第一章 ⅩーⅢ
ここまでリストに表記されていた事で、多少の違和感や疑問点はあっても、彼の体験やゲームの知識(決してゲーマーと呼ばれる程ではないが)等で納得してこれてはいたが、この『固有技能』だけは想像もつかなかった。
『地図追跡:Lv1』
その名称からでは、どんなスキルか想像が難しい。フェスが質問を発してから、LMが口を開くまで少々の間があった。
『……回答。貴方は、元の世界での生活で習慣化された活動に基づき与えられた固有スキルを所有しています。その『地図追跡』は、現状では地図を媒介とした探索能力となります。この世界の地図が手元に存在する限り、たとえ未踏の地であろうと道をなぞるだけで道周辺の状況が、視覚情報となって取得可能です』
『現状では、という言い回しからすれば、何らかの条件で変化する、という事ですか?』
レベル表示がある、という事は、つまりそういう事なのだろう。
『回答。その折に説明すべき事柄です。提案。地図を用いて確認してはどうですか?』
それが一番早いに違いないだろう。
『そうですね、そうしますか』
床に広げた地図の、まず現在地に右手人差し指を付ける。ステータスリストが消え、同様のウィンドウに茜色に染まりゆく雲が僅かに浮かぶばかりの空が半透明で表示された。この視覚の主は、中空に浮かんでいるのだ。ウィンドウ上方には上下左右、そして回転の矢印、そして左横には上下の矢印の、それぞれアイコンが表示されている。まるで玩具のドローンの操縦画面か何かだな、などとフェスは第一印象を持った。
『説明。左側の上下矢印は高度を、上の上下矢印は視線の上下、左右矢印は視線の左右方向を調整します。円の矢印は、北を0度とした方角の目盛りを表示、非表示します。操作方法は、視線を意識し矢印に合わせる様にします』
説明を受けながら、視線を試しに左の下矢印に合わせてみる。アイコンが点灯し、視界はするすると下降し先程眺めていた光景の中に沈み込んでゆく。やがて地上に達したのかそれは止まり、アイコンは消灯した。上の下矢印を見つめると、地面の上に立っている足元が見えた。上矢印を見つめれば、先程まで眺めていた空を見上げた。下矢印で視線を水平に戻す。左右アイコンで視線を左に振ると、牧場が視界の端に入って来た。今度は反対側へ、ぐるりと視線を巡らす。一通り回って見た光景が、ウィンドウの中を流れて行く。円矢印を試してみると、ウィンドウを縦に二分する様に、スコープの照準の様な目盛りが重なる。左右に振ると連動して目盛りの数字も増減した。0から右へ振ると増加、左へ振ると360から減少、という具合に。真北を指す『0』の下には、『360』と表示されている。真西の方角に視線を動かすと、村の門が見えた。そちらへ指を滑らせると、視界は門を通り、馬車一両擦れ違えるか、程度の道が谷間を、街道へと伸びている。路面は荒れており、馬車に乗っていたらさぞかし腰が痛くなる事だろう。辿る速度によって視界の風景も早回しの様に流れ去ってゆく。街道の上にせり出す樹木のせいもあって暗い谷間の坂道を下ってゆくと、急に視界が拓けた。数百メートルほど降って行った先に、街道が横たわっている。今までとは比較にならないほど広く整備された道にぶつかる丁字路があった。右側が少し高くなっており、街道を一部遮っている。丘の端を一部、削り取ったのだろう。そこに……。
『ん?あんな所で何を?』
丘の上に、数人の人影があった。使い込まれたレザーアーマーにスラックス、各々が弓矢を携えている。まさか街道の横で狩りでもあるまい。もし、あるとすれば。
『回答。伏兵の可能性大。装備からして正規兵とは思われません』
『それはつまり。通行人を狙った盗賊の類、という事でしょうか?』
『肯定。あるいは暗殺者集団かも知れません。質問。街道上に通行人はいますか?』
『見てみましょう』
指を滑らせて行くと、先程より早く風景は流れ。ぶつかった街道を右へ曲がると、遥か向こう、荷馬車らしきシルエットが見えた。刻一刻と近付いてくる。と、背後から数人の男が姿を現した。丘の上の連中と同様の恰好で、剣や手斧、小さな盾等を装備している。視線を左に振れば、馬の水飲み場を備えた小屋が視界の端に入った(休憩所なのだろう)。男達はそこに隠れていたのか。
『丘の上の連中と、荷馬車を襲撃するつもりなのですかね?』
『推測。恐らくそうです』
落ち着きはらったLMの回答に、いや、だから、とフェスは言いたかった。自分はそれを黙って見ていて良いのかを知りたいのだ。
『私は、何かすべきでしょうか?』
『回答。貴方の行動に関して、私は助言は行いますが決定する事はしません。助言。貴方は街道の安全に関し、一切の責任を負っていません』
そんな事は充分承知していた。つい先ほど目覚めたばかりなのだ、何をするかなど決めていない。そうではなく。自分は悪事が行われようとしている前兆に気付いてしまったのだ。元の世界で例えるならば、ドローンを飛ばしていたら偶然、空き巣狙いの犯行現場を目撃してしまった、という様なもので、善良な市民ならばする事は一つだろう。
『どこかに通報するなり、何かないのでしょうか?』
『回答。街道の治安維持を担当する騎士団や自警団に今から連絡しても手遅れでしょう。街道を往来する者は自己責任において自らを守るので、貴方が心配すべき事ではありません』
そういうものなのか?だとするなら、確かに自分が何かする必要はないのだろう。しかし、とフェスは考える。自分は、新しい生活の場となるこの世界の、粗野で生々しい実体に一部なりと触れたのだ。自分がこの世界で生きてゆくにふさわしいか、試す好機ではないのか?ここで別の自分が口を挟む。そういう軽薄な考えでお前は命を落としたのをもう忘れたのか?ここは何事もなかったかの様に見過ごすべきだ。しかし更に反論が沸き起こる。ならば成り行きを見守り、参戦するかを見極めれば良いのではないか?何の伝手もないこの世界で生きてゆくには、どんな形であれ人に恩を売るのは充分に有意義な筈だ……胸中で侃々諤々の結果、一つの結論に達した。
『一旦は近くで様子を見守りましょう。必要そうなら、参戦します』
『了解。充分に気を付けて』
一つ頷いて見せる。傍らから見れば、何か心に誓ったかの様に見えただろ。地図から指を離すと、ウィンドウが消える。元通りに折り畳みリュックに突っ込むと、立ち上がりリュックを背負った。忘れ物がないか、一通り見回し。
「さて、では行きますか」
口に出し、二度と振り返る事無く小屋の扉を出て行ったのだった。