『続・ピーピング』
本文とは全然違う話ですが、企画参加させていただくと世界が広がりますね♪
気になる素敵な作品や、作者の方とも出会えます(●´ω`●)
『続・ピーピング』 -旧題:エッセイ、物事は変わりゆく- 作者名:のぞくもの
書かれている文字を
込められた想いを見れば
わかることがある
言の葉には
内にも外にも
その想いが溢れている
喜びも
悲しみも
怒りや苦しみも
憎しみや殺意も
人を想う気持ちの
愛や恋も
人を騙し誤魔化して
傷つける心も
人が仕草や表情で
語らない愛や恋を周りへと見せているように
言葉の端々へ滲む想いだけで
人にはそうした気持ちが伝わっている
人はそうして魅力的な言葉を使い続ける
人はそうして魅せられる言の葉へと出会う
物語へと引き込まれて
その世界を旅してゆくのだ
ここでは多くの人たちが
言の葉の魔法を使う
言葉使い師となってゆく
言葉に魅せられて
言葉を綴り
言葉を操って
言の葉の匠となる
人を物語の世界へと誘い導き
その世界の住人として過ごさせるのだ
人に喜びの夢と希望を与えることも
人に悪夢と悲しみを与えることも出来る
人に物語の世界を与えて
次の世界へと誘うこともできる
世界への扉を閉じて
二度と物語へ触れたくないようにすることも
ここは言葉へと慣れ親しんだ人たちが居る場所
ここは言葉の魔法が使える人たちの集う世界
気づかないのか?
本当に気づいていないのだろうか
ここでは言葉が全てを作る
ここでは言葉が全てを語る
文字へと隠そうとする秘密も
文字に潜ませた邪さも
言葉を見ればわかる
使われた文字が語るのだ
たとえその場限りを逃れたとしても
逃れ続けることは決してできないのだ
言葉を巧みに使い内にある想いを伝え
言葉の内に秘めた感情を鋭く感じ取る
そうした言の葉と共に生きる人々の眼と
伝え感じ取るための鍛えられた人の視線を
なぜ騙し誤魔化し続けられると思うのか
あなたの思惑は視えている
あなたの心は知られている
ここは夢を見る世界
夢を作りあげる世界
夢を見るために来た人へ
楽しい夢を魅せる世界
夢を壊すために来た人を見つけて
現実を見せつける世界
-蛇足-
※長いです(o_ _)o
※気持ちに障る内容が多いのではと思いますので、ご都合でブラバくださいませm(_ _)m
ちょっとだけ思ったことです。
きっかけはエッセイ作品でした。
自分は、エッセイ作品も詩作品も、こちらから始めたようなものですから、随筆や散文、エッセイの定義などを、始めた当初からはっきりと理解できておりませんでした。←だからというと言い訳になりますが、他の方に迷惑をかけたこともあります。反省することしきりです。考えが足らなかった……。
もうお詫びのしようもないことですが、できるのなら今からでも頭を垂れて、その方にお詫びできたらと思うこともあります。
言葉は、言葉単体では、伝達手段としてはいささか不完全というか不備なものという印象をもっているのですね。
会話の場合は、声や表情、仕草などで相手の言いたいことを補完して理解しているように感じております。
文字の場合は更にその文字以外の情報が少なくなり、ほぼ言語単体だけで物事を理解せねばならなくなるため、多くの誤解や行き違いが起こることも多々あるように思えます。
けれども注意深く意識すればわかることもあります。
自らの胸の内へと潜り、泡のような言の葉から世界や人物たちへと触れて、それをしっかりとつかみ出すようにして物語を紡ぎ出すように、
相手の言の葉へと触れて、奥へと潜り続ければ、
自らの世界の人物たちの心が、やがて僅かに判ってくるように、
相手の綴る言の葉や文字から、その心根が判るように思える瞬間も確かに在るようです。
言語外のコミュニケーションを意識すること、
言葉の外にある想いや感情などに意識を向けてゆくことは、
言葉だけのコミュニケーションが多くなった今の世の中では、必須の能力なのではと思うことが増えました。
自分はもともとそうしたコミュニケーションは苦手であるように感じますから、
だからある意味では、言葉だけのコミュニケーションよりも、他の言語外の情報が受けられる方が楽に思えます。
言語だけコミュニケーション、言語外の相手の意識を間違えることなく読み取ることはなかなかに難しく思えますね。
迅速な伝達であればあるほど、メールやメッセージなどよりも電話で、それ以上に対面で行う会話の方が効率的だと感じておりますね。←まあ人それぞれ、事情もそれぞれなので、一概にどうとは言えないことですが(^_^;)
エッセイについては、ときおり思うのですね。
エッセイには、(少なくとも今は)幾つかの意味やとらえ方が在ることを、人によっては自分のように気づいていないのではと思うことと、
議論と討論は違うという認識が欠けているのではないかと感じることです。
いつも不思議なのですね。
言葉に慣れ親しんでいる人が、これだけ多く集い、
その中には言葉で生計を立てたり、生業とする準備をするために自らを鍛えている方たちの居る場所に、
心を装い、気持ちを偽って、
人を傷つけるため、それを楽しむための人が群がってくることがです。
だって、していることは知られているのですよ。
たまたま匿名性という薄く破れやすいベールに隠されているだけの、安全だと思い込むにはほど遠い境界に隠れて、安心して暴言を吐き悦に入ることや、自らの苦しみを人に押しつけて満足感を得ていることの愚かしさは、全て周りへと気づかれてしまっていることです。
相手が少し手を下せば、そのベールは取り払われて、
手が後ろへと回ることになるのかもしれない。
その恐ろしさがわからないこと、
その危険性に気づかないことです。
ここで、言葉を使うことに研鑽を積んでいるはずの多くの人たちに、
言葉というものを使ってそれに上回り勝つつもりであることを、本当に出来ると思っているのでしょうか?
その隠した心の奥の邪さを、隠し通すことが続けられると、本当に思っているのでしょうか?
顔が見えず、言葉しか見えていないからといって、
その心が視えないとは限らないのですね。
内に秘めた邪さも美しさも、言葉を通してしっかりと見えています。
拙作のキャラの猫又なら、きっとこう言うのでしょうね。
「あたしにはあなたのことが見えてるよ。
その心の内も、考えてることも、やろうとしてることも。
ちゃんといつも視えてるから♪」
愚痴や苦言のような、お気に障るばかりになるつぶやきを失礼いたしました。
エッセイはときおり、いろんなことが起きたりしますので……。
いろいろ行き届かなくなったりもいたしますが、
できるなら、真摯に言葉を用いたいものです。
楽しく言葉を使い続けてゆきたいと思いますので。
エッセイ作品は今でも好きです♪
ときおり作品感想を拝見するのがつらいときもありますけど。
-追記です-
少し足しました。
拙作のキャラが内で囁くようにも感じましたので。
「感情はさざ波のように変わり続けるけれど、心の奥底には凪のような精髄があるよね。
その精髄を知ること考えること。それが思い望むままに立つこと立てること、進み生きることに繋がるのかも知れないね」 -タマ-
「見通す眼と心があれば、きっと相手の気持ちって視えるの。わたしにわできないけど、でも視えるのよ。
見て感じようとおもうことが大事なの。だからわすれないで」 -あやは-