7、封鎖された町と、見えざる感染菌
アステリアの町は、外から見ればごく普通の地方都市に見えた。
石造りの門、整った街道、春の湿気をはらんだ森の香り。
だが──近づくほどに空気が変わっていく。
「……胞子、濃いな」
ドン子が肩の上でつぶやいた。
その声には、いつもの飄々とした調子がなかった。
「空気中の菌密度が異常じゃ。これは……何かが中で起きておる」
町の門は閉ざされていた。
入り口には警戒中の衛兵が立ち、通行証を確認している。
「関係者以外、立入制限中です。現在この町では──」
「ギルドからの派遣です。菌の鑑定と調査に来ました」
俺は紹介状を提示する。
衛兵が怪訝な顔をしながらも、手続きを進め、門がゆっくりと開いた。
「お気をつけて。……中は、少しおかしいです」
その言葉の意味は、すぐに理解できた。
*
町の中には、音がなかった。
いや、正確には、人の音が消えていた。
店の軒先は閉じられ、通りには人影もなく、風の音と靴音だけが響く。
「……なにこれ、町全体が息してない……?」
「菌が、息しておる。人の代わりに、な」
診療所はすぐに見つかった。
案内された医師は、青ざめた顔で状況を説明してくれた。
「最初はただの風邪だったんです。微熱、だるさ、咳……よくあるやつです」
「で、今は?」
「幻覚、発熱、皮膚の変質。ひどい場合は、植物と融合するような症状まで」
「融合……?」
医師は奥の隔離室を指さした。
窓越しに見えたのは、ベッドに横たわる中年の男。
その体の一部から──まるで根のような突起が生えていた。
「魔法も、薬も、祈祷も効かない。もう、どうしたらいいかわからないんです」
ドン子が眉をひそめる。
『これは……自然な感染ではないな。誰かが“意図的に”撒いた可能性が高い』
そのときだった。扉が開く音がして、誰かが入ってきた。
「あなたが、菌の調査者?」
声の主は少女だった。
銀髪をきっちりまとめた、清潔感あふれるローブ姿。
鋭い目つきと、わずかに香る消毒薬の匂い。
──この人か。精霊師見習い、シエナ。
「……ちょっと距離を取って。空気に菌が混ざってるでしょ」
「まあ、確かに」
「あなた、菌使いって聞いたけど……私、菌アレルギーなの。冗談抜きで体調崩すから、ほんと近寄らないで」
ドン子がぷるぷる震えながら浮かび上がる。
『こ、こやつ……除菌しすぎて、菌の気配すら弾いておる!?』
「精霊ってあなたの……?」
「はい。私のは空気系。あなたの……なに? キノコ?」
『ドン子。誇り高き菌の精霊である』
「うわ、喋った」
バチバチだ。相性が最悪すぎる。
「ま、仕事はします。精霊たちに空間情報は探らせてますけど──」
シエナの顔が曇る。
「……この町にいる精霊たち、みんな“何かに触れたくない”って怯えてる」
「つまり、“何か”が精霊にも菌にも恐怖を与えてるってことか」
*
調査のため、俺は町の空き家のひとつに入った。
部屋の空気は澱み、かすかな発酵臭が混じっている。
【菌鑑定士】スキル発動。
──見えた。空気中に、糸のような菌が漂っている。
通常の菌糸より長く、太く、うねっている。
「これ、空気感染……?」
視線を追っていくと、床の板のすき間から菌糸が伸びていた。
奥へ。下へ。まるで根が家を這っているように。
「……こいつ、広がってる。感染じゃない。これは“拡張”だ」
ドン子の声が硬くなる。
『これは……ただの病ではない。菌が、生きた人間を足がかりに、町を“支配”しようとしておる』
シエナが、俺の背中越しに問う。
「あなた、これ……本当に止められるの?」
「……さあ、どうだろうなぁ。でも──菌が起こしたことなら、菌で止める」
俺は手を地面に置いた。
菌は、語ってくる。
怯えながらも、助けを求めるように。