第二章 ⅩⅠーⅨ
それは、草原で食事中だった。口の周りを赤黒く塗ら付かせて、一心不乱に新鮮な肉を貪っていたそれは不意に漂ってきた、記憶にある臭いにその動作を止め、森の方へと視線を移した。それはある感情と結びついており、それの破壊衝動に火をつけたのだった。
「周辺に危険な者は……ん?」
洞窟を出、周囲に視線を巡らせていたパミールは、草原の向こうから、何かが猛スピードで接近してくるのに気付いた。丈の高い草に半ば隠れ何かはよく判らなかったが、地響きの様な疾駆音が聴こえてくる。それが草の陰から姿を現してから十秒となく、彼にはこう叫ぶのが精一杯だった。
「熊だ!」
四つ這いとなったグレーター・グリズリーの全速力の体当たりを、咄嗟に両腕をクロスさせ自ら後方に跳ぶ事で幾分衝撃を和らげる事に成功したものの、荷物を背負った彼が三、四メートルも吹き飛んだ。背後から木に激突する。
「まずい!」
四人で軽くギルドへの報告について打ち合わせていたロレンツが、声を聞くや抜剣すると、上体を起こしパミールへと止めを刺しに近付いて行くグレーター・グリズリーとの間に、剣から先に割って入ろうとするが。魔獣が右腕を鞭の様に一振りすると、彼の右上腕に血飛沫が走った。片手半剣は弾かれて宙を舞い、無理な体勢をとっていたため転倒してしまう。
「くうっ!」
片手半剣が落ち、地面に突き刺さる。魔獣は、ロレンツの方を向いた。
「させない!」
呼吸を調えていたベルチェが、鉄杖を槍の様に構えた。見る間に全身の筋肉が漲る、と見るや、放たれた矢の如く魔獣へと向かった。フェリッポはロレンツら二人の救助に回る。地面に刺した盾で魔獣の視線を遮断すると、回復薬を使い治療を始めた。
「なるほど」
鉄杖で巧みに距離を取りながら魔獣を牽制する戦いを繰り広げるベルチェを、まるでミケランジェロの描いた女性の様だと眺めつつ、フェスは今日経験した、あるいはしている事の幾つかが繋がってゆくのを感じていた。恐るべき魔獣の、両手の爪や口元の塗ら付きは血によるもので、その中にはロレンツのものも多少含まれるだろうが、恐らくは草原で食事をしていた名残だろう。そして、ダンジョン内の様子。広い通路内には罠を使用した痕跡があった。また壁には鋭く抉られた様な跡もあった。なぜ罠を仕掛け直さなかったのか?その作業が危険で出来なかった、また無駄だと思った?恐らく、ゴブリン達は罠を使用して追い駆け回されたのだ、この大型の魔獣に。万能職にしても、草原へ足を運ぶ様な依頼もなく、魔獣が広く暗い見通しの利かないダンジョン内で遭遇する様な事がなかったとしても不思議ではない(討伐目的で隅々まで探すならともかく)。むしろそれは、大抵の万能職にとっては幸運だった事だろう。そこで、フェスは自分に問い掛けた。この状況は、自分にとって幸運だろうか、あるいは不運か?




