第二章 ⅩⅠーⅩ
元来フェスは好戦的な人間ではない。出来うるならば日々平穏に暮らしたいと願っているのだ。ならばなぜ万能職などしているのか、といえば、ただ単に生計を立てる手段が必要だからに過ぎない。彼の固有技能が危険の察知に有効である以上、例えば手工業者などより遥かに適性があるのだ、これを活用しない手はない。もちろん将来的に手に職を付けたり小さくとも商店を開く等の人生もありうるが、少なくとも今ではない、と彼は考えている。この世界についてまだまだ見聞を広めたい彼にとって、今は気楽に動けて収入も得られる万能職が最適なのだった。例え万能職ではなくとも、盗賊や魔獣といった危険が存在するこの世界にあっては、時として身を護るため戦わざるを得ない状況に陥る事だろう。どの様な職業を選択しようと、ただ単にそういった事象と遭遇する確率が高いか否かに過ぎない、と彼は割り切っている。その確率から言えば、今の彼は間違いなく不運だった。ここで彼には二つの選択肢が与えられた。一つは逃走する。後の事は全てランクが上のベルチェ達に任せ、ただひたすら危機的状況から遠ざかる行動をとる。もう一つはそれ以外。具体的に言えばこの巨大で獰猛な魔獣を止める行動をとる。後者は、酷く馬鹿げている選択肢に思える。今すぐにでも全てに背を向け全速力で走り出せば、少なくとも彼の問題は解決出来るかもしれないのだ。もちろん、一時であろうとパーティーメンバーであった者達を見捨てる様な真似をする事に、多少なりと良心の呵責を感じるだろうが、己の生命には替えられる筈がない。しかし、ここに一つ、懸念点があった。この魔獣の習性だ。熊と遭遇した時に背中を見せて逃走するのは悪手だと、テレビか何かで聞いた事があった。この魔獣にもそういった習性があるのかは未知数だが、確認するのに試してみる気にはなれない。もし自分の選択が、魔獣の注意を惹き付ける行為だったら。突進のスピードから察するに、途中で追い付かれる可能性がある。その時、自分は背後からあの爪で切り裂かれる事となるだろう。例え即死は免れたとして、もはやその状態では逃走も戦闘も叶う筈がない。ならば、最初から対峙するのはどうか?もちろん、確実に斃せる自信はない。さすがに短剣で遣り合うのは無謀過ぎるだろう。ならば剣術で、という事になるか。元の世界でも、それなりに剣術の稽古は重ねてきた。こちらの世界でも、ロレンツの戦いを偶然目撃して以来胸に熱いものが去来したのは確かで、採取依頼等をこなす傍らで木の棒を振り回す様な事を続けていた。幾分なりと勘所は戻ってきた気がするが、しかしそれがどれほど役に立つのか?そもそもなぜ真剣を入手しなかったか?それは自分自身への戒めだった。自分の技を試したい、その誘惑にかられ、また死地に身を投じてしまいかねない自分自身への。しかし、事ここに到っては、その戒めが恨めしく感じられた。と、『時間がない、決断しろ』そう心の声が告げる。見れば(というか、彼はずっと魔獣とベルチェの戦いを見ていたのだが)、疲労はあるだろうが魔獣はたいしてダメージを受けていそうにはない。対して一撃離脱を繰り返していたベルチェはそろそろ限界に近付いている様だった。一見して怪我はないが、もはや息も上がり、足もふらついている様子だった。しかし、そこには彼にとっての幸運があった。彼は、魔獣の戦いにおける癖をじっくり観察する好機を得たのだ。その上で、生き延びる為に戦う。彼は決断した。決断した途端、迷いは雲散霧消した。まずは武器を調達せねばならない。彼は走り出した。地面に突き刺さった片手半剣に向かう。
「お借りします!」
剣を引き抜く。ベルチェは距離を取り小休止状態となった。その間に割って入る。
「時間を稼ぎます」
実際には斃す気満々だが、背後にはそう声を掛け、魔獣に対して剣の切っ先を向けた。




