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急展開から2日後、朝から賑わっているターミナル駅の改札前に真白はいた。
日曜日ということもあってか、自分と同じように遠出しようとする人々で改札内はまあまあの混雑を見せていた。
今日一緒に過ごす彼女ー 山吹千雪さんについて、数少ない友達に聞いてみた内容を思い出す。
彼女と同じクラスの友達曰く、成績優秀・素行良好で運動はそこそこ、物静かだけど面倒見がいいお姉さんポジションらしい。普段から穏やかで落ち着いていて、ついでに美人なものだから逆に畏れ多くて話しかけづらいという人もいるとか。
待ち合わせ時刻の5分前に現れた彼女は、軽装にショルダーバッグを背負うというラフな格好で、
それでいて凛とした佇まいは学校で見たそれと同じだった。
「上栗さん、おはようございます」
「おはようございます、今日はよろしくお願いします……!」
「いえいえ、そんなに気を遣わないでください。私がお願いしてご一緒させてもらっているので」
新幹線の発車時刻もそう遠くないので、まずは二人で改札を抜ける。
ここからどう話を進めようか思案していた真白に対して、やはり先に声を掛けたのは彼女だった。
「あの、実は私、上栗さんとお話ししてみたかったんです」
「わ、わたしと?」
「ええ。初めてお会いした美術の授……あれ」
突然何かに気付いたような様子でふと足を止める。
「ん? どうしましたか……?」
「あの、今更なんですが上栗さんの席は何号車ですか……?」
「わたしは10号車の3列目…………あっ」
そこで真白も気付いた。
事前に打ち合わせて同じ新幹線に乗るのはいい。ただ、お互い別々に切符を買ったから―
「私……2号車です……」
席はてんでバラバラだった。
「あっ、すいませんすいません! せっかくお話しできる機会だったのに……!」
「いやいや大丈夫ですっ、落ち着いてください向こうに着いてからも話す時間はありますからっ」
「うぅ……はい……」
往来の真ん中で立ち止まるのもいけないので、急いで手を引いて通路端へよける。やたらと落ち込む彼女をなだめてから、ホームへのエスカレーターを昇った先で一度別れた。
窓際に取った指定席に着くと、一旦緊張から解放されて肩の力が抜ける。
人と喋ることは嫌いではないが、いかんせんあまり話したことのない相手と二人きりというのは慣れない。
それにしても驚いた。
クールで冷静そうな山吹さんが取り乱してあわあわと慌てる様子を見せるなんて。
コンビニで買っておいたお茶を飲みながら先程の出来事を思い出す。
最初は昨日と同じように落ち着き払っていたのに、ミスが分かった瞬間に慌て始めて、最後にはがっくりと肩を落とす。
彼女と関わった経験(ほんの二回だが)からは想像もできない別人っぷりだ。「うぅ……」という擬音なんかは想像の斜め上を行っている。
それにしても驚いた。
あれだけ周りの人と関わることに息苦しさを感じていた自分が、人との会話を一から十まで覚えているなんて。
確かに山吹さんは達観しているような雰囲気だったし、こんな自分でも関わりやすそうだとは思うけれど。彼女のコロコロと変わる表情まで目に焼き付いているのは不思議だ。
たった三回しか会っていない相手にどうしてだろうと悩みあぐねてはみるものの、すぐに答えが出るわけでもなく。
お手上げと言わんばかりに思考を放棄して、なんとなく窓の外に目を向ける。
そういえば、こうやって車窓から景色を眺めるのも好きだ。
見知らぬ街の風景が次々に流れていくのを見ていると想像の世界が広がる。
あの建物は今も使われているのだろうか。随分古びているけど車が停まっているから人の出入りはありそうだ。
やたらと急な坂道がある。道の両側は緑に覆われていて活気があるようには見えない。その上に古くからの住宅地でもあるのだろうか。
学校の近くを歩いている子供を見かける。休日だけど学校に用事があるのか、それとも偶然近くを通りかかっただけなのか。
窓越しに視覚でしか捉えられない世界にも人々の生活が息づいていて、誰もが何かを考えて暮らしている。そんな当たり前のことすらも、言葉が介入しない世界から見ていれば想像の対象になりうる。
全く飽きない趣味だな、と思う。多少の皮肉も込めて。
やがて線路脇のフェンスに遮られて街の景色が見えなくなると、真白の意識は昼食の店探しに向かっていった。
新幹線を降りて駅のホームで合流した頃には、あの動揺と落胆もすっかり収まったようだった。
一昨日廊下で会った時とほぼ同じ様子に戻った彼女に連れられて、駅から美術館までの道を歩いていく。
同伴させてもらう立場というのを気にしていたのか、彼女のエスコートは完璧だった。
複雑な駅の出口にも迷わなかったし、そこから徒歩10分ほどの目的地まで日陰の道を選んで通ってくれた。
単独行動ではあり得なかったであろう快適さで目的地に着いたところで、二人は同じように目前の建物を見上げた。
白を基調とした外観に、近代ヨーロッパの王宮を思わせるような優美なデザインがなされたその場所―旅の目的地たるルミエール美術館は、写真で見た以上の壮大なスケールと美しさをもって佇んでいた。
「すごく……素敵なところですね」
「ええ、この光景だけでも来てよかったと思うくらいです」
雲一つない快晴の青空に純白の建築がよく映える。
やがて近くを通り過ぎる人々につられるようにして二人も館内へと足を踏み入れる。
今回訪れた目的でもある特別展「現と虚の境界線― 混ざり合う芸術」のチケット売り場には常に数人が並んでいる状態で、中には外国人と思われる来館者の姿も見え、国籍も超えるくらいに様々な人々がこの展示を楽しみにしてきていることが窺えた。
彼女と一緒に並んで2枚分のチケットを買うと、あまり言葉を交わすこともなく展示室へと向かう。
不思議と落ち着くようだった。誰かと外出なんてとても得意とは言えないのに。知らない土地に来て緊張しているはずなのに。
いよいよ特別展の内部へ踏み入れると、主催者の挨拶文から展示が始まる。
この企画では、何かの境界線をちょうど跨いでいるような、現実に混ざり得ないものが混ざり合っているような作品達を主題に据えている。
表題にもある通り、現実世界と空想世界が混ざり合ってしまったような作品。
あるいは眠りの中で見る夢のような、曖昧で輪郭のはっきりとしない抽象的な風景。
たとえば現代と過去のヒト・モノ・コトがどうしてか同時に存在している一場面。
作者の意図も、描かれた背景も、表現手法さえもバラバラの作品達。
境界線のこちらとそちらを内包するという唯一の共通点を元に集められたそれらは、真白の求めてやまない世界そのものであった。
ひとつひとつ見ていく度に想像の世界に引き込まれて、心がここではないどこかを彷徨い始める。
そして、真白の心を満たす要素はそれだけではなかった。
この展示を一緒に見て回っていた彼女― 山吹千雪の存在が大きかった。
真白の一つ後ろを付いてくるように作品を見ていた彼女は、鑑賞の間全く喋ることをしなかった。
自分よりワンテンポ遅れて同じ作品を見て、時々自分の方が早く満足してしまって二、三歩先へ進んでいることもあれば、時折彼女が追い付いてきて一緒に並んで同じ作品を見ていることもある。
そんな時、ふと横目で彼女を見る。
じっと真剣な眼差しで作品と向き合っていて、美しい容姿も相まってか彼女自身が芸術品かのように思えてくる。
そんなことをしていると、ふと同じように横目になった彼女と視線が合う。
それでも薄く微笑むだけで、何かを喋ろうとすることもなく作品へ集中を戻す。
それを見た真白も再び作品に向き直って、また同じように順路を進んでいく。
その時間が、心地よかった。
言葉にできないものを、明確な答えにならないものを心で感じ取る。
そしてそれを彼女と分かち合うこともしなければ、自らの感情を発露させることもしない。
それでいて自分と同じように想像の世界を飛び回っている彼女が近くにいる。
互いの感受性を、作品から受け取った言葉にならない何かを、自分だけのものとして尊重し合える。
こんなにも心地のいい関係は初めてだった。