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足早に王宮の廊下を抜け、屋外に出て庭園の一角へと向かう。
目的地に近づくと、黙っているように人差し指を唇に当てて、ゆっくりと音を立てずに身を潜めながら進む。
カーティスは眉を顰めながらも、好奇心が勝ったのか、指示に従いながら付いてきた。
人通りのないエリアの垣根の向こうから、聞き間違えようのないゆったりとした声が聞こえてくる。
死角になっていそうな場所から、中を覗くようにカーティスを促す。
さて、そこには――睦まじそうな様子で寄り添う、一組の恋人たちがいた。
「レベッカ、そろそろ王子の部屋に戻った方が良いんじゃないか?」
「あら……まだ、大丈夫よ。側妃に迎えてもらえるなんて、行き遅れるしかなかった彼女が嬉し涙に咽び泣いているでしょうから、もうしばらく放っておいてあげましょう」
「そうか、君がそう言うなら、そうなんだろうな。では、もう少しこのままでいよう」
覗き込んだ先の恋人たちは、カーティスのよく見知った人物たちだろう。
一人は愛しのレベッカで……もう一人は、聖女候補を守るために神殿から派遣された護衛神官だった。
アカデミーでは見たこともないほど幸せそうな表情を浮かべたレベッカは、さぞかし気が抜けているらしい。
私からすれば、この姿を見せれば流石のカーティスも察するだろうと思っただけの行動だったのに、思いがけないボーナスが転がり込んできた。
庭園の端にある死角とはいえ、ここが王宮の敷地内であることも忘れているようで、聞き耳を立てられていることも、それを誰が聞いているかも気付かずに、彼女はペラペラと自分たちの計画を語り始めた。
「ふふ、それにしても、面白いくらいに上手くいったわ。これでこの先もずっと、貴方と過ごすことができるわね」
「だが……そのために君を犠牲にするなんて、俺は――」
「良いの、貴方と一緒にいるために、私が選んだことだもの。私が愛しているのは、貴方だけ……」
「俺が愛しているのも君だけだよ、レベッカ」
「嬉しい。うふふ……それなのに、少し優しくしたらコロッと騙される男たちの、愚かなこと。そんな男に振り回される女たちも、見ていて滑稽だわ。私はただ、ひと時でも長く貴方と過ごすために都合の良い嫁ぎ先を探していただけなのに、そんなことにも気が付かずに、各国の選ばれし王族や貴族だなんて、本当に笑わせてくれるわ」
「まさか、あんなに愚かな連中の集まりだったとは、俺も驚いたよ」
「国内に家があり、神殿とはそれなりの距離があって、忙しい仕事に就く人間――という条件を一番満たしたから選んだというだけなのに、カーティスは本当に人でなしよね。ずっと彼のために行動していた婚約者を蔑ろにして、私を正妃にするなんて。あの男の囁く愛の、薄っぺらさと言ったら……」
「本当に。あの男が愚かなおかげで、君の計画が上手くいったわけだが……あんな男が君の夫になるなんて、耐えられるだろうか? ……いや、これまでもなんとかやって来ることができたんだ、必ず耐えてみせる。だが、あんな風に無慈悲に婚約者を捨てられるなど、同じ男としてもまるで理解できない。もう少しくらい悩むと思っていたが、レベッカが促したらすぐに決断してしまうとは」
「可哀想なクリスティナ……。彼女には悪いけれど、私には本来の妻としての役割をこなしてくれる人が必要で、そのおかげで彼女は側妃にしてもらえるんだから、許して欲しいわよね」
「あぁ、どうせ呼び名が王子妃から側妃に変わるだけなんだから、きっと彼女も満足するだろうさ」
「私が聖女候補なんかでなければ、こんな面倒なことをする必要もなかったのに……なんて忌々しいのかしら」
「だけど、だからこそ、俺たちは出会うことができた。そうだろう?」
「えぇ、そうね……。だけど、聖女候補は神に選ばれた身で、自らの意思で辞することはできないし、神殿内の人間と結ばれることは許されない。貴方が神殿を辞そうとも、私の伯爵令嬢の生まれが邪魔をする……。本当に、ままならないものね」
「これもきっと、神が与えた試練なのだろう」
「神の奇跡の力なんて、厄介なだけよ。そのせいで、どれだけの制限が課されていることか。聖女となってしまえば、それこそ神殿の良いように使われてしまう。だから私は王子妃になることを理由に、なるべく修業を引き延ばして、王宮と神殿の行き来の間を貴方と過ごすの。いずれ、忙しい時期は行き来が大変だと言って、離宮を建てさせるわ。そうすれば、もっと貴方とゆっくり一緒にいられるから……」
「レベッカ……! 俺は、君にこうして触れられるだけで、十分幸せだよ」
「私も、幸せ……。だけど、私たちがもっとたくさんのことを望んだとして、誰が責めるというの?」
「神は寛大な方だ。きっと、お許しになるだろうさ」
彼女たちの話を呆然とした様子で聞きながら、カーティスの顔色は、青くなったり赤くなったりと忙しい。
このままじっとしているつもりか、次の行動を見逃さないためにしっかりと眺めていると、互いを抱きしめ合う一対の恋人たちの姿に我慢の限界が来たらしく、カーティスは荒々しく立ち上がった。
「レベッカ!!! これは一体、どういうことだ!?」
「きゃっ、か、カーティス……? そんな、貴方、どうしてここに……?」
服に小枝や葉っぱを付けたまま、恋人との逢瀬に乱入して己を睨みつける未来の夫の姿に、流石のレベッカも仰天したようだった。
あたふたと護衛神官から身体を離したけれど、もう遅い。
カーティスは「全て聞いたぞ!」と、レベッカを責めだした。
「この俺を騙して、虚仮にするとは……! 随分と大それたことをしたものだな!」
「カーティス、違うの、話を聞いて頂戴……!」
「ええい、五月蠅い! 甘言で他者を惑わす悪女め! 聖女候補が聞いて呆れる!」
「殿下! そこまで仰ることは無いではないですか! レベッカ様は神殿のれっきとした――」
「貴様は引っ込んでいろ! これは俺とレベッカの間の話だ! 一介の護衛ごときが口を挟むな!」
「なんてことを言うのカーティス! 彼も神殿の神官なのよ!」
「神官であり、護衛であり……レベッカ、お前の愛人ではないか!」
「あっ、愛人ですって……!? 彼のこと、そんなふうに言わないで!」
うわぁーお。
なんという地獄絵図。
これは想像以上で――とっても愉しい。
愉し過ぎてもっと見ていたかったけれど、怒鳴り疲れたカーティスが連れていた近衛騎士にレベッカたちを捕らえるように命令したので、この素晴らしい茶番はあっさりと決着してしまった。