで誰かが操作して、音声入力してるんかも」
キョロキョロと周囲を見渡す二人の正面に二体のモワモワが近づいてきた。
『落ち着きなさい。我々はここから遠く離れた、別の銀河から来ました。このような辺鄙な星には本来訪れたくもなかったのですが、仕方がなかったのです。用事を終わらせたら、すぐに帰らせていただきます』
『動画の撮影はご遠慮願えますか。私たちはそういうことには慣れていないので。劣った方々に我々の姿を晒さないでください』
言葉は丁寧だが、すこぶる感じが悪い。
「用事って、何ですか」
呆れた様子の繭子に代わり、紫が尋ねてみる。
『これの回収です』
二体がふわふわと浮かび上がり、ピカピカと光ると湧き水の汲み出し口の周辺を旋回する。そして、そのまま紫と繭子の頭の上にポンと乗った。
モワモワ達の暮らす惑星は、こことは遠く離れた異なる銀河にあるらしい。そこに住んでいる彼らは絶滅の危機に瀕していた。
彼らのうち大多数は、協調性が足りず、負けず嫌いで、自己主張が強く非常に好戦的で常に争っていた。そのせいで彼らの数は激減。そんな中、温厚で争うことを好まない種族が、小さな隠れ里に住んでいることが発覚したらしい。彼らは生活用水として山の湧き水を使っており、その水には彼らの怒りを和らげ、共感性を高める効果があった。それに気が付いた彼らは、惑星中の生活用水に山の水を秘密裏に混入し始めた。
『計画はうまくいき、種族の多くは温厚になり争うことをやめました。ですが、そのことに気が付いた一部のものが隠れ里を襲撃し、山の水を根こそぎ奪おうとしてきたのです』
頭上に乗った二体のおかげなのか、二人の脳内には鮮明な映像が映し出されていた。美しい緑の木々が、怒り狂った巨大なモワモワ達によってなぎ倒され、山の土が剝き出しになっている。
『我々は、水源そのものを辺境の惑星に一時的に転移させることにしました。優秀な監視係をつけたうえで』
「優秀な監視係?」
『そうです。あなた方が持てはやしている『ジュンちゃん』ですよ。あれは隠密活動のために、ここの生き物に擬態した我々の仲間なのです。あまりに擬態がうますぎたために、メスの個体までひきつけてしまいました』
なんと、絶賛フィーバー中のジュンちゃんはアザラシではなかったのだ。そして、急に湧き始めた水も、ただの水ではなかった。
『とりあえず、我々の問題が解決したので湧き水は返してもらいます』
モコモコの申し出に繭子が首を捻る。
「ちょっと待って。じゃあ、ジュンちゃんもいなくなるってこと?」
『そうです』
「そ、それは困る。今ジュンちゃんがいなくなったら、追加生産したグッズの余剰在庫をどうしたらええんや!」
『我々にはまったく、これっぽっちも関係のない話ですので』
無情にもモワモワ達はそう言い放つと、二人の頭上からフワリと浮き上がり、クルクルと舞い踊るように上空へと登って行く。紫は驚いて声もなかったのだが、隣で繭子が、
「せめて、グッズ買取りだけでもしてやー!」
と叫んでいる。こんな時でも、商魂は健在だ。
「うちの土地に勝手に湧き水を転移させたんやから、最低限の借地料でも払ったらどうやー!」
繭子の声が、夜の空へと吸い込まれていく。
彼らは二度と姿を現すことなく、そのまま消えてしまった。




