3、冒険者登録
町に入った途端、空気が変わった。
湿度、温度、匂い。それに──菌の気配。
「……すっげぇ、こっちの土、めっちゃ発酵してるじゃん……」
思わず道端の地面にしゃがみ込みそうになる。
舗装された石畳のすき間から、白い菌糸が顔を覗かせていた。
町の菌は野生じゃない。人の生活と混ざって“育ってる”。
「おいおい菌オタ、頼むから人通りでニヤニヤすんな。俺まで変な目で見られるだろ」
隣で苦笑いしているのは、俺をスカウトしてきた冒険者──ラッドって名乗った。
軽口が過ぎるけど、妙に話しやすい奴だ。
「ようこそ、ベルメリアのギルド本部へ!」
そう言って案内された建物は、想像よりも大きかった。
二階建ての木造。中には冒険者がずらりと並び、酒の匂いと汗の湿気が混ざってる。
それでも俺には、ただの芳香だ。
菌がいるなら、どんな空間でも心地いい。
「ほら、受付行くぞ。登録しとけ。これから必要になる」
カウンターの向こうには、年若い男がいた。
髪を後ろで束ねた、冷めた目の青年。パラパラと書類をめくりながら言う。
「名前は?」
「ルーカス。えっと……スキルは【菌鑑定士】と【菌調合】」
書いてた手が止まる。
「……菌、なんだって?」
「菌。カビとか。あと胞子とか……」
「……料理人希望?」
「いや、そうじゃなくて」
「うわ、まじで変なやつ連れてきたじゃん……」
後ろでラッドが笑ってる。
「本当に登録するの? 空欄のままのがまだマシって言われるかもよ?」
「いいよ。菌がいればなんとかなるから」
仕方なさそうに書類を完成させ、スキルカードが発行される。
木の札にうっすらと光る魔法文字。
【菌鑑定士】【菌調合】
見て、受付の男が鼻を鳴らした。
「はい、完了っと。今日から君も冒険者、なんちゃって」
その瞬間だった。
「誰かッ、回復師はッ!」
ギルドの扉が勢いよく開かれる。
駆け込んできたのは、肩で息をする女冒険者だった。
「仲間が毒を受けた! 森での帰り道、何かに刺されて、意識が……!」
カウンターがざわつく。
「回復師は?!」
「出てる! 全員依頼中だ!」
女がギルド長の腕を掴んだまま泣きそうになっていた。
「あと数分で心臓が止まるって、薬師が……!」
ラッドが俺を見た。
「おい……菌、やれるのか?」
俺は一度だけ、深く息を吸った。
「やるよ。菌は、まだ“そこ”にいる」
ギルドの裏庭に運ばれた男は、顔色が悪く、唇も青紫に変色していた。
明らかな猛毒。下手に手を出せば、逆に悪化する類のやつ。
でも、地面を見れば答えはすぐ出た。
「……いた。解毒胞子属」
土のすき間、落ち葉の陰に、傘の内側が鮮やかな赤のキノコが生えていた。
前世で見たことがある。成分は強烈な分解酵素と、微量の抗毒タンパク。
俺はその場でナイフを取り出し、柄だけを削って煎じ用の皿にした。
水を加えて煮出し、さらに菌調合のスキルを通す。
──視える。菌の構造、作用、毒との相互反応。
計算じゃない、感覚だ。俺には“菌の声”が聞こえる。
「飲めるか?」
意識朦朧の男がかすかに唇を動かした。
俺はそっとスプーンでスープを口に運んだ。
数十秒後──男の顔色が、ゆっくりと戻っていく。
「……え? まさか……」
「毒、抜けた……」
周囲が静まり返った。
俺は立ち上がって、使い終えたナイフを拭う。
「菌がいれば、なんとかなる。ね?」
ラッドが爆笑した。
「マジかよ、オレ……とんでもねぇヤツ拾ったな!」
受付の青年が、ぽつりとつぶやいた。
「“菌鑑定士”……バカにして悪かった。お前、もしかして……すげえ奴か?」
俺は何も言わず、ギルドの空気を吸い込んだ。
この世界の菌は、まだまだ俺に語りかけてくる。
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