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第一章 Ⅶ

 車内に充満し始めた重たい沈黙に、男性は苦痛を感じていた。彼は彼女の商才や観察眼、決断力等を高く評価していた。父から本店を任されてから、商会は着実に規模を拡大しているのだ。しかし一方で、少々情緒にむらのあるところが見受けられた。三年間連れ添った夫を追い出した時もそうだが、彼にしてみれば人を振り回す様なところがあるのだった。それは決して暴君的なものではないのだが。それにまともに寄り添える人物といえば、彼にはある女性以外思い付かなかった。

「…しかしまぁ、フローラさんが心配していませんかね?会頭の業務を代行されているのですから動けないでしょうが」

「本来なら副会頭に任せたいけれど、あれではね。彼女はもちろん、その家族にも迷惑をかけてしまったわ。はぁ、全く、私の周りの男達は、どうしてこう頼りないのかしら。まぁ、貴方はまだましだけれど」

最後の、フォローのつもりだろう一言が全くフォローになっていない事に、彼女は気付いていない。男性は苦笑するしかなかった。

「はぁ…有難うございます」

さばけた性格の半面、というべきか身内的な間柄では結構辛辣な言葉を普通に相手にぶつけるところもあった。彼は彼女の結婚生活についても、一部を見聞きしていた。エリーナが結婚したのは十八歳の時。この国の市民女性の初婚年齢としては少々遅めだが、結婚前から家業の一部を任され、実績を上げていた彼女にとってみれば早すぎるくらいだった。結婚相手は地方貴族の三男坊で、両家にとって悪くない話ではあったが。それより三年余り、結局彼女は懐妊しなかった。夫はろくに仕事も覚えず女色に耽ったが、隠し子の類は出来なかった様だ。エリーナにしてみれば、いざとなれば自分で引き取り育てる覚悟もしていたのだが、この夫ではそれも望めない、と見極めるや不貞や職務怠慢を理由に離縁し、商会から追い出したのだ。それから二年余り、彼女は独身で王国内では十指に入る大商会を切り盛りしているのだ。それを可能にしたのは有能な副会頭、ではなく(彼は出資者の息子だった)、彼女の側近フローラ・オブリジーニだった。彼女は父の代に商会に連れてこられ、以降誠実かつ忠実に商会の屋台骨を支えるべく努力を続けてくれていた。エリーナより年上で、夫、子供がいた。

「…うちも南部での商売をもっと強化したいけれど、信頼出来るリーダーがなかなか育たないのが問題ね」

「それに、カラーチ商会やクラナー一族の牛耳る商工協議会も厄介ですね。向こうの万能職にも圧力をかけているそうで、護衛もろくに雇えないとか」

「まぁ、さすがに五聖星教会がバックにいる万能職ギルドに直接手出しは出来ないだろうけれど、危険な街道もある様だし、登録者が護衛依頼を受けてくれなければ物流は難しいわよね?」

男性が頷いた。そしてふと、険しい表情をすると上半身を乗り出す。

「あくまで噂程度ですが。彼らが秘かにならず者達を支援して、私達の様なよそ者達の隊商を襲撃させている、とか。本腰を入れて南方に進出するなら、念頭に置いておきませんと」

「あら、あちらはお雇いなのね?こちらは山脈や森に潜んで、好き勝手やっている連中をどうにかして欲しいわ。いっそのことうちで大規模な掃討依頼でも出そうかしら?領主や民兵団を当てにするより確実だと思うけれど」

「万能職ギルドにですか?どうでしょうか、魔窟ダンジョン探索や魔獣討伐も多い様ですし、長時間拘束可能な人員を、それほど確保出来るとは」

「あらそう?だったら、やはり自前で組織するしかないのかしら?それだと経費がかさむし…そうだわ!」

難しい顔をしていたエリーナの表情がぱっ、と明るくなった。男性はなぜか、嫌な予感がした。

「…何で、しょうか?」

「ふふん。いい?職員達に、特に隊商を担当する者達に、戦闘の訓練を施すのよ。せめて自分の身ぐらい守れれば、護衛も減らせるかもしれないし。メティス商会は手強い、と思わせれば狙われる確率を下げられるかも。どう?」

ドヤ顔で傍らの片手剣に手を伸ばす。健康の為と、五歳の頃より彼女は守衛として働く初老の元兵士を師匠として、剣の稽古を積んできたのだ。

「なるほど、それは良案ですね」

自分には関係なさそうだと、男性は軽く同意した。

「そう?有難う。ではまず十名程度から始めましょうか。人選をお願いね」

「はい?」

不意打ちの言葉に、間抜けな声を出してしまう男性。

「先生はこちらで用意するわ。今日は第二週の黄の日よね?来週の緑の日までには」

ここでいう一週間は七日間で、黄の日は火曜日、緑の日は水曜日に相当する。

「ちょっとお待ち下さい!」

血相を変え、男性が遮る。突然何を言い出すのか、と内心狼狽えつつ。

「あら何?」

きょとん、とした表情で訊ねるエリーナに、これは本気なんだと男性は更に焦った。

「私に、戦え、と?そちらの経験は全くないのですが!?」

「あら、だから訓練をするんでしょう?何も人殺しをしろ、と言っている訳ではないのよ。護衛が間に合わない場合に自分の身を護れる程度でね」

「ですが。私に出来るとはとても」

「何事も経験よ!やってみなければ判らないでしょう!?」

大き目の声で被せられ、男性は肩を落とした。

「…承知しました」

「結構結構!」

諦め顔の男性と、楽しげに鷹揚に頷くエリーナ。と、天井が数度、コツコツとノックされるのを耳にし、表情が豹変する。それは天井に陣取り周辺を警戒している護衛役からの、襲撃ありのサインだったのだから。

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