1、その名は菌鑑定士【レベル1】
意識が戻った。
……いや、正確には、土の匂いで目が覚めた。
風はぬるい。空気にはほどよく湿り気があって、草の葉には小さな朝露が光ってる。
地面に頬をつけたまま、俺は思った。
「……どこだ、ここ……?」
起き上がった瞬間、頭にズンと重い痛みが走った。
記憶が──というか、記憶たちが、一気に流れ込んでくる。
一つは、椎名明としての人生。
幻の椎茸“黒霧”を追って山に入り、滑って転んで、死んだ。
そこまではハッキリ覚えてる。
で、もう一つ。
この世界で生まれて、“ルーカス”という名前で生きてきた記憶。
「……あ、これアニメとかで見る『異世界転生』ってやつじゃん!」
自分で言ってちょっと笑った。
ここは〈ルミナ王国〉っていう、魔法とスキルが当たり前に存在する世界。
国の中心には貴族と騎士がいて、辺境の村には農民や冒険者、商人がいる。
ルーカス──つまり俺は、その辺境の小さな村で生まれ育った。
親も金も名声もない、ごく普通以下の村人A。
スキルが発現しただけでも、奇跡みたいなもんだった。
でも、それが【菌鑑定士】と【菌調合】って。
おかげで「役立たず」ってラベルは一生ものになった。
うん、そりゃ笑われるわな。
村人もギルドも「なんの役に立つの?」って顔してきた。
人の目にはまったく見えないものだ。
でもさ──
状況は意味不明だけど、この空気の“生きてる感”がすごい。
異世界って菌密度まで高いのかよ……いい世界じゃん。
ふと、視界の端に白く光る細い線が見えた。
土の中を這う菌糸。胞子の振動まで感じ取れる。
これ、ただの気配じゃない──“見えてる”。
「いやいや、待て。これ……菌が見える、だと!? 最高かよ……!」
興奮で思わず土に手をつける。
指先に菌糸が絡む感触が伝わってくる。こいつら、俺に語りかけてくるようだった。
そうだ、これが俺には見えていた。
でも説明しても説明してもわかってもらえなかった。
だからルーカスは、村を飛び出したんだ。
「……上等だ。菌の力、目にも見せてやろうじゃないか」
俺は椎名明で、ルーカスで、そして──菌と共にある者だ。
*
森を歩いていたら、小さな叫び声が聞こえた。
「たすけて……! だれか、たすけてぇ!」
声のする方へ走ると、そこには倒れた少女と、泣きながら呼びかける少年の姿。
少女は真っ赤な顔で、意識も朦朧としている。
明らかに熱。重い病気だ。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……!」
少年が俺に縋りつく。
「……ちょっと、待ってろ」
土を見る。視線を走らせる。
あった。一本だけ、そこに立っているキノコ。
白い傘に、わずかに光る粒状の胞子──間違いない。
「お前、癒芽菌だな……」
スキル【菌鑑定士】が自動で発動する。
菌の構造、効能、相性、全部が視える。
【名称:癒芽菌】
【効果:体力回復(小)、自律神経調整、免疫活性化】
【副作用:過剰摂取時に眠気】
天然モノ。しかも適合率、かなり高い。
俺はすぐさま小鍋を取り出して火を起こした。
布袋から岩塩と水を取り出す。
余計なもんは入れない。菌が活きる条件だけ整える。
ぐつぐつとスープを煮出す香り。
草と土と塩が混ざった匂いに、懐かしさすら感じる。
「飲めるか?」
少女がかすかに頷いた。
スプーンを口に運び、数口。
数分後、呼吸が安定し、顔色が戻ってくる。
「……あったかい……」
「……おいしい……」
少年が泣きながら手を握ってる。
「ありがとう……本当に、ありがとう……!」
*
周囲にいた大人たちがざわつきはじめた。
「おい、それ……毒キノコじゃないのか?」
「まさか子どもに、毒を──」
ざわめきを裂くように、神父が現れる。
白い法衣をまとった、年配の男。
「……それは、神の法に触れる術ではないか?」
俺は立ち上がり、使った鍋をゆっくり拭きながら、少女の寝顔を見下ろした。
「違うな。これは──菌の力だ。
そして菌は、誰よりも誠実だ」
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