5、腐敗の森と、戦う菌調合
「依頼内容:腐敗の森の簡易調査。報酬、銀貨三枚」
ギルドのカウンターに貼られた紙を見て、俺はうなずいた。
「行こう」
「……なあルーカス。普通、もうちょっと慎重に選ばない?」
ラッドが隣で苦い顔をしている。
「初心者はまずウサギ退治とか、小動物の罠解除とか、段階を踏んでな?」
「この“腐敗”って単語に反応しない奴が菌使いなわけないだろ?」
「やっぱダメだこの人……」
森の名前は“腐敗の森”。
かつては普通の雑木林だったらしいが、数か月前から急激に植物が枯れ、動物の死骸が異常に速く朽ちるようになったという。
異常な分解速度。これは──菌の暴走。
「ふむ……空気が湿っておる。胞子濃度も高いのう」
俺の肩に浮かぶ、菌の精霊・ドン子が呟く。
「この森、ただの腐敗じゃない。菌の制御が……きかぬ。何者かが、増殖を促しておるな」
「誰かが“菌を育ててる”ってこと?」
「否。育てているというより、解き放っている感じじゃ」
俺はスキル【菌鑑定士】を発動した。
森の地面に耳を澄ます。すると──
(……たすけて……)
(うごけない……たべられる……)
(こわい……こわい……)
菌たちの“悲鳴”が、脳に直接届いた。
「まじか……菌が、怯えてる……」
菌にすら“恐怖”があるのか──そんな思考が脳裏をよぎる。
そのとき、地面がぼこりと隆起した。
「っ……来るぞ!」
木々の根元から、真っ黒な塊が盛り上がる。
太くて短い軸。異様に大きな傘。うねるような表面。
それは──異常成長した巨大なキノコだった。
「……あれ、菌じゃないよな……?」
「“菌そのもの”が魔力を帯びて形を持った状態。いわば擬似モンスターじゃな」
黒キノコが動いた。
根のようなものを地面に這わせ、近くの動物の死骸を吸収していく。
そのたびに傘が震え、黒い胞子を撒き散らした。
「うわ、こっち来る!」
ラッドが剣を抜いて構えるも、斬ったところで手応えがない。
胞子が霧のように広がり、斬撃が中をすり抜けていく。
「物理、通らねぇ……!?」
「当然じゃ。あれは“形を持った菌糸の集合体”。肉体などない」
「じゃあどうすりゃ……」
「調合する」
俺は周囲の土を素手で掘った。
すぐに見つけたのは、小さな白いキノコ──
「制菌胞子属、いた……!」
この菌は、特定の腐敗菌の増殖を抑える抑制菌。
戦いじゃない。菌同士の“バランス”を取り戻せばいい。
俺は小鍋を取り出し、リカストとわずかな水を入れて煮出す。
ドン子が呪文のような言葉を唱え、スキル【菌調合】が発動した。
──共鳴開始。
目の前の黒キノコが、わずかに揺れる。
こちらの菌が放つ“気配”に反応している。
「ラッド、下がれ。吸わせる」
鍋から立ちのぼる蒸気が、風に乗って黒キノコに触れた。
一瞬、傘がビクンと震え──
「……な、なんか弱ってないか?」
黒キノコの傘が崩れ落ちる。
軸が溶け、菌糸がバラバラと土に還っていく。
やがて、そこにはただの腐葉土だけが残された。
「……倒した?」
「違う。“帰した”んだよ。菌が帰るべき土へ」
ラッドが呆然としたまま、ゆっくり口を開いた。
「お前、マジで菌だけでモンスター倒すのかよ……」
「菌の力を借りただけ。俺はただ、応えただけだよ」
*
帰り道、ドン子がぽつりとつぶやいた。
「この暴走菌……自然発生ではないな。誰かが、意図的に力を注ぎ込んでいた」
「つまり……菌を“兵器”にしようとしてる誰かがいるってことか」
ドン子はうなずいた。
「そなたの力が広まれば、必ず目をつける者が出る。今は、警戒しておくのじゃ」
──誰かが、菌を乱そうとしている。
それが誰かはわからない。
でも、菌が悲鳴を上げるなら──俺は、戦う。