第二章 ⅥーⅤ
それは、遠目には巨大な黒ずんだ剛毛の塊の様に見えた。全高は四、五メートル、形状からして熊の様だった。羆だろうか?しかし走っているが四つ這いにはならず二足走行している。振り上げた両腕(前脚?)も長く、その先端の爪は研ぎ上げられた短剣の様に細長い。間違っても斬り付けられたくはない。下顎の犬歯が異様に発達し、双眸は緑色の光を朧に放っている。野生動物でないだろう事は一目瞭然だった。これが魔獣か、と心の中で呟くと。
『説明。グレーター・グリズリーです。推奨討伐ランクは銀。同ランク以上のパーティーに参加しない限り、現状貴方では討伐依頼は受けられません。より詳細はご自身で調べて下さい』
突然LMが現れ、勝手に説明し消える。律儀だな、まぁ、受ける気もありませんけど、等と考えているうちに、状況は変化した。
グレーター・グリズリーは、四人の男女を追っていた。もちろんロレンツ達『黄の猟犬団』だった。ベルチェを先頭に、あの男性を引く様にロレンツ、そしてフェリッポが殿を務める。両者の間隔は十メートルほど。ロレンツがベルチェに声を掛けると、彼女は振り返り鉄杖を掲げた。と、見る間に頭上数メートルのところに光球が出現し、魔獣の直前に稲妻が走った。思わず、魔獣の足が止まる。ロレンツ達も足を止め振り返った。ロレンツは剣を、フェリッポは盾を構え、男性はフェリッポの陰に隠れた。不可解だったのは、ベルチェの前を空けていた事だ。彼女は、幾度と稲妻を魔獣に浴びせかけた。が、その巨体はビクともしない。緑色の双眸は輝きを増し、遂に弾けた。爆走を始めた魔獣。もはや彼らの悲劇的な運命は避けられないか、と思われたがそうではなかった。一声高く叫んだ様に見えたロレンツは、間合いを見切ったか身を低くし踏み出した。前のめり気味の魔獣に対し、斜め上方に体当たりする様な渾身の突きを繰り出す。カウンターならば、突きは皮膚や皮下脂肪、筋肉を突き破り重要な臓器に達する。その頭上を爪が掠る程の近さで空振りする。まともに当たっていれば、彼の頭部は砕け散っていただろう。断末魔か、咆哮を上げているのが判る。負けぬ、とばかりに尚も押し込むと、魔獣は力なく背後へと倒れた。双眸の光は、やがて消えていった。倒れた際に剣は抜けたが、その放射線を描く血飛沫を、頭部に一部受けてしまう。
「ほう」
知らず、フェスの口から驚嘆の溜息が漏れた。それは傍から見れば地図を指さしながらの不意の、不可解な光景だったろう。しかし、そんな事は気にならない。今目にした戦闘は、彼には最初から最後まで計算され尽くしていた様に見えた。まず、魔術師によるヘイト集め。通常ならばタンク役の背後にでもいるべき黒いドレスの魔術師を、故意に魔獣の視線に晒して大して効いていそうもない魔術攻撃をさせる。いざとなれば大盾のタンク役が何としてでも止める、という信頼のなせる業なのだろう。そして剣士の見事な急所への一突き。魔術師へと突進するだろう事を予見し、最高の間合いで割って入りカウンターで貫く。そうでなければ、急所へは届かない事を知っていたのだ。巨体の突進を受け切り、更には後方へと押し倒す。何たる体力、膂力、そして胆力。自分の頭上すれすれに薙ぐ爪を恐れず、躊躇せず全てを確実にやり抜く。最後の返り血は、むしろご愛嬌として彼の中で好感度を上げていた。それを可能にしていたのはチームワーク、確かな知識と経験、そして何より誇りか。今の自分に、あの様な戦いが出来るか、フェスは自問した。あの巨体相手に、格闘術だけでは難しいのだろう。一応剣術の覚えもあるにはあった。元の世界では、地図片手にあちらこちらと剣道場を渡り歩いた。しかし、この世界で、あの様な巨体相手にどこまで通用するか?そんな事を考えているうちに、ウィンドウの中ではまた一波乱ありそうだった。ロレンツは短剣で腕の爪を剝ぎ取っているらしかった。と正しく青天の霹靂、あの稲妻が数度、閃いたのだ。見れば奥の方からまた別の、あの巨体が四人に接近してくるのが見えた。警戒してか、歩みはゆっくりしている。ロレンツは爪をポシェットに仕舞うと、三人に何事か怒鳴った。と、脱兎の如く四人は走り去って行った。今や全体を現した巨体は、先程と同じ魔獣だった。横たわる同類の死体を一瞥すると、ロレンツ達の走り去った方向へと向き直り幾度となく咆哮を上げた。音は聴こえないが、哀悼だろうか?死体へと向き直ると臭いを嗅ぎ、傷口を幾度も嘗め、やがて元来た方へと歩み去って行った。魔獣にも情というものがあるのかと、フェスは何とも言えない気分になった。




