第一章 ⅣーⅡ
まず男性は、こう自己紹介した。
『私は、この世界の創造者、君の概念で言うところの神、に相当する存在だ。私の創造した世界は、君の活動していた世界とはだいぶ異なるだろう』
「それはつまり、貴方は私の世界の神ではない、という事ですか?」
『ふむ。まぁ、もはや君の世界は、その生前にいた世界ではないがね』
「…少々判り難いですが、とりあえず了解しました。それで、私はなぜここにいるのでしょうか?」
どうやらここは異世界の、神の住まう処の様だと、篤は理解した。問題は、自分がなぜそこにいるのか、なのだが。あるいは、元の世界の死者は、みなこちらに来るというのだろうか?
『ふむ。簡単に説明するなら、君は私が特別に選んだのだ。君の世界の神と交渉してな』
どうやら、みなが来る訳ではない様だが…神!?と、篤は驚愕した。単なる信心の問題ではなく、本当に存在した様なのだ。もちろん目の前の、神と名乗る存在を信じるなら、だが。
『私を信じられないかな?』
不意に、心中を見透かした様な声。
「そうですね…この状況を、どう解釈して良いのか判らないですし。あるいは、私は死の直前の幻想を見ているのでは?」
臨死体験で語られる様な草原や川のイメージが、自分の場合これなのか?
『いやいや。間違いなく、君はもう死んでおるよ。君の世界の神とは、こうして既に交換は済んでおるのだからな』
「それを証拠の様に言われましてもねぇ…私は私の世界の神と顔を合わせた事がありませんし」
『そうか。ふむ、あれは最近、極力姿を現さぬ様にしているそうだしな。色々と世話を焼いてやったらやたら騒々しくなった、とか言ってな。ははは』
少し笑い声を立てる。という事は、かつては姿を現した事もあったのだろうか?だとしたら、人にとっては笑い飛ばせる様な事ではないのだろう。
「貴方がご存じかは判りませんが、私の元の世界の人間にとっては神様のあり方、存在そのものが騒動の元でして。もし私が元の世界に生き返り、神様の存在を人々に語ったとして、百人聞いたとすればそのうち九十人は無視すると思います。それは良いのですが、残り十人のうち何人かは興味を示し、また丸ごと鵜吞みにし、また何人かは過剰な拒否反応を示すかもしれません。その中には、私の命を狙ってくる者さえ現れるかも」
『なるほど、それほど面倒という事かな?なに、私の世界でも、神と呼ばれる者達の存在が広く信仰されている。彼らはかつて大いなる力を得たが仲違いし、大いなる災厄を引き起こした。その後始末には骨が折れたな』
「その人々が、貴方の世界では神様なのですか?では貴方の存在は、どう捉えられているのでしょうか?」
『私の事を知る者は、まずいるまい。干渉は極力避けておるし、どうあっても必要とあらば、彼らの神の姿を借りる事もあるがな』
「それで大丈夫なのですか?」
『多分に危うくはあるがな。儂は、自らの創造した世界に関して、あらゆる事に干渉可能ではある。天変地異や疫病で住人を潰滅させる事さえ可能ではあるな。だからこそ、熟慮に熟慮を重ね、慎重にも慎重を期して行われねばならん。成すべき事、方法、時をな』
「なるほど。過大な力は小回りが利かないのですね?」
『そういう事かな。まぁ、ただ見守るだけではたいく…歯痒いものがあるのだ。余りに変化に乏しいものでな。そこで、君のかつての世界の神に提案したのだ。互いの世界の住人でこれは、という者の魂を交換しないか、とな。これは、君の様な夭折した者の魂を救済する事にもなる、とな』
恐らくは退屈、と言いかけたのが引っ掛かったが、触れると面倒な事になりそうで自粛する。
「それで、私が選ばれたと?」
甲斐田 篤にとっては、何とも不可解な話だった。己の至らなさの為に命を落としたというのに、なぜ選ばれたのというのか?もっと立派な、相応しい者がいたのではないのか?あるいは、これが神のサイコロ遊びなのだろうか?
『不思議がる必要なぞない。君の世界の神が示した候補の中から君を選んだのは、儂が必要と感じたからに他ならないのだ』
だから、それはなぜでしょうか、と更に問いを重ねようとして、篤はやめた。訊ねるのが何とはなく怖かったのだ。神らしき存在の考えなぞ、聞くべきではないのだろう。
『思い悩む必要なぞ何もない。ともかく、君は君の思う様に新たな人生を歩んでくれればな。儂の世界は君の生きた世界とはかなり違う。何かと戸惑う事もあろう。その為の案内役も用意しよう。ところで』
言葉が途切れる。いよいよ本題に入るのかと、内心篤は身構えた。
「何でしょうか?」
『ふむ。君は、何か向こうの世界で戦う術を磨いていたそうだが?』
「それは、甲家無心流の事でしょうか?」
『そうなのか?まぁいい。恐らく、これから征く事になる世界では、活躍の場があるかも知れんな。儂の世界には、科学とやらの代わりに魔術という技術体系が存在する。また魔獣などという攻撃的な存在や、他の世界からの侵入者すら存在する。君の様な人類種が多く住むが、彼らもまた様々な集団を作り争い、血を流している有様でな。この様な世界であっても一定の安定は保たれているが、住人個人の段階では、何かと剣呑な事も多かろう。そこで一つ質問なのだが。君は、自分の身に着けた武術についてどう思うかな?どう活かすべきと思うか?』
妙な質問だ、と篤は感じた。甲家無心流は、言ってしまえばただの護身術に過ぎないのだ。それがたとえ、眼前の敵の命を奪う事を最優先とするとしても、命の価値の軽んじられる局面であれは止むを得ない。逆に言うならば、そういう局面でのみ行使されるべきものなのだ。だからこそ、平和な世界、誰かの生殺与奪の権を握らずに済む世界では消えてゆく以外ない、と覚悟もしていた。それこそが素晴らしき世界なのだから。それでも、あの様な形で途絶える事となるのは、甚だ心外、残念な事ではあるが。
「私の武術は、ただの護身術に過ぎません。貴方の言う通り剣吞な世界として、自ら身を守らねばならない場面はそれほどあるのでしょうか?」
『ふむ。治安に関しては地域により大きく異なるな。充分安定しているところと、野放し状態のところとでは雲泥の差がある。望むならば、前者へと転生させよう』
後者を望む者がいるのか、と篤は突っ込みそうになった。
「…宜しく、お願いします。戦いは避けたいので」
『ふむ。しかし、武術を身に付けながら、試してみたくはないのかな?』
「そういう邪念に囚われた結果、こうなっているもので。許されるなら、穏やかな日々を送りたいものですね」
言って、心が波だった。本当にそうなのか?自分の力を試さずに、済ませられるのか?静かに瞑目し、波が静まるのを待った。波が静まると、目を開く。歩き続けている二人に、ふっ、と疑問が湧いた。いつになったら椅子に辿り着くのだろうか?と思うや男性が立ち止まった。いつの間にか、遠目に見たあの椅子がすぐそこにあったのだ。