お国のためなら顔を変えてでも
諸侯の領地の視察、という名の国内旅行だった。
王子本来の婚約者が婚約を破棄され、追放されてから3ヶ月ばかり過ぎた。流石に強引すぎたかあちこちにひずみを生み出したものだが、結局はあるべき場所に収まった。
すなわち、国は王のものであり、臣民はその偉大な存在の前に傅くというものだ。今回の出来事は、改めて王位の絶対的な権力の在り方を内外に示したと言える。
馬車の中、庶民上がりのシャーロットを抱き寄せ、その柔らかい肌に手を添えながら、ヨーナス王子は頬を緩めた。
「殿下、馬車はどこへ向かっていますの?」
「辺境伯の領地だ。国内有数の狩猟地がある」
「狩猟、ですか?」
首を傾げるシャーロットに、王子は笑いながら頷いた。
「もちろん君を一人ぼっちにはしないさ。よく整備された土地だから、王宮の中庭のように手入れされている。散歩にも絶好の場所だよ」
それだけ匂わせれば、聡い少女はすべてを察したらしかった。
「楽しみです」
そう言って、王子の肩にそっと、体を預けた。
広大な領地を持つ辺境伯だが、土地に恵まれても健康には恵まれないらしかった。いつぶっ倒れてもおかしくなさそうな青白い顔で、二人を出迎えた。
お決まりの、祝いの言葉。
「それにしても殿下は、新しい婚約者を迎えられたとか。それが。こちらの……?」
「ああ、シャーロットだ。庶民の出だが、聡明な少女だ」
「失礼ですが、以前婚約されていた、ナオミ様は……?」
「国外追放だ。私の目と鼻の先で家の権力を傘に、規律や品位を踏み躙った。たとえどんな家柄の女であろうと、許されるものではあるまい」
「ナオミ様は、そのようなこととは無縁のお方と思っておりましたが」
「やけに肩を持つな?どんな人間であろうと、誰にも見せない顔がある。あの女はそれがひどく醜悪だったと言うだけのことだ」
それより、と声を張り上げ、ヨーナスは話題を変える。
「お前の領地は広く、また国境にも近い。異国との交流も盛んと訊くが、どのようなものなのだ?」
「隣国の政情が不安定なのか、最近は難民と呼ぶべき者たちが流れ込んできております」
「では、商いと呼べるものも、見合った成果も得られていないということか?」
「いえ、官僚や技術者なども脱出しておりますから、どちらかといえば人材と、技術。物品には代えがたいものを得られているという自負があります」
王子は鼻を鳴らした。どう考えても、物品、富のほうがマシに決まっている。こいつは領民に背中を向けて、慈善事業でもやっているのだろうか。
難民なぞ、本当かどうかわかるはずもない。人は自分の住む国から出ていくべきではないのだ。外人とは、災いの種でしかない。
ひょっとしたら、こいつは敵国に通じているかもしれない、と王子は警戒度を上げた。
「ところでこちらには、立派な狩猟地があるとか?」
シャーロットが興味津々といった顔で口を挟む。一瞬辺境伯の顔に侮蔑の色が滲んだが、若造二人に気づかれるより早く笑みを湛えていた。
「そうですな。遠路はるばるお越しになってお疲れでしょうから、案内は明日にでも……」
「一目、見ておきたいです。殿下もそうですよね?」
かくして3人は、護衛とともにその広大な土地へと足を踏み入れた。
森のざわめき。木々の間を駆け抜けていく風がその正体だとわかると、シャーロットは歓声を上げた。
「素晴らしい。王都と比べても、全く見劣りがしない」
「光栄です」
辺境伯は愛想笑いの一つもせず、淡々と頭を下げる。
「して、隣の白衣の男は……?」
「私の主治医です。難民として逃れてきた彼は、最先端の医療技術を身に着けておりましたので」
異国の王族の前で、ぎこちなく頭を下げる医師。王子はすぐに興味を失い、置かれていたティーテーブルに座るシャーロットに目尻を下げながら、自らも椅子に座った。
「ねえ殿下、少し、森の方へ向かっても?」
座ったばかりなのに、我慢ができなくなったのか、シャーロットが声を上げる。
ならば私も、と腰を上げようとする彼を制して、シャーロットは子どものように駆け出していく。
「天真爛漫、ですな」
「そうだろう?」
自慢気に頷く王子は、ここの主の皮肉にさえ気づけなかった。
木々のトンネルの中に踏み入れると、途端に陽の光が遮られる。薄暗い木陰のもとで、シャーロットは深呼吸した。
全身を震わせるのは、喜びである。なんの富も後ろ盾もない庶民が王子に見初められて、成り上がったシンデレラストーリー。顔がニヤけるのを見られたくなくて、思わず一人で散策を始めたのだ。
王子は決してバカではない。だが、初めての恋の前では盲目になった。後は不遇な自分の環境を匂わせるだけで、あっという間に陥落した。
敵国に通じているわけではない。ただ、惨めな生活から逃れたかっただけだ。偶然そこそこの魔力を保持していて、権力者とお近づきになれる機会があった。シャーロットはそれを、十二分に活かしたのである。
王妃として足りないものは山のようにあるかもしれない。
だが、お飾りの王が体面上は最高権力者として振る舞えるように、官僚が、大臣が、この国の特権階級がうまいこと帳尻を合わせるであろう。
出しゃばらなければ、全てうまくいく。
シャーロットは降って湧いた幸運に改めてうっとりとしながら、心地よい風に体を委ねていた。
ひゅ、と風を切る音がした。
閉じた目は、痛みに見開かれた。痛みに叫ぶより早く、体が動かない。すぐに立つこともままならなくなり、へなへなとその場に崩れ落ちる。
ざり、ざりと、突如木々の間から複数の人の気配が感じられた。精一杯目を開けて、襲撃者を睨みつける。
奇妙な女だった。下働きの下女のような格好をした、包帯で顔を隠した女がボウガンを仕舞う。それを、恭しく受け取る女の従者。
矢に射抜かれて、痺れた体を木々の根本に横たえる彼女を見下ろして、包帯まみれの女が始めたのは、シャーロットの衣服を脱がすことだった。抵抗もままならず、ドレスを奪われ、下着さえも奪われて、たちまち裸にされてしまう。
何を、という声も、うまく言葉にできない。
今度は、包帯で顔を隠した女が同じように服を脱ぎ始めた。自分の纏っていた下着を履き、ドレスを着こなす。それを、従者らしい女がサポートする。脱ぎ捨てられた下女の服と、裸に剥かれたシャーロット。
そんな彼女を見下ろしていた包帯の女が、徐に顔の包帯を解いた。露わになった顔に、シャーロットは驚きの声を上げようとして、できなかった。
その顔は、自分のものと寸分違わぬものだった。
「ナオミ様……準備は、よろしいですか?」
「ええ。後片付けは、お願い。辺境伯に頼めば、上手く処理してくれるはずだから」
国外に追放された、自分がその境遇に追いやった女が、自分の顔をして自分の服を奪い、自分の代わりに立っている。
その事実に、シャーロットは恐怖した。指一本動かせない状況に、ただ恐怖だけが募っていく。
「あの愚かな殿下の替え玉も見つかれば良いのだけれど」
「弟君はいかがでしょう」
「だとしたら、殿下を引きずり下ろすしかないわね」
「その辺りは辺境伯が根回ししてくださいます。この入れ替わりは王族以外では公然の秘密として、貴族の間で共有されることでしょう」
「ええ。……しばらく、お願いね」
「承知しました」
そうして、シャーロットは来た道を引き返していく。本物のシャーロットは、その後ろ姿を目で追うしかできなかった。
やがて、白衣を着た男が現れた。重々しい鞄を漁れば、明らかに肉を抉るための器具が次々と鞄から顔を出す。
シャーロットはそれが、難民として逃れてきた医師であることを、本能的に悟った。
「同じ顔をした人間が、二人もいたら困りますので……」
手の中で、注射器がくるりと回転する。
痛みはなかった。眼の前は真っ暗になっていき、とうとう意識は途絶えた。
シャーロットが再び王子の元に戻ってきた。嬉しそうに散策の土産話をする彼女に目尻を下げて、王子が相槌を打つ。
恋に浮かれる彼を、二人の人間が冷めた目つきで見守っていた。一人は辺境伯であり、もう一人はシャーロットの顔をした女だった。
幸か不幸か、一人だけ気付けない彼は、ある意味幸せ者であった。