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「大丈夫か、クリスティナ!?」
「え、えぇ……貴方のおかげで怪我はありませんわ。どうもありがとう、ジョシュア」
燃えるような赤毛に、どこか野性味を感じさせる顔立ちの偉丈夫――私の新しい婚約者様に、ゆっくりと地面に立たせてもらう。
しっかりと筋肉が付いていながらも、鞭のようにしなやかな身体つきを堪能しながら、身体を離さず彼の方に向き直ると、じっくりと顔を覗き込まれて「良かった、安心した……」と言うなり、胸に抱き込まれるようにして腕を回された。
ジョシュアの腕越しに、カーティスの父であり、この国――ウィンバーグ王国の国王陛下の姿も見える。
「騒ぎがあったので来てみれば……これは一体、どういうことだ!?」
陛下はカーティスを問い詰めながらも、顔色悪くこちらを見つめていた。
「ち、父上に、ジョシュア……? ベルハイム帝国の皇太子が、何故ここに?」
振り返れば、突然現れた大物たちにカーティスは在り得ないほど狼狽している。
真っ白くなった顔で、父王、ジョシュア、ジョシュアに抱きしめられたままの私へと視線を移していくけれど、何が起きたのか理解できていないようだった。
そんな彼に、ジョシュアがお腹に響き渡るような恐ろしい声で怒鳴りつけた。
「貴様ァ!! 我が妻となる女性に手を上げるとは、どういうつもりだ!? 打ち所が悪ければ、大怪我をしていたところだぞ! ウィンバーグ王、この件については彼女に対する不当な婚約破棄の件も含め、正式に抗議させていただく!」
カーティスと陛下に対してそれぞれ抗議の言葉を発すると、ジョシュアは私を抱く腕に力を込めた。
彼の言葉に、ようやく追いついたらしい小太りの宰相が汗を拭き拭き、また新しく冷汗を流している。
ジョシュアの祖国であるベルハイム帝国は、数代前まで残虐な侵略戦争を繰り広げていたため、帝国人は恐ろしく血に飢えており、常に戦いの相手を探している――という悪評が、今でもまことしやかに囁かれている。
ただでさえ私とカーティスの婚約破棄からジョシュアとの婚約でバタついているというのに、この国に争いの矛先まで向いては敵わないと、宰相は余計なことを言わないよう必死に国王親子に向けて合図を送っている。
けれどそんな宰相の努力は虚しく、ジョシュアの言葉と、私たちがお互いに身を寄せ合っている姿にようやく理解が及んだのか、カーティスは負けじと叫び返した。
「ジョシュアがクリスティナと結婚だと……!? 馬鹿な、お前たち、一体いつの間に……? 俺という婚約者がありながら、浮気していたというのか!?」
今更、一体どの口がそんなことを言うのか。
眉を寄せて顔を曇らせた私の様子を見て、ジョシュアがカーティスを睨みつける。
「クリスティナはそんなことしていない! 俺が彼女に惚れたんだ。婚約者に顧みられず、邪険にされながらも、努力することを諦めない彼女の姿が尊くて、浮気者の婚約者など捨てて俺の妻になってほしいと何度も頼んだが、クリスティナは決して首を縦に振らなかった! そんな彼女を、手酷く捨てたのは貴様だろうが!」
「ぐ……、そ、そんな馬鹿な……!」
「馬鹿なのは貴様だ、カーティス。こんな、愛さずにいられない人を蔑ろにしてまで聖女候補を選んだんだろう? 何が不満なんだ? 身勝手に振舞っておきながら、気に入らなければクリスティナに手を上げるようなお前に、何があろうとも彼女は絶対に渡すものか!!」
「あんな詐欺師の女と結婚できるか! ……いや、待て! それよりも、先ほどのことについては誤解だ! 俺はクリスティナに暴力など振るってはいない!」
「この……卑しい嘘つきがッ! 何が誤解だ! 俺たちの目の前で起きたことが全てだろう!!!」
ジョシュアの剣幕にカーティスが怯んだ隙に口をはさんだのは、国王陛下だった。
「皇太子、待ってくれたまえ。息子は誤解だと言っているではないか。確かにクリスティナ嬢が突き飛ばされたように見えたが、そんなことになるような事情があるのではないか?」
あら……そう。
陛下は、この状況でもまだカーティスを庇うわけね。
一連の出来事を目撃した上で、その原因は私にあるのではないかと言うわけ?
「ウィンバーグ王……まるで貴殿のお考えは理解できませんね。この国では無抵抗の人間が殺されて犯人が目の前にいても、殺された人間の方を、そうされるべき理由があると疑って調べるというのですか? 貴殿が納得できる理由があれば、殺人鬼は無罪放免ですか? 罪人ではなく、まさか被害者を責めるとは……なんと恐ろしい犯罪天国か! それが貴国の法であるのなら、私の愛しい人が貴殿の息子に理不尽に虐げられたのも道理ですね。今まで無事に生きてこられたのが奇跡だ」
捲し立てるジョシュアに、宰相が滝のように流れる冷汗を拭いながら「あの、陛下が仰りたかったのはそのようなことでは決してなく……」と言葉を濁しながら頑張っているけれど、彼の眼力に圧されているらしい。
全く。
ちょっとした冤罪をでっち上げてカーティスの立場を悪くしたかっただけなのに、陛下が素直に息子の非を認めないからややこしいことになったじゃない。
でも、私は悪いことをしたとは思っていないわよ?
だって、あのまま腕を掴まれていたら、絶対に痣になっていたもの。
この調子じゃあ、目に見える証拠があるのに、絶対に謝罪もなく不快な思いをさせられるだけじゃない。
嫁入り前なのに、そんな怪我損なんて嫌に決まってる。
とはいえこれでは話が終わらないので、帰る算段をつけながら、ジョシュアの腕をポンポンと叩いて口論を止めるように合図する。
「――陛下、私が突き飛ばされたことはともかく……この一連の出来事も、殿下と同じように『若気の至りだから許せ』と仰るのでしょうか?」
私の問いかけに、庭園は静まり返った。
状況は、ジョシュアが宰相と騒いでいる間に把握したはず。
陛下は顔色が悪いながらも、貫禄のある声で答えた。
「クリスティナ嬢の怒りは、尤もだ。まず何よりも、其方に怪我が無くて良かった。これは心の底からの本心で、どうか信じてほしい。そしてこの一連の出来事であるが……カーティスが愚かだったために起きたことなのは、疑いようがない。にも関わらず、全てを受け入れろとはとても言えない。だが、もし今日のことだけでも、寛大な心で許してもらえるのならありがたい」
寛大な心、ときた。
この方も、まだ私に許すように言うのね。
大きく息を吐ききると、ジョシュアの腕から抜け出して、陛下に改めて向き直る。
「左様でございますか。では――」
息を吸い込む間、時が止まったようだった。
「馬鹿も休み休み言え、このハゲッ!!!! アンタが息子の行いを許すように命令したのが、そもそも悪いんじゃない! 何が卒業するまで! 何が若いんだから仕方ない! 何が寛大な心! いい加減にしろ、全部アンタの教育が悪いのが原因だろうが! 自分もアカデミー時代の恋人を側妃にしたからって、息子に甘い顔してんじゃないわよ! ハ・ゲ・が!! 私に許しを請う前に、自分で努力しなさいよ! さっさと第二王子に譲位して田舎に引っ込め老害!!! このッ、ハゲ!!!」
アカデミーの仲間たちで何度も話題に上がった陛下への悪口を、一息にぶつけてやったわよ。
陛下の頭髪は白いものが混じり始めた黒髪で決して禿げてはいないけれど、これだけは全会一致で絶対に言いたいと意見が一致したものなので、何度も混ぜた。
一拍遅れて、陛下の周囲を中心に「不敬だ!」と騒ぎ始めたけれど、再び私が陛下に視線を真っすぐ合わせると、手を上げて黙らせてくれた。
静かになったところで、今度は完璧な礼をとりながら口を開く。
「『若気の至り』でございます、陛下。どうぞ『寛大な御心』でお許しくださいませ」
動揺が広がる中、顔を伏せて待っていると、陛下の「良いのだ。……許す」という声が聞こえたので、姿勢を戻す。
片手で額を押さえてすっかり疲れ切った様子だけど、自業自得よね。
期間限定で何でもかんでも許せだなんて、無法地帯も良いところである。
これで、どれだけ理不尽な要求をしていたか、思い知ったかしら?