第二章 Ⅹ
メティス商会職員アランは苦悩していた。それは思わず大きな溜息が漏れる程に。
「はぁー、見つからないものですねぇ」
立ち去る部下を見送ると、事務机に広げた武術の訓練場を列記したリストに、今一つ抹消のラインを引く。戦う場面の多い世界ならば、その術を教練する施設も多い。しかし、大半は武器を用いるもので、期間もそれなりに長い。商会で働く職員達ずぶの素人を、それなりに戦えるところまで持ってゆくにも、時間と費用が掛かり過ぎるのだ。ろくな教練も施さずに武器など持たせたところで、恐らくはそれらを容易く奪われ逆に危機に陥りかねない。大前提として戦いは護衛に任せるのだ、ひとまず虎口を脱せられるだけで良いのだが。その術を学ぶのに丁度良い施設が見つからないのだ。部下に色々探して貰い、こちらの要望に沿うよう交渉していたが、折り合いの付くところが未だ一つも候補にない。対魔獣はひとまず置いておくとして、対人のみ、可能な限り短期間で習得でき費用もそこそこ、そんな都合の良いお願いを誰か聞いてはくれないものか?あるいは人数を絞って……。彼の頭の中で、幾多のアイデアや数字が渦を巻いていた。と、そこへ。
「どう、話は進んでいる?」
彼の管掌する運輸部門のオフィス、その開かれた扉を潜りながら声を掛けてきたのはエリーナだった。見慣れた乗馬服姿だが、さすがに帯剣はしていない(それは当然か)。
「会頭……。これが、なかなかに頭の痛い問題でして」
机の前に、手近な椅子を引き寄せ着席した彼女へ、これまでの経緯を手早く伝える。運輸部門は、ナーダ周辺(外国もあるが)の商人、職人等から買い付けた商品を集めて本店や倉庫に運び、あるいは他の支店まで運び、また一部で預かった物品の輸送業務を請け負う。商会にとっては最大級の部署であり、本社所属だけでも百名を超える。そのうち、実際に馬車に乗務する人数は六十名を超え、これだけの護身術修得費用となれば、かなりの予算増額を申請しなければならない。彼に限らずどこの部門統括者でも躊躇せざるを得ない金額になるだろう。しかしエリーナは笑顔だった。それは少々不気味なほどに。
「いえいえ、大切な職員達の身の安全に係る事だもの、必要ならば気にする必要はないのよ……この前の襲撃では、何人もの負傷者を出してしまい、会頭としては忸怩たる思いなの。またいつ何時、あんな事態に遭遇するかも判らないと思うと……」
今度は急に、嘘くさい悲しげな表情になる。これは一体何なのか、と、彼の背中がぞわぞわしてくる。と、彼女は今度は難しげな表情を作る。
「それでも、やはり商会としては出費を抑えたいものよね。うちがどれほど大きかろうと、金の湧く泉を持っている訳ではないのだし。正直なところ、大金を掛けてどこまで使い物になるのか、全くもって未知数だわ。そこで!」
再び、あの不気味な笑顔になる。アランは、次に彼女が何を言い出すのか判った気がした。
「何で、しょうか?」
部下としては、そう問わない訳にはいかなかった。
「ちょっと、思い付いた事があるのよ!もちろん、部門統括者として無理だと思うなら却下でも良いのよ!?まだうまく運ぶか判らないのだし。どう、聞く?」
笑顔の圧力が半端ではない。商会内でこれに対抗出来るのは、フローラくらいのものだろう。
「……お聞きします。どうぞ」
その言葉を待ちかねていたかの様に、エリーナは思い付きを語りだしたのだった。




