第一章 ⅧーⅠ
目覚めたら、またもや見知らぬ天井…いや、今度は本当に見知らぬ天井があった。薄暗いが、木製の細い梁の上に、傾斜の付いた屋根が見えている。篤の意識は体を動かそうとして、しかし体はピクリ、とも動かない。まるで金縛りにでもあっているかの様な。と、不意に声が聞こえてきた。いや、それは鼓膜を震わせた音声ではなかった。
『躯体の覚醒に成功。規定によりBSはLMSを起動開始。起動まで十、九、八』
カウントダウンしてゆくその声は、温かみのある男性の声だが、平板で抑揚に欠ける。まるで少々前のコンピュータ合成音声の様な。
『一。LMS起動成功。規定によりLMSに全制御を委譲』
と、同じ声だが調子が変わる。幾分人間ぽくなる。
『報告。LMSは躯体の制御取得に成功しました。精神体同調レベル一。実施。躯体のヘルスチェック開始。神経系、問題なし。感覚器系、問題なし』
その声と共に、まるで悪戯好きの小人が体中を巡り突き回しているかの様なむず痒さ、痛みが頻発する。体が動いたならば、激しく身悶えしていた事だろう。
『…筋系、問題なし。魔力循環、安定値内。LMSアバター作成開始。適切な図像を検索……検索完了。システムアバター表示』
と、不意に視界の左上隅に青色のピクトグラムが出現した。
『説明。覚醒、おめでとう御座います。元甲斐田 篤さん。私はライフモニタ、貴方の心身を観測し、必要な助言をし、また相談相手ともなります。現状、貴方の精神体同調レベルは一、言い換えるならばほぼ肉体の中に魂が収まっているだけ、という状態になります』
『すいません、ちょっと宜しいでしょうか?』
それは実際に口をついて出た言葉ではなく、心で思った事だった。そもそも口は動かないのだ。しかしそれは、なおも説明を続けようとしていたピクトグラムの(丁寧に口が動いていたのが)口をいったん閉じさせた。
『質問。何でしょうか?』
『すいません、これは一体、どういう状態なのでしょうか?貴方は?』
ピクトグラムが人間だったら、あるいは人間と同様の情緒反応を示せたなら、きっと不快や苛立ちを現すしぐさをしていた事だろう(目鼻はないので表情は判らない)。が、ピクトグラムは何事もなかったかの様に言葉を続けた。
『説明、継続。繰り返しとなりますが、私はライフモニタ。LM、とお呼び下さい。私は貴方の心身におけるあらゆる状況を観測し、助言をし、相談相手ともなります。確認。ここまでは宜しいですね?』
『ええまぁ。貴方がなぜいるのかは判りませんが』
『説明、継続。それは造物主様の思し召しなので、思慮の必要はありません。ともかく。これから精神体同調レベルを上げてゆきますので、私の指示通りにして下さい。確認。宜しいですね?』
有無を言わさぬ物言い。元篤は納得がいかないながらも、『はい』と返答せざるを得なかった。
『実施。宜しい。では、まず視界を上下にゆっくり動かして下さい』
言われた通りに視線を上下に動かす。簡素なベッドのヘッドボードから、今や見慣れた天井を経由し爪先まで。それが済むと。
『報告。問題ありません。実施。次は左右に』
今度は左のベッド脇の、薄汚れた木製の壁から、右の一、二メートル離れた小さな机と一脚の椅子、その前の、今は降ろされている鎧戸と、その右側にある扉。全体的には六畳程だろうか。次はグルグルと見回すよう指示される。そうして室内を見回しているうちに、彼はある事に気付いた。
『報告。問題ありません。実施。同調レベルを二にします』
『ちょっと待って下さい。質問があるのですが』
『質問。何でしょうか?』
『私は、暗闇の中で目が見えている様なのですが』
室内に光源は見当たらなかった。いや、ランプの類はあるのだが、火が入っていなかった。唯一の窓も閉められており、光の入り込む余地は殆どない。しかし、薄暗くではあっても彼には壁のシミや木目が見て取れていたのだ。
『回答。それは魔力循環により発現した『暗視』スキルが稼働している為です。一定以下の光量となった場合、自動発動します。実施。精神体同調レベル二』
全く何事でもないかの様に説明が終わると、鉛の様だった、肩から上が軽くなった様だった。
『頭を上げ、緩やかに回転させて下さい』
そして言われるまま、頭部を上げると時計回り、反時計回りに、ゆっくり頭を回転させてゆく。その様にしてレベル三で上半身、四で下半身、五で発声や視覚以外の五感、といった具合にして、新たな肉体を得た元甲斐田篤は今、部屋の真ん中に立ち、体ごと周囲を見回していた。やはり狭い部屋だった。
「ここは、どこでしょう?」
今度は声帯を震わせ声を発していた。記憶にあるかつての自分とは明らかに違う、男性にしては可愛らしさのある声。これが新しい自分なのかと、元篤は違和感を感じた。別人だから当然、とは判っているのだが、慣れるのにどれほどかかるか、と少々先が心配になる。
『説明。省略。提案。小屋を出てみますか?』
言われるまでもなく、元篤だった男性は扉へと向かった。鍵の掛かっていないノブを回すと、西へと傾きだしていた陽光が、室内に長い影を引いた。
「ほぅ…」
こうして元篤は、新たに生きるべき世界へと第一歩を踏み出したのだった。