第三章 Ⅹ
その部屋は、大学の講義室の様な構造をしていた。階段状になった長机を見上げる教壇には、いま教授服を着用した女性が立ち講義を行っていた。その背後には黒板、ではなく巨大なスクリーンが設置され講義内容に連携して様々な文章や図表等を表示する。長机に着いた数十名の生徒達は皆、真面目にそれを見詰めている……訳でもなかった。
「……ここで、私達が現状基本的攻撃魔術として認識している火球の歴史について見てみます。この魔術、火という現象を一塊として高速で任意の位置まで移動させる、というものですが、その基本原理を記した魔術師協会認定である現存最古の史料としては、カルロス・ギュスターヴが知人に宛てた手紙で、商業歴前千十三年のものです。残念な事にそこに術式に関する詳述等はなく、実現されていたかは不明となっています」
教授服姿の一見子供と思われる様な、女性にしても小柄でメリハリに乏しい体型の魔導師は、無表情で淡々と、スクリーンに表示された手紙の内容を説明し始めた。
「この中で、火系列と風系列の複合化により火球を飛翔させる、という原理に言及されていますが、火球を維持しつつ加速するには魔力消費が過大であろう、等と記されています。恐らくは火系列と風系列の術式を分離したものとして考えていたからで、今日の様な複合術式は、試されていたとしても広く知られる様な規則性を」
「せんせ―い」
不意に、間延びした声が彼女の講義を中断させた。魔導師は、ニヤケている男子生徒に無表情なまま視線を向けた。
「ボーダー君、質問?」
問われて立ち上がった男子生徒は、気怠そうに首を回した。
「はっきり言って、魔術の歴史なんて聞いててかったるいんですよね。僕達は現代の魔術師なんですから。ここにいるのは、あくまで卒業単位の為で」
そう偉そうに言っているが、ここアンジェリコ魔術学院の生徒達は、彼も含め未だ魔術師協会から正式な称号を与えられていない、謂わば魔術師見習いの身分なのだが。
「……魔術史を学ぶ事は、魔術にまつわる様々な考え方を学ぶ事。先人達が魔術に対しどう向き合ってきたか、その試行錯誤を知り自分自身の糧とする為の、知恵の源泉。決して疎かにしてはいけない」
その言葉を聞き、男子生徒は底意地悪げな笑みを浮かべた。
「疎かに出来ない、ねぇ。だったら、無詠唱魔術も疎かに出来ませんよね、先生?この現代魔術最大の功績を!」
その言葉に、彼女の表情が微かに変わる。心持ち両目が見開かれたのだ。
「おいおい。それはないだろ、失礼だぞ?」
言いながら、別の男子生徒が立ち上がった。額に掛かる髪を跳ね上げる。その表情を見れば、彼女を慮っての事でないのは明白だった。
「先生は詠唱魔術が好きなんだ。決して無詠唱魔術が使えない、とかありえませんよね?」
悪意剥き出しの笑顔。魔導師は、二人を見比べ口を開いた。
「……私は、現状、無詠唱魔術は行使出来ない……」
掠れる様な声で発せらたその待望の言葉に、しかし二人は信じ難い、とばかりに瞠目して見せた。
「えええ?魔導師ともあろう者が、無詠唱魔術の一つも出来ないだってぇ!?」
一人目の大袈裟な台詞に、教室のそこここで男女の別なく忍び笑いが起こる。
「そんな人が魔導師としてこの学院にいるなんて。信じられませんねぇ」
呆れた、という風に二人目は両手を広げ首を振って見せた。魔導師は俯き加減になるが。
「先生、宜しいですか?」
その声に、再び顔を上げる。左手を小さく挙げている、優しげな笑顔の似合う女子生徒が目に入った。
「カーネッジさん」
呼ばれて、女子生徒は立ち上がった。
「今この教室にいるのは、一部の愚か者を除き学ぶ事を望んでいる生徒達だと思います。そうですよね?」
言って周囲を見回す。忍び笑いはたちまち消え失せた。女子生徒は前に向き直ると。
「貴重な歴史の時間ではありますが、私達の学ぶ時間を奪おうとする愚か者達が無詠唱魔術について実践したい、というなら私が協力したいと思うのですが、許可頂けるでしょうか?そうですね、丁度火球のところですから、火球の実戦的行使では?」
再び教室内を見回すや、たちまち拍手が沸き起こる。男子生徒達が立ち尽くしたまま青ざめ始めた。二人とも、この女子生徒の攻撃魔術に対する実力を目の当たりにしていたから。
「え、いや、それは」
しどろもどろになり、最初に立った男子生徒が縋る様に、もう一人の方へ視線を遣る。が、こちらはしれっ、と着席しそっぽを向いていた。えーっ、とでも言いたげな表情を浮かべる。と、終業のチャイムが鳴った。
「……時間です。皆さん、格言を」
魔導師がそう言うと、生徒達は一斉に起立した。
「「「魔術でも、時は戻せぬ」」」
たゆまぬ努力を片時も怠ってはならない、という意味の格言を唱和する。
「結構。ではごきげんよう」
静かに言い、魔導師は教室を後にしたのだった。




